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コールリーダー論の序説みたいな話。


みなさん、こんにちは。

余りにも久しぶりかつ唐突な更新になりますが、1つ思ったことがあったので記事にしたいなと思います。内容は表題の通りですが、これだけだと意味が解りませんので、まずは言葉(造語ですが)の意味から話をしたいと思います。なお、私の文章は毎度のことながら冗長が過ぎますので、適宜読み飛ばして頂いて構いません。

コールリーダー論の序説とはどういう事か

サポーターとは何ぞや、という話をする際に「サポーター論」という言葉が出てきます。大抵は「~べき論」で、その中身以上に~すべきと言う表現の是非が問われる事が多いように感じます。
一方で「コールリーダー論」。恐らく、コールリーダーかくあるべきと言う定義は殆どのサポーターがなんとなく持っているでしょう。しかしながら、コールリーダーと言うのはサポーターに比べて圧倒的に数が少ない。Jリーガーの数と比べても全然少ない。極めて特殊な存在です。それ故に、その実態や機能については十分な理解を得られていない印象を受けます。

ですので、コールリーダーとはどうあるべきとか、そういう話をする前の序説として、そもそも何をするのか、という部分は知って損はないのかなと。

なお、記事の内容についてはあくまで個人的な見解であり、少なくとも私の意見が他の誰かの意見を代弁する物ではないという点にご注意ください。

一節の間に起きること

まずはコールリーダーのお仕事。流石にこの理解の方はいないと思いますが、スタジアムに到着して、応援をリードして終わり、という物ではありません。例えば試合前の準備として、チャントや弾幕、鳴り物の用意とそれに伴う権利者との調整があります。また、運営担当者を介して相手クラブとの折衝を行い、何が出来て何が出来ないのか、当日想定される事柄について事前に打合せを行います(この点については現体制において、相当細かい部分まで話を詰めているんだろうなという印象を持っています)。

何から何まで羅列しても仕方がないので詳細は省きますが、応援を成立させる為には、相応の準備とそれに伴う負担を強いられることとなります。弾幕掲示の事前説明が開場の2時間前となればその時刻に合わせるのは絶対となり、更に言えば試合に行くという事自体が一連の作業を持って試合を成立させるという責務を負う。これがコールリーダーの仕事です。

コールリーダーはサポーターの代表者なのか

これは、限定的にはそうなのかなと思います。少なくとも応援をリードする人間の自覚としては、一定存在するのかなと。あるいは、サポーター団体と応援団体(ここの定義もクラブ毎に異なるので難しいですが)の対応関係いかんで、客観的な代表と受け取られることもあるでしょう。

とは言ったものの、これらは意識的な話や組織された団体内部の話であって、サポーター全体を代表する人というのは本来存在しません。
サポーター団体の構成員の行為に対して代表者が責任を取る場合がありますが、これは団体内部の統制に関連する話であって、少なくともサポーター全ての行為の責任を一部のサポーターが背負うと言うのは非現実的な話です。ルールの啓蒙等は必要かとは思いますが、この辺りは責務というより心得のようなものかと思います(何事にも限界はありますね)。

以上のことから、コルリ=全てのサポーターの代表ではなく、次見出しでお話するコールリーダーの性質からも、責任の範囲については最小化されるべきかと思います。

なお、偶に試合後(特に敗戦後)にトラメガを持って選手に言葉を投げかけるコールリーダーがいますが、あれがサポーターの気持ちを代弁する代表者としての機能なのかどうかは、これもクラブによりけりと言った所でしょう。

それは趣味の範疇なのか

かなり昔の話ですが、千葉県某所で某オリジナル10(千葉だけどジェフじゃない)で最初期の応援団体に所属していた方と話をする機会がありました。印象に残ったフレーズに「辞めたいと思ってないコルリは殆ど見たことがない」という物があります。その方の時代から30年が経った今、コールリーダーを含めたサポーターの姿というのも大幅に変化しており、今はその限りではないでしょう。
とは言え、スタジアム内外で責務を負い、数千数万のサポーターを前に興行を成立させる一端を担う。時には謂れのない誹謗を受け、リードに対するよく解らないお気持ち表明も発生する。今日は気分が乗らないからスタジアムに行くのは止めとこうかな、これが許されないのはスタンドにおいてコールリーダーだけではないでしょうか。

好きでやってるんでしょう。代わりはいるでしょう。果たしてそうなのか。
例えJ2でなくとも、誰でも出来るものじゃないと私は思います。一応は6年間コールリーダーの肩書があった自分とて、今の応援をリードするのは無理。やれて1試合に限り「なんとかなったか?」程度が限界でしょう。
試合前後、裏方の調整も沢山ありますという話をしましたが、何だかんだ一番大変なのは試合中です。大勢の人がいて、相手があります。2~3秒リードがずれるだけで空気が停滞しますし、あの規模の試合を率いてコールを迷った時の焦燥感は想像したくもありません。更にこの上、J1のコールリーダーなどはどんなメンタリティでやっているんだろう。

ここまでの話は、取り分けいわきの話を意識したものではありません。恐らくは普遍的な話なのかなと思います。「辞めようなんて思ったことはない、俺は誇りを持って好きでやってるんだ同情なんてするな」と言うコールリーダーもいるでしょう。ただ「せやねん、大変なんよ」と同意するコールリーダーも必ずいると思います。

お気持ち表明

ここまで読んで頂いたとして、そんなにしんどいなら辞めれば良いじゃないかとは思わないでください。今、車で2時間の遠征先にあれだけのサポーターが集まっている。多くの他サポが「なぜいわきのサポーターは増えたのか」を疑問に思っています。数の大小に関わらずゴール裏全体が振り付けを行う一体感はJ1のサポーターでさえ評価をしています。車社会と距離感、アマチュアカテゴリ上がりの雰囲気、何よりもいわきが体現するサッカーの圧倒的な面白さ。理由は何個でも上げられます。その一角をコールリーダーを中心とした現体制の能力が担っていることは疑いようがありません。

大卒新加入選手よりも若い世代がいわきでこれだけの大仕事をしてくれてるのは幸運であり、感謝すべき事だと私は思います(彼らがいなければ最悪の場合、俺ですからね。二重の意味で感謝です)。もっと素直に言えば、そいつらにしか出来ない仕事をボランティアでやってる若者に対して偉そうに物事を語るのは、大人として本当にしょうもないぞと、今日この記事の一番伝えたいことは要するにこういう事なのかも知れません。

まとめ

コールリーダーと言うのは本当に謎の存在です。これは本当にやってみないと解りませんし、やったからこそ解らない事もある、多分そういうものなんです。

私が25歳で1人ハワイに行った時、その理由は「そこで試合があるから」「前年札幌サポはいたらしいが、いわきサポはいなかったらしいから」でした(長崎サポは当然のようにいた)。正気の沙汰ではありません。恐らくコルリをしていなければハワイまでは行っていないでしょう。同年の東北1部での戦い。岩手と秋田に年に9回行きました。正気の沙汰ではありません。これはコルリやってなくても行った気がするけど、コルリ前提で行くのは結構大変。益田市とか日田市とかちょっと遠いです。

まあでもハワイに私がいなかったところで、北東北遠征を数回お休みしたところで、大した話ではありません。ところが時代は変わり今やJ2、現在5位。
遠征先に1000名以上の動員をするようになりました。求められるコールリーダーの能力も格段に上がり、それに伴って私の時とは比較にならない負担がのし掛かっているかと思います。

本来であればその負担の解像度が高い私がサポートするのが正しい姿なのですが、この記事を読んで頂いて、コルリってやっぱり大変なんだなあと思って頂けた方には、是非とも現体制を支えて頂きたいと思います。
私がコールリーダーになった時よりも若い子たちがいわきの応援を作り上げています。一体となってチームを応援する時、一体となって彼らを支えましょう。

上遠野



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