見出し画像

Oー1グランプリ(1)

Oー1オーワングランプリは十歳にならなければエントリーできない規則で、僕のOー1初出場は小学四年生のときだった。Oー1に勝ってみんなをびっくりさせるのだと、僕は幼稚園の頃から決めていた。「絶対にOー1を獲る」と、家族や同級生にも宣言していたが、初めての予選はずいぶんあっけなかった。出場者の控え室で待っていると、突然部屋のなかで爆竹が激しく鳴った。あとで知ったのだが、この時点ですでに一回戦の選抜は開始されていたのだった。大きな音が苦手な僕は、思わず耳を押さえてしまい、その瞬間に敗退が決まった。Oー1で勝てるのは、なにがあろうとも冷静を保っていられる出場者だけだった。爆竹が鳴っても、平然と腕組みをして微動だにしなかった同級生のおすし君は、二回戦へ勝ち進んだ。ほとんどの生徒が大会にエントリーしていた。エントリーしないのは、よほどの変わり者だけだった。

Oー1で勝ち残った出場者は、特別なオーラを身にまとった。賞金、賞品よりもずっと価値のある、目に見えない凄みのようなものを手に入れることができるのだ。集団の中心になり、人を動かし、周囲を惹きつけ、影響力を行使するのは、「Oー1で勝った」という実績だった。それさえあればどこへでも行ける、人生の優待チケットのようなものだと僕は思った。高成績をおさめた者は、社会の重要なポジションに就くことができる。「なにがなんでもOー1で勝って、ひどかどの人物になりたい」と僕は決意した。親戚のおじさんが、正月の集まりで僕に訊いてくる。
「おい、オマエはOー1出るのか? もちろん出るよなあ、出なきゃしょうがないもんな。絶対勝てよ。俺は19歳のときに準決勝まで行ったぞ」
おじさんの息が酒くさい。当たり前だ、という顔をして僕はうなずいた。出るに決まってるし、勝つに決まってる。なにしろ僕は自信があったのだ。まさか自分が初戦敗退するなどとは想像もしていなかった。このみじめな敗退を周囲にどう説明していいのかわからない。僕は恥ずかしい気持ちをひた隠しにしつつ、翌年に向けて自分を鍛え始めた。次こそきっと勝ってみせる。

小学校五年生で出た予選では、一回戦でコーラの一気飲みをさせられ、炭酸の苦手な僕は途中でむせてしまい敗退した。
小学校六年生で出た予選は開催されたのが雨の日で、僕は祖母の使っていた婦人用の長靴を履いて会場へ行ってしまい、入口で敗退を告げられた。会場へ入れなかったため、この年は不戦敗だった可能性がある。
僕は少しずつ、自分はOー1に向いていないのではないかとみずからを疑い始めていた。

Oー1で勝てない。三年連続で一回戦敗退だった僕に向かって、父親は「勝てるかどうかは、常日頃の行動にかかっている」と忠告した。本番で結果を出したければ、普段から勝てるような態度を心がける必要があるというのだ。付け焼き刃では勝てない。毎日が予選だと思いながらすごすのだ。父親曰く「Oー1で勝てるのは、まわりから『アイツは勝ちそうだ』と思われているやつ」なのだそうだ。まずは、勝ちそうな雰囲気、身体から立ちのぼる無言の説得力を身につけなくてはならない。日常生活をより意識することで、予選に勝ち抜く実力が身につくらしいのだ。たしかに、六年生の時点でもう三回戦まで進んだ同級生のおすし君は、十二歳にしてすでにOー1戦士らしいオーラを発しており、小学校でも注目の存在になっていた。そのせいか、学校で多少乱暴な態度を取っても、教師は見逃していた。むしろ教師は、そうした粗暴さを好ましいと思っていたのかもしれない。

僕は父親のアドバイスを受けながら、次の予選へ向けて自分を鍛え始めていた。修行は厳しかった。道で人とぶつかりそうになっても、自分からよけない。ランドセルを少し乱暴に放り投げる。昼休みのドッジボールに全力で挑む。階段を何段も飛ばして登る。日々のOー1対策に効果が出ているのかどうか、自分でもよくわからなかったが、父親は「本気で取り組めば結果はついてくる」と言っていた。とはいえ、実際には僕の父親が勝っていた様子はない。僕の父親は、そこまで立派なOー1戦士ではなかったのだと思う。予選を勝ち抜いた人物は独特の鋭さがあるが、僕の父親には相手を威圧するようなオーラがあまりなかった。僕が勝てないのは、真面目な公務員である父親の指導がよくないためだろうか? 僕の父親も、もしかしたら二回戦くらいまでは進んだかもしれないが、準々決勝、準決勝まで行ったかどうかは怪しいものだ。

しかし、自分の父親に「お父さんだって、Oー1で勝っていないじゃないか」と指摘するのはあまりに残酷に思えて、僕は黙っていた。それだけは口にしてはいけないような気がしたのだ。一方おすし君の父親は、往年の有名Oー1戦士として広く知られていた。僕にもこんな親がいれば、予選を勝ち抜けたかもしれないと思う。おすし君の父親は現在、回転寿司チェーン「すしまみれ」を経営するやり手の実業家である。すしまみれはサービスの質にこだわっていて、お店で客に出した寿司のネタが乾いていたりすると、おすし君の父親は大いに怒り、いいかげんな調理をした従業員を探し出して、こっぴどく叱るのだそうだ。すしまみれは繁盛していた。

Oー1で結果を出せないまま、中学へ進学するのは恥ずかしかった。輝かしい成績をひっさげて中学入り、が僕の計画だったが、さっそく予定が狂ってしまった。各クラスにひとりかふたりは三回戦まで進んだ生徒がいて、周囲から尊敬と畏怖のまなざしで見られていた。あのポジションにいるのは僕のはずだった。今年こそは絶対に勝ちたいが、どうすれば二回戦に進めるのか見当もつかない。同じ中学にはおすし君もいた。水泳で鍛えたおすし君の身体はたくましく、Oー1戦士として結果を残している彼はたちまち人気者となっていた。僕はおすし君がねたましく、これから三年、彼と同じ中学に通うのは耐えられそうになかった。こんな気持ちを抱えながら生きていくのは辛い。すべてを払拭するには、やはり勝つしかないのだ。中学へ進学すると、僕の勝利への執念はさらに燃え上がった。

かくして中学の新学期が始まった。クラスでとなりの席になったのは、とりまちゃんという子だった。髪が短くて、耳が7割方出ていた。字がキレイで、僕はこんな風に字を書けないと思った。学校の成績がよく、かばんにはいつも図書館で借りた本が入っている。気が合うのかどうかは、あまりよくわからなかった。会話が弾むこともなくはないが、なにを言いたいのか伝わりにくいことも多い。
ある日「キミはOー1出たことあるの?」ととりまちゃんに聞かれたとき、僕は緊張で言葉がうまく出なかった。なにしろその質問は僕の弁慶の泣きどころなのだ。結果を聞かないでくれと願いながら、「うん、出たかな」とだけ答えた。
「ふーん、そうなんだ」と、とりまちゃんは僕の答えにあまり興味なさそうな表情で窓の外を眺めた。あるいは、この質問が僕にとってややこしい内容だと察してくれたのかもしれない。

「予選ってどんなことするの?」
「コーラの一気飲みとか。あと、自転車で坂道を走ったりとかする」
「ふーん。なんかたいへんそうだね」ととりまちゃんは答えた。
「そういう大会だからさ」と僕は言った。
「そういえば、たかし君は出ないって決めてるんだって」ととりまちゃんは教えてくれた。
「たかし君って、裁縫のたかし君?」と僕は訊いた。
「そう。裁縫のたかし君。あの子は出ないって聞いたよ」

たかし君は、僕やとりまちゃんの同級生で、手先が器用で裁縫がうまいと言われていた。母親や姉に習ったのだという。学校に、自分で縫ったきんちゃく袋を持ってきていたが、僕は最初からダサいと思っていた。いずれにせよ、Oー1に出ないようなやつはなにをやってもダメだ、と僕は心のなかで再確認した。
「なんで出ないんだろうね」と僕は言った。
「普通に出たくないだけなんじゃない?」ととりまちゃんは答えた。
Oー1をあきらめるような人間にだけはなりたくないと、あらためて僕は自分に言い聞かせた。

〈続〉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?