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【掌編小説】ロボットに宿る心

 「高橋さん、お疲れさまでした。また明日」
 「はい、お疲れさま~」
 「リーさん、お疲れさまでした。また明後日に」
 「はい、あなたもお疲れさま」
 17時15分を過ぎたスタッフルーム。
 退勤して行く同僚に挨拶しているのは人間ではない。ロボットだ。

 この国の労働人口の減少が懸念されるようになり、特に介護の分野において、それ以前からの深刻な人手不足への対応が急務となった。
 研修を受けた外国人を積極的に雇用するだけでは足りないこともあり、介護用ロボットの導入が進められた。
 そういう経緯でこの介護施設『昇陽館』にやって来たのが、先程同僚に挨拶していた最先端技術によって作られた介護用ロボット『ジュピター』だ。
 身長140cmくらいの寸胴の胴体、その左右には肩部分、肘部分、手首部分、手指部分で屈伸可能な頑丈なアームがついている。
 床面に接する部分は胴体を乗せる台座になっていて、全方向への移動を可能にするキャスターがついている。
 状況に応じて胴体は身長170cmまで上昇し、その際、通常は胴体内部に収納されている脚部が台座の上で胴体部分を支える仕組みとなっている。
 ドーム状の頭部は360℃回転可能で、様々なものを読み取る、目の役割をするゴーグルのようなパーツがあり、瞬きするように緑色や赤色の点滅をする。
 この施設でのジュピターの立場は看護助手兼介護助手だ。
 ジュピターは、この施設のシステムにアクセスすることによって、入居者及び職員に関するデータを全て把握している。
 1人1人の顔を認証識別しており、入居者の皮膚に触れることで体温や血圧や脈拍の測定をすることができる。
 データは瞬時に施設のシステムに送られ保存されるため、かつてはその業務に割いていた時間に他の仕事を行えるようになった。
 しかも機械的に健康チェックをして行くわけではない。
 「松本さん、おはようございます」、「田中さん、ご気分はいかがですか?」などと親し気に入居者に話しかけ、返答に対してもまた言葉を返すことができる自立思考式であり、自立コミュニケーション型なのだ。
 新入居者に対しても、「〇〇さん、ようこそ。私はジュピターといいます。どうぞよろしく」と積極的に挨拶し、慣れない場所に対する緊張をほぐした。
 入居者から可愛がられるジュピターは、日夜施設内を巡回し、時に入居者や職員と交流しながら、健康チェックの他にも様々な仕事をこなす。
 職員の指示と監視の下で入居者を持ち上げ、ベッドから車椅子や入浴用ベッドへ、車椅子や入浴用ベッドからベッドへと移し換える業務を行うことで、職員の労働力の大幅な軽減となった。
 またジュピターは、施設内各所に設置された見守りカメラとアクセスすることで、常に入居者や施設の異変に備えており、何かあれば職員が携帯している端末に直接情報が送られるようになっている。
 おかげで目が届きにくい場所での咄嗟の出来事にも即座に対応できるようになった。

 円滑な関係構築と維持のためには挨拶が重要である、というプログラムがなされているのか、各職員の勤務シフトをデータとして把握しているジュピターは、退勤して行く職員それぞれに応じた言葉かけをしていた。
 「林原所長、お疲れさまでした。また明日」
 ゴーグルの目を数回緑色に、そして赤色に点滅させるジュピターに声をかけられ、短い白髪頭の林原所長が、「ああ、ジュピターも尾島主任もお疲れさま」と微笑んで声をかけながら、私にも頷くように会釈をして退勤して行く。
 常に入所者や職員のことを気にかけ、微笑みと温かい声かけで、入所者にとってのより良い生活のために日々心を砕いて奔走する林原所長は、この昇陽館の誰からも慕われていた。
 この施設にジュピターを導入することを決めたのも林原所長だ。
 補助金が出るとは言え、導入は多額の費用を要するものだったが、それでも、職員の労働力軽減からの入所者の生活の質向上を考えた上で決定された。
 今では、ジュピター目当てに入所する入所者もいるくらいで、設備投資にかけた費用に対して利益が上回る日も遠くはないと思われる。
 「お疲れさまでした」と、微笑んで林原所長に挨拶を返す私は、足早に立ち去る長身な彼の大きな歩幅としっかりした足取りに、既に60歳を過ぎた彼の年齢に負けない健勝さを感じさせられていた。

 そして月日は流れ20年が過ぎた。
 あれから数年で昇陽館は、設備投資にかけた費用に対して利益が上回り、経営も順調で、世間にも少しずつジュピターと同様の介護用ロボットが普及して行った。
 その後も林原所長は12年間所長を務め、引退して会長となってからは年の離れた妹が所長職を引き継いでいた。
 その会長職も数年前に引退し、引き継いでいた妹が会長になってからは、私が雇われ所長だ。
 ある日会長が、高齢男性が乗った車椅子を押してやって来た。
 「今日からここに入所されます。林原義文さん。元会長で、私の兄です」
 かつて、日々はつらつと精力的に働き、大きな歩幅としっかりした足取りで健勝さを感じさせていた姿はそこにはなかった。
 痩せて最低限の生気が残っているかのような身体、深く刻まれた顔や首元の皺に、老いは誰にも平等に訪れるものだと思わせられる。
 それでも、林原氏は昔と変わらない穏やかな微笑みを浮かべ、「尾島所長、よろしくお願いするよ」と私に挨拶した。
 私は、かつての林原氏を知っているだけに、すっかり変わってしまった彼の様子に胸を締めつけられながらも、頭を下げ微笑みを作って目を見つめ、「しっかりお世話させていただきます」と言葉を返した。
 この20年間も変わらず稼働して来たジュピターが、ゴーグルの目を数回緑色に点滅させた後、赤色に速く点滅させた。
 「林原……さん、……お疲れさまでした」
 ジュピターの言葉に、私と会長は顔を見合わせた。それは他の新入居者に対するものとは違っていたからだ。
 速く点滅するジュピターの赤い目の光は、込み上げる思いに揺れる心の炎のようにも見えた。
 「ありがとう、ジュピター。これからよろしくお願いするよ」
 林原氏の穏やかな言葉に、「はい、どうぞよろしく」と返すジュピターは、既に普段通りの反応になっていたが。

 ロボットに心はあるのかどうか。
 SFなどでは度々話題に取り上げられた内容だろう。
 私は、機械であるロボットに心が宿るというのは懐疑的だ。
 どんなにジュピターが入所者や職員に愛されても、擬人化された設備の一部という感覚が強い。
 先程の、林原氏を前に見せた反応も、長く蓄積された過去のデータの解析により、かえって不具合的な、普段の初対面の入所者に対してとは違う反応を示したに過ぎないのかもしれない。
 それでも、このロボットには心があるのかもしれない、と錯覚させるそのことが、共に生きる人間の心を、癒し和ませ豊かに育む一助となっているのかもしれない、と思うのだ。







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