『期待』というやっかいな感情
『期待』とは、何らかのことが実現するだろう、と望みつつ待つこと。また、当てにして待つこと。と辞書には書かれている
最近の私はこの『期待する』ことにとことん嫌気がさしている
理由は明白。
相手に期待して期待通りの結果にならなかったとき、勝手に自分の理想を押し付け、あたかもそれが相手の落ち度であるかのように解釈する自分自身に腹が立つからだ。
こう言えばこう返してくれるんじゃ、、
〇〇したから私にも〇〇してくれるんじゃ、、
典型的なのは誕生日プレゼントをあげたとき。
私はそもそもあまりあげないが、プレゼントしてお祝いしたから自分の誕生日の時にもお返しに何かくれるんじゃないかという見返りを求める気持ち
誰にでもこんな風に『期待』して『見返り』を求めてしまう気持ちはあるのだろうか。
期待しないようにしていても、どこか心の奥底では代価を求めている様な、やましい気持ち。
そもそも『期待する』ことは悪いことなのだろうか?
相手に何らかの『期待』を寄せるのは、
相手が期待できるほどの要素を持っていて且つ自分との間にある程度の信頼関係があるからだ。
つまり自身が相手に対して敬う心を持っているからこそ生じる感情だ
誕生日プレゼントの見返りはきっとこれだ。
物事や結果に『期待』を寄せるのは、期待通りの結末を迎えることができる可能性があって、そう思えるほどの努力や苦労をして自信をつけたからだ。
つまり、結果だけでなく自分自身にも期待しているということになる
例えばテスト結果や受験の合否に対する期待はこれだろう。
なにが言いたいのかというと、期待するのにはそれ相応の理由があるということ。
だからこそ期待はずれな結果になってしまったとき、
『期待』した過去の自分を正当化しようとして
悪くないはずの相手を非難する負の感情が生まれるのだとわたしは思う。
でもやっぱり『期待』しないことなんてできない
私からすると人を好きになるなと言われているのと一緒。
…だったらもういっそのこと割り切ってうんと期待しよう!
相手にも結果にも出来る限りの期待をしよう。
それでもし期待通りにならなかったら、
あなたと私の『期待感』がミスマッチしてたんだな。
仕方ない、あなたはわたしの期待に応えるために生きてるわけじゃないし
わたしもあなたの期待に応えるために生きてるわけじゃない。
またあなたに『期待』したとき、その『期待』が今度は双方向であることを願おう。
少し投げやりだけど、そう考えるとなんだか
気持ちが晴れた
考えるって良いな。
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