見出し画像

寛斎さんを偲んで

ニュースウォッチ9のあとだったと思います。
昨年亡くなられた
山本寛斎さんのラストメッセージをテーマにした番組がありました。
「ストーリーズ」という番組です。
TVを見た個人的感想を連ねています。
よかったらおつきあいを。

T Vに映し出される若い頃の山本寛斎さんの目。
貪欲でギラギラしていてものすごくかっこいい。
ハンサムな方だから余計にかっこいい。

その目のギラギラの背景には
兄として弟たちとともに生活を立てなければならなかったという
環境も作用していたのかもしれません。

洋服作りを独学で。
(でも感性は学校で学ぶものではないとわたしは思います)
自分で作った洋服をトランクに詰めて
単独海外のバイヤーを巡る話はエネルギーのカタマリな人。



わたしがファッションに目覚めるのは
もう少し後のことなので、残念ながらリアルな山本寛斎さんの
力強い服を目の当たりにしたのは
ファッション記事などでしかないのですが
70年代の山本寛斎さんの服はアジア的だし大陸的、
フォークロア的な力強さがあるし
アバンギャルド、70年代といえば未知なものへの憧れがうずまく時代で、その中で閃光のような存在だったことでしょう。




こちらの画像はデヴィッドボウイのライブ衣装を山本寛斎さんが提供した時のもの。

スレンダーボディに美しい曲線を纏うデヴィッドボウイと
山本寛斎の満足げな表情はなんてゴージャス。
まるで閃光と閃光のぶつかり合いのよう。
羨望の的でしかありません。

画像1

それにしてもデヴィッドボウイは美しすぎますね。

さて、
歳を重ねた山本寛斎さんは
「元気プロジェクトイベント」を行います。
その力強さは誰にも真似のできない世界、
衣装、洋服というカタチに収まらない感性、
言葉通り爆発のようなエネルギーを感じました。
わたし自身は参加したことはありませんでしたが
友人は顔にペイントして参加した経験があるそうで、
それはそれは元気をもらったと言っていました。


実はデザイナーだったころに、一度だけ
お仕事でお会いしたことがありました。
机上では静かな方で(あたりまえですね)
ボスの意見の他に
わたしの意見も尊重してくださって、
とても緊張しながらも、何か答えたという思い出があります。
たしかロゴを選ぶという作業だった記憶です。

打ち合わせ中、真っ直ぐに見つめる目は
若い頃の写真の目と同じで吸い込まれるような強さ、
今もその眼差しは忘れられません。

「ストーリーズ」では、
闘病中の寛斎さんの姿を映していましたが、
やはり悲しくなりました。病室にてこちらを向く
山本寛斎さんの映像は、
お元気な頃と変わりない「生きる姿勢」が見えていたからです。

「最後まで生きることをあきらめなかった。」
山本未来さんの涙がこちらまで移ってきそうでした。
「苦しくても必ず道はある。」
ニュースウォッチ9の塩野七生さんに続き、
コトバが耳に届いた日になりました。

2020年、165日間の闘病の末に天国へ旅立った山本寛斎さん。
病室からたくさんの指示を送った
比叡山で行われた元気プロジェクトイベントの本番を
見届けることができなかったこと、どれほど心残りだったでしょう。

しかし若いデザイナーさんたちにとっては山本寛斎さんとの
最後の貴重な仕事となったわけで、寛斎さんからの叱咤激励は
きっと何物にも変えられない宝物になったはず。

たった一度とはいえ、
凄い方の近くに同席させていただいていたこと、
わたしも記憶の宝物として心に残しております。

デヴィッドボウイも山本寛斎さんも
ふたりとも天国。
寂しくなります。

謹んでご冥福をお祈りします。




自分で撮影した写真を主に掲載します。美味しい食べ物のことや思い出話、または好きなartやdesign関連など、あまりカッコつけずに書きます。どこか共感してもらえたら嬉しいです^_^。常にログインしていませんが♡してくださった皆様や、フォト利用の方の記事は必ず拝見しております。