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私このままでいいの?日本脱出計画いざフィリピンへ🛫~現地に行ったら想像以上の人生が待っていた~

人生初めての海外がフィリピン留学のふー🐮です。

初めてのパスポート作成、初めてのでっかいキャリーバック、大人になってからの再勉強、知らない人との共同生活、話せる英語は  ”Hello, my name is Fu-."だけでした。


初めての留学説明会でがっかりな思い

留学って何をするんだろう、漠然と英語が話せるようになりたいと思ってたけど、
大手の留学説明会に出たら某学校ブースで「留学で何がしたいの?」私が聞きたいんだよって何も聞けずにブースを去った記憶があります。

フィリピンってどんな国?
自分に合うかわからない…
長期で仕事が休めない…
お金もない…

とりあえず2週間行こう!それで大丈夫だったら次は4週間行こう!そしてその次は…!と腹をくくりました。
期間が決まった次は、留学する場所だと思い、当時東京にまみれていた私は都会脱出に希望を見出していました。

私の中の東京イメージ:あふれる情報、そこからの取捨選択、満員電車、イライラしている人達(自分も)、いつも何かに追われている感覚、何かしていないとダメな気がする感。

当時フィリピン=セブというぐらいしか知りませんでした。でも都会から離れたい私は行きたいとは思えず、でもみんな行くし、、と先に旅行を決心しました。

くすぶっていた自分の背中を押したのも自分

セブ旅行~クラークチラ見~バギオ観光~マニラから帰国

セブ島に2泊して、体験ダイビングをし、ダイビングショップに教えてもらったステーキ屋さんにて舌鼓、ちょっとだけ贅沢なホテルに泊まりました。
それから国内線でクラーク空港まで飛び、(この時になんとなくクラークの雰囲気をつかめた気でいました)バギオへ日帰り観光に行きました。
セブとは変わり涼しく、🍓いちごも食べられました。(甘酸っぱい)
マニラ空港まで戻り、東京へ帰ってきましたが、セブは旅行で満足してしまい、留学先の選択肢から排除されたのでした。

留学先の主なエリアと言えばセブ、バギオ、クラークと聞いてたので、この3つをなんとなく見に行ったのですが、私の条件にはまったのはクラークエリアでした。

=私の留学先条件=
・都会じゃない
・各観光地へのアクセスが便利(どこにも行きませんでしたが)

そもそも低基準ではあります。
語学力がないので、どんな方に教えてもらっても私よりは英語力があるだろうと思っていたので、講師の質や、カリキュラムにこだわりはなかった記憶です。


クラーク空港周辺は一人で歩けるほど、誰もいない 歩道もあってお散歩にGood

高度経済地区クラーク

アメリカ米軍基地の名残で広大な敷地に空港や街がぽつんとあります。アメリカ軍の占領時期にピナツボ火山の噴火があったことから撤退し、フィリピン奪還の話を聞いたことがあります。基地の跡地を開拓し大きな公園、広い道路、軍機の観光施設など片田舎の観光地のような雰囲気です。
街を歩くと退役兵隊さんとすれ違うこともしばしば。
そう、この高度経済地区内は治安がとても良く、車通りも少なく、一人で歩けるほど平和を感じました。

現地の治安

クラーク地区はゲートに囲われており、限られた車しか入られないようになってます。
ゲート内は治安がいいと話しましたが、スーパー周辺には親子で屋台を出していたりして、しつこくキャッチが付きまとってきます。。胸が痛くなりました。
ゲート外に出るとアンヘレスシティとローカルな街並みが広がります。時折、ファストフード店やショッピングモールの裏手通りなどにストリートチルドレンを見かけるので所持品に注意は必要です。

日本を離れ異国の地に足を踏み入れているのだから、治安がいいとはいえ警戒心は常に持っていました。そのおかげか、3カ月の留学期間中スリや、ひったくり、強盗に合うことはありませんでした。

現地で学校スタッフになることに

年齢的にもワーホリは期限がギリギリで、留学後の計画があいまいだった私は、留学延長を計画してました。ですが、夏の時期に差し掛かり、どこも満室状態に。。帰国して仕事に戻るのもいいのですが、もう少しフィリピンにいたいようなそんな気持ちでいました。その折、当時の学生スタッフに「私の後任になりませんか?」と声をかけてもらいました。

現地スタッフの仕事

現地の留学生のサポートは主に二つ。
・生活のサポート
・学習のサポートです。
フィリピン留学のスパルタ校はルールが多いです。とてもじゃないけど数時間のオリエンテーションでは頭に入りません。よって、学生にリマインドをします。
忘れると内申点が下がる系、欠席になってしまう系などなど。
それ以外にも、違反した学生の退学手続きや、神経すり減ることもやってきました。
あっという間に半年がたち、そのまま日本人窓口を担当することになったのです。

30歳を過ぎて仕事が変わるとは思っていませんでした。ワーホリを諦めていたため、似たような経験ができてうれしかったです。
日本人窓口の仕事
・日本人学生の受け入れ
・学生スタッフの育成
・現地のSNS発信など


為せば成る為さねば成らぬ何事も、ってな

最後に:漠然と留学しに来ただけだけど…!

当初は、半年の語学留学計画でした。ただ自分の武器が一つ欲しいだけで、留学を決意。その後はまた日本に帰って、外国人対応等をするんだろうと思っておりましたが、現地で日本人職員一人だけの環境になるとは想像以上の出会いでした。留学だけでなく、英語環境で仕事をするのは、英語力がこの上なく伸びました。
留学に行く理由は様々で、年齢層もどんどん広がっているフィリピン留学。
物価高騰と円安の影響はありつつも、まだまだ英語ができない私たちにとって、コスパ重視のご近所留学になるのではと思います。

フィリピン留学に少しでも興味がある方はお気軽にご相談ください👍


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