文書名__19920501_STUDIO_VOICE_197_-_歌謡曲の神話_ベストテン時代へのレクイエム

昭和歌謡の年齢は?本名は?身長は? 家族関係についても徹底調査!

2017年8月、ネット上の記事がもとになり「昭和歌謡」についてちょっとした騒動があったのをご存知ですか? 昭和歌謡とはその名のとおり「昭和の時代に作られた歌謡曲」のことで、明治歌謡・大正歌謡の次に作られた歌謡曲です。ここではそんな昭和歌謡についてワタシ自身もいまいちわかっていなかったので調べてみました!

「昭和歌謡」騒動の経緯は?

2017年8月24日に柴那典×大谷ノブ彦による対談記事「ヒップホップ警察を追い返せ!!【ゲストぼくのりりっくのぼうよみ】」が期間限定で無料公開されました(今はもう無料では読めません)。

この記事の中で、音楽ライターの柴那典さんが〈どうやら「昭和歌謡」って、僕が最初に雑誌で使った言葉らしい〉と発言しました。これは輪島裕介さんの新書『創られた「日本の心」神話』(光文社新書/初版2010-10-20)という本にそう書いてあるそうです。「昭和歌謡」という言葉をデータベースで調べたら『ロッキング・オン・ジャパン』の2000年の記事が最初の例として出てきて、その記事の担当者が自分だったそうです!

そこで続けて柴さんは〈当時新しい言葉を発明したつもりはまったくなかったし、すでに編集部やレコード業界では当たり前に使っていたんですけれど。ただ、90年代の初めの頃、まだ「昭和歌謡」っていう言葉はなかった〉と発言しています。

これに対して「昔から“昭和歌謡”って言葉はあっただろ」と言う人達が出てきて騒動になったんですね! はたして真相はどうなんでしょうか?

『創られた「日本の心」神話』にはどう書いてある?

それではこの本で「昭和歌謡」について書かれた部分を探してみましょう! まず327ページに直接関係する話が出てきます。

二〇〇〇年代に入ると「昭和歌謡」という新語が現れます。これは昭和の時代に存在した「歌謡曲」を指すのではなく、何らかの仕方で「昭和」を感じさせる音楽スタイルを持った、新たな若い音楽家の音楽を指す語として用いられています。

なんと、著者の定義では「昭和歌謡」とは昭和の歌謡曲のことではなく、昭和を感じさせる若い音楽家の音楽のことだったんですね! つまり、この文脈でいえば、昭和歌謡という言葉の初出が柴さんなのではなく、昭和歌謡という言葉を若い音楽家に対して使った初出が柴さんということになります。それでは327~328ページに書かれた該当部分をもう少し読んでみましょう。

大宅壮一文庫データベースによれば、『現代』二〇〇〇年七月号「『歌は知ってるけど何者か良く分からん』オジサンに贈る カリスマ椎名林檎の『昭和歌謡』の香り」という記事は、単独で「昭和歌謡」という語が見出しに用いられた第二例です。
初出は『ロッキング・オン・ジャパン』二〇〇〇年五月号のバンドWhat's Loveのインタビュー記事「スカで奏でる昭和歌謡って、そんなんアリ?」ですが、これは音楽誌の小記事であり、一般メディアで「昭和歌謡」という言葉は、椎名林檎を形容するものとして用いられはじめたといえます(もちろん「昭和」も「歌謡」もきわめて日常的な語彙であり、「昭和歌謡史」や「昭和の歌謡曲」といった用法は以前からありました。例えばテレビ東京の「ナツメロ」番組『昭和歌謡大全集』は一九九二年に放送開始され、同題の村上龍の小説は一九九三年から翌年にかけて連載されています)。

ここで触れられている『ロッキング・オン・ジャパン』のインタビュー記事を柴さんが担当したというわけですね。カッコの中は補足として「昭和歌謡」という言葉自体はそれ以前から使われていることにも触れています。また、「昭和歌謡」が用いられた例ではなく、「昭和歌謡」という語が見出しに用いられた例、としていますね。これは初出を本気で調べはじめると大変だから、とりあえずデータベースの検索結果をそのまま書いた、その際、見出ししか検索できないから見出しだよと断っておいた、ということでしょう。

さて、それではここで書かれている「昭和歌謡」の初出は本当でしょうか? 続けて調べてみました!

昭和歌謡は平成になってから生まれた言葉←間違い

おっとその前に、一般的な「昭和歌謡」に対する誤解をといておきましょう。昭和歌謡という言葉の特徴は「昭和」です。そこから推測して、昭和が終わって昭和を対象化するようになってから生まれた言葉である、と考えがちです。でもそんなことはないんですね! そのまま図書館のデータベースで「昭和歌謡」を検索するだけでそんな名前の本は何冊も出てきます。

丘灯至夫『日本歌謡史 : 明治・大正・昭和歌謡集』(弥生書房/1961)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000354701-00

高木康=編『昭和歌謠大全集』(新興楽譜出版社/1971)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I003932109-00

協楽社編集部=編『昭和歌謡50年 : 歌謡曲 歌は世につれ…』(協楽社/1974)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I060970735-00

オン・ブックス=編『ああ昭和歌謡史』(音楽之友社/1977)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001347389-00

古賀政男『古賀政男傑作全集 : 昭和歌謡50年史』(東京音楽書院/1978)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I017803644-00

「昭和歌謡」とは昭和の時代にリアルタイムで生まれた昭和の歌謡曲を意味する言葉です。間違えないようにしましょう!

若い音楽家の音楽に対して「昭和歌謡」と書いた記事は?

それでは今回の記事のメインである、輪島裕介さんが定義する「昭和歌謡」の初出の話に戻りましょう。「若い音楽家の音楽」(ここでいう「若い音楽家」とは10~20代までを指すことにします)に対して「昭和歌謡」と書いた記事を探して判定してみました!

『Fool's Mate』100号(1990年1月25日発行)
戸川純ロング・インタビュー〈『昭和享年』、時代への捧げ物〉
インタビュー・構成=羽積秀明

「昭和の終焉、そして終わりゆく80年代…粛々と流れる時の流れに咲いた昭和歌謡の名花を、芸能生活十周年を迎えた戸川純が、今宵あなたのたえに歌い上げます。昭和歌謡史に綴られた名曲を6曲続けてお聴き下さい。どうか皆さん、拍手をどーぞ」

戸川純さんの昭和歌謡カバーアルバム『昭和享年』に関するインタビュー記事のリードです。これは昭和の歌謡曲に対する「昭和歌謡」なのでカウントできませんね! この昭和歌謡をカバーした作品に対して昭和歌謡という言葉を用いるパターンは以後もSANDII『Pacific』や巻上公一『殺しのブルース』などのレビューでも見られます。

『ミュージック・マガジン』1990年2月号
〈歌謡曲〉レビュー欄
文=能地祐子

『尾形大作/心 風流にして 中国』(ワーナー 29L2-129)
中国の街をテーマに、中山大三郎が全作詞・曲。好き、この懐メロ声。霧島昇を敬愛する私としては、たまんないものがあります。トゥー・マッチとも思える昭和歌謡のレプリカ・サウンドだけど、彼が歌うと見事にはまっちゃって。(後略)

こ、これは昭和歌謡っぽいサウンドに対して「昭和歌謡」という言葉を持ち出してるのではないでしょうか!? 尾形大作さんは当時27歳。ぎりぎり若者扱いしていいのではないでしょうか? 問題は中山大三郎さんが1941年生まれで当時49歳くらいということです。1970年代にはすでに歌謡曲作曲家として活動していた人が1990年になっても歌謡曲の作曲を担当していた、という点で、レプリカじゃなくて昭和の人じゃん、という言い方もできてしまいます。

『WHAT'S IN!?』1991年7月号
記事〈ユニコーン・サザン・米米CLUBに見る歌謡曲センスの研究〉
文=能地祐子

ここに出てくる3アーティストはその歌謡曲のセンスをカッコよく採り入れてる人たちなのだ。

この記事は例外として取り上げました! 「昭和歌謡」ではなく「歌謡曲センス」ですね。「昭和歌謡」という言葉にこだわらなければ、こうしたJ-POP的なミュージシャンに歌謡曲を見出す記事はもっと見つかるはずと思います。

『シティロード』1993年9月号
新譜紹介〈NEW DISC JAPAN〉
文=田口史人

Chica Boom『ESENCIA』(ビクター)
チカ・ブーンももう3作目。女の子ばかりのラテン・バンドっていう売り文句も全然無意味に感じられるほど、ラテン歌謡が堂に入ってきた。訳詞によるポップス、シャンソンやカンツォーネなど、昭和歌謡のお家芸は、歌い手の志向が本格的な海外のスタイルを目指していようとも、歌謡としての独自のムードを損なうことはない。むしろ、その意識のズレはおり強烈な歌謡臭を生む。(後略)

チカ・ブーンは1985年結成の女性5人組サルサ・バンドで、1992年にメジャーデビューしました。このグループが醸し出す歌謡臭に対して昭和歌謡という言葉を使っています! これはなかなかいい例ではないでしょうか? 問題はチカ・ブーンのメンバーが当時何歳なのかよくわからないところです。

『オリコンウィーク The Ichiban』1997年1月13日号
声優Interview〈横山智佐〉
文=斉藤貴志(編集部)

──あの時も「サクラ大戦」のコーナーが盛り上がってましたけど、コンセプトとして大正ロマンの世界があって、音楽的にも……
智佐 昭和歌謡史をイメージしたと聞きました。私は初めて触れた世界でしたけど。

質問者のいう「あの時」とは、東京厚生年金会館で1996年10月24日に行われた横山智佐のライヴイベントのことです。横山さんはセガサターン用ゲームソフト『サクラ大戦』のメインキャラ:真宮寺さくらの声優さんです。このゲームは大正時代をモチーフにした世界観で知られますが、なんとその楽曲は昭和歌謡史をイメージしていたそうなんです! まあ大正時代って短いですから大正歌謡の世界はなかなかイメージしにくいですよね。1969年生まれの横山さんはこの時27歳くらいですから、若いと言っていいですが、昭和歌謡史を自称した場合はどういう扱いにすればいいんでしょうか?

『ロッキング・オン・ジャパン』1997年6月号
インタビュー〈ピチカート・ファイヴ〉
取材・文=山崎洋一郎

(前略)ドラムンベースもあるけど昭和歌謡もある、アッパーなポップスもあればクールなハウスもある。

ピチカート・ファイヴ『ハッピー・エンド・オブ・ザ・ワールド』が出た時のインタビューです。このアルバムについての説明で「昭和歌謡」という言葉を使っていますね! ピチカート・ファイヴが若いバンドかどうかは判断に迷うところですが、ここで使われている「昭和歌謡」はもはや当然のように、昭和に作られた歌謡曲ではなく昭和を感じさせる音楽を示しています

『Barfout』32号(1998年4月10日発行)
ライヴレポート〈小島麻由美は背徳のポップ・スターか〉
文=関口泰正

昭和歌謡的」というには、その言葉の持つ制度的なレトロな匂いとは全くかけ離れた危険な感じ。(中略)彼女のこれまでのお馴染みの曲、それも例の「昭和歌謡的」な恋の歌が次々と歌われているだけなのに。この夜の不道徳な妖艶さがはっきり示していたのは、24歳の彼女にとって「昭和歌謡」や、恋する歌の「少女性」は、明らかに今の世間に対する毒として機能しているということだ。(後略)

これはもう「昭和歌謡」を若い音楽家の音楽に対して使っている例として間違いないのではないでしょうか!? 24歳の少女が歌う昭和歌謡的な曲が「今の世間に対する毒として機能している」なんて、まるで椎名林檎に対する評だと言われても信じてしまいそうです。

『Barfout』34号(1998年6月10日発行)
インタビュー〈小島麻由美 危ない歌謡。〉
文=関口泰正

〈ノスタルジックな少女性〉だとか〈昭和歌謡〉とか、そんなもっともらしいタームで(あるいは〈不思議ちゃん〉とかね)語られ続けてきた小島麻由美だが(後略)

先ほどと同じように、『BAR-F-OUT』誌における関口泰正さんの小島麻由美さんを取り上げる文章で、昭和歌謡という言葉が登場しました。小島麻由美さんが昭和歌謡というタームで語られていたことは間違いないようです!

まとめ

ということで、これまで見てきたように、少なくとも1998年頃に小島麻由美さんに対して昭和歌謡という言葉が用いられていることがわかりました。少なくとも椎名林檎さんがデビューする前に使われています(デビューシングル『幸福論』は1998年5月27日発売)。輪島裕介さんが定義する〈何らかの仕方で「昭和」を感じさせる音楽スタイルを持った、新たな若い音楽家の音楽を指す語〉として用いられている例ですね!

あと昭和歌謡の本名はわかりませんでした。身長は公開されてませんでした。家族関係についてもよくわかりませんでした。コアなファンが多いようですね。そのうちわかるようになるかもしれません。ここより下には何も書いてありません。以上です。

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