見出し画像

微笑む死と帰命

私は生きていることが好きだ。
時には惨めで、苦しく、叫び出したくなることもあるけれど、どんな時も生きることは素晴らしいと自覚している。

───アガサ・クリスティ


「今は新聞を取ってくださるお宅も少なくて。昔は月末になると忙しかったのに、近頃はさみしい限りです」

毎月25日過ぎに私の家を訪れる、新聞販売店の集金担当者さんはよくこんな風にこぼします。
ウェブ上でいくらでもニュースが読める世の中で、紙の新聞の読者が減っているのは納得のいく話ではあります。


こんな世相を反映してか、新聞の折り込みチラシもずいぶんと減り、昔は週末ともなれば雑誌のような分厚さだったのが、今は二、三種類のみということもあるほどです。

それでも決して無くならないのが学習塾、ブランド品買い取り、葬儀会館の案内などで、特に葬儀社の広告は、つい熟読してしまいます。


葬儀といえば私の頭にまず浮かぶ映画は、黒澤明監督の『生きる』です。

この映画では始まりからして主人公はすでに余命幾許いくばくもなく、中盤で故人となります。
そこからようやく物語が動き出し、様々な人の語りによって、主人公の人となりが明らかになってゆくのです。


その転換点ともなる葬儀の場面でとりわけ異彩を放つのが、予告もなく雪崩れ込む、とある弔問客の一団です。

その人たちはただの一言も言葉を発さず、祭壇の写真を見上げては、人目もはばからず泣き続けます。
その烈しい涙にはれっきとした理由があり、他の参列者たちの異なる反応を誘います。


通俗めいた言い方をすれば、人の死にはすべからくドラマがあります。

"面白い"と言っては語弊がありますが、私が過去に葬儀の仕事に関わっていた際、最も興味を惹かれたのもそんな場面でした。


葬儀場のスタッフは常に遺族の後ろに控え、なるべく気配を消すよう努めているため、時として存在を忘れられ、生々しい感情の発露に立ち会うことがあります。

そんな機会でもなければ、目の前で大の大人が泣き崩れたり、掴み合って言い争ったり、すすり泣きつつお棺の中に入ろうとする姿などまず目にしません。


人の本心が露わになるそれらの様は、当時まだ十九歳だった私には衝撃でした。

この仕事を続けていると、そのうちどんなことにも驚かなくなるよ、とベテラン社員は笑い飛ばしていましたが。


滝田洋二郎監督の映画『おくりびと』では、一人の男性が納棺師として成長していく様子と共に、周囲からの偏見など負の部分も描かれました。

私も葬儀場の手伝いをしている間、直接的にも間接的にも、人からある種の忌避的な感情を向けられたことがあります。

それは、傷つくというよりは解せない体験でした。
他人の死を忌み嫌うその人たちが、なぜ死をそれほど自分と遠い特殊なことと考えられるのか、本気でわからなかったのです。


"自分はまだ若くて健康だから"
そんな事実は何の保証にもなりません。人間の運命はあまりにはかなく、たとえば道で不慮の事故に巻き込まれれば、もう一時間後には息をしていないかもしれないのです。

ボクサーがまず徹底的に首周りを鍛えるのは、そこが人間の急所だからです。ちょっとした間違いで頚椎が折れたが最後、即死でなくとも、身体の全機能を失うかもしれません。

どんな場合も"自分だけは安全圏にいる"という考えは、いささか軽率に過ぎるように思えます。


それでは私自身が死をどう考えているかというと、まるで恐ろしさを感じません。
葬儀場の手伝いを深く考えず引き受けたのもそのためです。

こんな風に書くと何か情緒に重大な欠落があるようですが、これは私の育ちに関係があり、持病のために、十五歳まで生きられないと宣告されたことが影響しています。

日々の闘病に疲れた子どもが、それでも生きたい、などと決意を新たにする体力や気概があるはずがなく、私は、ああ自分の命とはそこまでの期限付きのものなのだ、とあっさりとそれを受け入れました。


十五歳を過ぎ、宣告がどうやら成就しないとわかった時は、安堵より奇妙な気分の方が勝ったほどです。
今さらそう言われても、というのがその時の私の心境で、突然取り上げられた死の代わりに生を押し付けられたようで、強い戸惑いがありました。

私にとってその時から"生"はどこか借り物めいて、自分がこうして生きているのも、考えると奇妙に思えます。
私は死に親近感すらおぼえるのです。


いくら育ちのせいとはいえ、やはりこれは異様な考えかといぶかっていた時、弘法大師と深い縁を持つ山寺の山主様から、"帰命きみょう"という言葉を教わりました。

これは信仰心を持つこと、仏に心身を預けることという意味も持つそうですが、山主様はこの言葉について、こんな風に説かれました。

「死ぬというのは帰ってゆくということです。逝くのではなく元いた所に戻るだけ。
だから怖いことは何もないんです。どうか安らかな心でいてくださいね」


この言葉を宗教学や文化人類学的に解説することは不毛な試みであり、また、いかなる知的な反論や指摘も無用です。
その場において重要なのは、何らかの論を立てることより、それが全き真理であると信じる人たちに、考えが共有されているということです。

私が抱き続けてきた死への考えが間違いではないという証明のように与えられたその言葉のもたらす安堵は、思った以上のものでした。

生と死が表裏一体である限り、生きとし生けるものはいつか必ず死を迎えます。
けれどもその命は"失う"のでなく"返す"だけ。死は何ら特別なことではない。

頭のどこかにそんな考えがあることは、誰にとっても救いにつながるように思えます。


そして、いざその時が来たならば、どうやって送り出してもらおうか。
そんな空想を広げるのも、私には楽しいことです。

たとえば葬儀の仕事で立ち合った中に、音楽仲間が集まって、故人のお気に入りの曲を合奏する音楽葬がありました。
華やかなものを好んだ故人のため、ドレスコードが晴れ着だった式もあります。葬儀会場に喪服の人が一人もおらず、明るい色や光り物で盛装した人々が集う様は圧巻でした。
バルーンアートが部屋中を飾り、香典返しに風船の花や動物たちが添えられていた式もおぼえています。


もしそんな風に自身の葬儀をオーダーメイドできるなら、花は薔薇、音楽はラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』で、参列者に美味しいお茶とお菓子を用意し、あらかじめ記しておいた別れの手紙を声の良い人に読んでもらおう、などと妄想がふくらみます。

時にこれくらい軽く死を考えるのも、意義のあることかもしれません。
誰しもに訪れる死をネガティヴに受け取るのみでなく、笑ってとらえることができたなら、人生そのものにも良い変化があるのではないでしょうか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?