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ナースが逝く

ルミさんは、「このワゴンを片付ける仕事があってよかった!」と言われた。
このワゴンというのは、彼女の部屋にある医療的処置をする為のガーゼやテープ、点滴などの物品が整理されているワゴンだった。
この聖域は、自分にしか管理できないということを周りに主張しているようにも見えた。毎回、なぜか微妙に位置が変わっており、「ガーゼはどこにありますかねぇ?」と伺うとちょっと嬉しそうに「ガーゼはね、ここよ」と教えてくれた。

後にご主人から「ちょっとせん妄状態みたいで夜になるとずっとワゴンの整理をしているんです」と伺った。
ベッドにいる時間がほとんどになってきたルミさんにとっては大切な仕事だったのだと思う。
私達は、自分の生産性や存在価値があると言うことを確認しながら生きている部分もあるのかもしれない。

ルミさんは、60歳を過ぎても看護師としてバリバリ仕事をされていた方だった。
「食べれなくなってから病院に受診するのが怖かった。絶対いいものじゃないんだろうって想像がついたから」と言われていた。
そしてようやく受診した病院では消化器がんでかなり進んでいると告知を受け、化学療法も受けていた。
治療で髪も抜け、体力も落ち、治療判定も効果がなかった。そして、自宅で過ごしたいというご希望でご主人のいる昭和の一軒家に帰って来られた。窓から見える木から鳥の声が聴こえるそんな日常に帰って来ることができた。

ルミさんは毎日点滴をしていたけど、その水分はどこに行ったのか、肌に水分はなく骨と皮膚の間にある少しばかり残っている筋肉を使って点滴台をコロコロ動かし、ギリギリ、トイレには行けた。

私たちの前だからなのか何をするにもルミさんは、結構なスピードで動く。いや、動こうとしている?
いやいや、そんなに速く動かんでも・・・と思うこともしばしばであった。
手を動かすのもとにかく速い。
「ルミさんは、お仕事ができたかたなんでしょうねー」というと「そうねー、仕事は速かったわねー。せっかちなのよね」とちょっと嬉しそうな顔が見られた。

ルミさんは私が訪問すると毎回のように「にゃむさんの顔をみるといつも眠くなってくるのよねー。安心するみたいで」と言われていた。「それは私がぼんやりした顔だからじゃないですかー?」と笑って返した。

ルミさんは、痛みが強くなり麻薬の量も増え、夜間のせん妄も少し増えてきたのでこれからのことも考えないといけない時期になっていた。
ある時、ルミさんに今後のことについてどんな思いでいらっしゃるのかを確認した。
すると「前にもにゃむさんと話すとめちゃくちゃ穏やかな気持ちになって凄くホッとするから眠くなるって言ったでしょ?でも同時に現実も見なきゃなっていうことを思い出してしまうの」と正直に言われた。
「そうですよね。誰もこんな話したくないですよね。苦しくなりますよね」というと
「いや、でもわかってるの、こういう話もしなきゃいけないってことは」と。
これからのことを丁寧に一緒に考えていきたいと思っていた。

私達の訪問看護は受け持ち制ではないので、他の看護師も行っていた。ルミさんより若い看護師ばかりなので大先輩にこういう内容については話しにくさはあるのかもしれない。
だから私は年の功ということで・・・。

「本当はギリギリまで自宅にいたいの。」と言われた。

その後に

「実はね、病気が発覚する前に主人とは離婚をする予定だったの」と言われた。

え、

え〜〜⁈

とても衝撃的な発言だった。

なぜなら私たちにはご主人はとても献身的に介護をされているように見えていたから。
ご主人は、バリアフリーになるよう床の養生やコンセントのコードをきれいにまとめてくれて躓かないような配慮が至る所に成されていた。
きれいに掃除されたとても住みやすい空間がルミさんの療養の場であった。

ご主人とは、ルミさん抜きでお話しすることもあった。
ご主人とだけお話しすることについてはルミさんには一言伝えていた。
ご主人の気持ちも伺ったりしたいのでルミさんのいないところでお話しを伺うこともありますが、ごめんなさいねと伝えると「主人の気持ちも聞いてやって。ありがとう」と言われた。ご主人は離婚のことは一切言われなかった。
ただ夜間のせん妄を心配されていた。
「僕はあれしたらダメ。これしたらダメって言い過ぎなのかなぁ」などルミさんへの接しかたにも悩まれていた。ご主人としては、色々言うことは、釈迦に説法なのではと思われてる部分もあり、その部分を保ってあげることは看護師を長らくやって来られたルミさんの尊厳にも繋がっていたと思う。
冒頭の医療用のワゴンのようにルミさんのやり方を尊重してくださった…こういうこともケアなのだと思う。

思えば、最初の頃、ご夫婦にちょっと違和感があったのを思い出した。
パキパキとしているルミさんなのに何かを決める時「主人に聞かなきゃ」と全部ご主人に聞いていた。
あとで考えるに離婚が決まっていたにもかかわらず自分のお世話をしてもらうことになってしまったことへの申し訳なさもあったのかなぁとも思った。
そして、ルミさんのお顔の眉間の深い皺が数本あったのがなんとなく気になっていた。歳を重ねれば眉間に皺は出てくるし私にもうっすらある。
人相学はよくわからないけど悩みが多かったのだろうなぁと感じた。

申し訳ないという気持ちの反面、ルミさんは、もう一つの感情もあったようだった。
ルミさんは、「夫のせいでこの病気になったと思ってる」と言い切っていた。
夫のために苦しんできた人生だったという気持ちがベースにあり、最期まで夫に看させたいとも思うとも・・・。

なんだか怖いこと聞いちゃった的な気持ちになったが、それがルミさんの正直な気持ちだったのだろう。
ルミさんの気持ちも理解はできる。
言いにくい内容を話してくださったことに対してお礼を伝えた。
そして、こう続けた。
「ただね・・・ルミさん、人生の最期は恨んで終わらない方がいいのかもしれないと感じるんですよね。最初は好きで一緒になった方で、道中いろんな思いはあったと思います。ルミさんのお話を伺って、お気持ちもよくわかりました。相当辛い思いをされたんだと思います。最期は“ありがとう“のほうがきっといいんじゃないかなぁって感じました。」と私も正直にお話しした。
「そうよねー」と実はルミさんもわかっていたように目を瞑った。
申し訳なさと恨みたい気持ちのアンビバレントな感情が同居している状態だった。

私は、今回の人生をまもなく終わろうとしている方に一つの質問をすることがある。
「これまでの人生の中で後悔していることとかはありますか」という質問。
こんな質問をして嫌な気持ちになるかたもあるかもしれない。なんでそんなことをあなたに言わなきゃならないのと言う気持ちにもなりかねない。

だから「私も自分の人生を常に振り返ったりして悩みながら進んでいますが、この質問の答えを頂くことで沢山のことを学ばせて頂いています」と言うようなことをお伝えすることもある。

私自身の人生の学びとして知りたいということもあるけど、もう一つは、辛かった部分をほんの少しでも昇華させてあげられたらいいなぁという思いもあった。
思い上がりかもしれないけど。

これには1つのきっかけがあった。
以前、ホスピスで働いていた時にあるおじぃさんの自叙伝作成を買って出たことがあった。
その方は、呼吸困難もある中、自叙伝作成を喜ばれその中で人生の後悔について色々と語られた。要は、たくさん女遊びをしてしまい妻に申し訳ないことをしたということを懺悔したかったようだった。「最期に言えて良かった。聞いてくれてありがとう」と酸素マスクを少し持ち上げて言われた。ずっと亡き妻に対して申し訳ないという気持ちを持ったままで苦しかったのだと言われたけど、ちょっと気持ちが開放されたのか眼を潤ませながら微笑まれた。いい顔だった。
自叙伝は、ギリギリ間に合い、遺された家族に渡して欲しいと言われた。
女遊びして迷惑掛けたって書いてあるけどいいんですか?と確認したけど、心の中に遺したままの方が辛いのだと言われた。
そのおじぃさんは、自叙伝が出来上がると安心したように天に召された

このような経緯がありこの質問をしているのだけど、ルミさんにも同じ質問をしてみた。そうすると意外な答えが返ってきた。

「私ね、もっと人に優しくすれば良かったっていうのが後悔ね。私は、仕事がまーまーできたからゆっくり仕事している人とか鈍臭い人を見るとすごくイライラして意地悪していたのよね。こうやって自分が看護を受けるようになって皆さんが本当に優しくて細やかなケアをしてくれてるのを見て自分は嫌な人間だったなぁと思ったわ」と言われた。
もっと手前で気づくのもよかったのでは?とも思うけど、こんなふうに正直な気持ちを伺うと、人は、こうやって最期にパズルのピースが合ってもいいんじゃないかなと思えた。

ルミさんの体調は少しずつは下り坂になっていたが、まだ家で看れなくはなかった。ただご主人が限界だったようでご主人からホスピスの話が出た。
ご主人が提案したホスピスは、「遠いからきっとこっちにしたのよ」とルミさんは少し拗ねた口調で言われた。「にゃむさんはどっちがいいと思う?」と聞かれたので、私も少し遠いもののご主人が提案されたホスピスの方が断然いいと思ったことを伝えた。
すると、あっさりと「じゃ、そっちにするわ」と笑って言われた。

ご本人の体もさらにキツくなりご主人の介護負担も増えるとさらに関係性は悪化する可能性もあるため、今、穏やかに夫婦の会話ができる今がちょうどいいタイミングなのかなとも思った。

そこには「本当はもっとギリギリ作戦でいきたかったけどね」と言いながらも全てを受け入れたルミさんがいた。
ホスピスに入って2ヶ月後にルミさんは旅立たれたと聞いた。
どんな最期だったのだろうか。
穏やかに過ごせたのだったらいいなぁ。
今まで誰かのお世話をしていた人が誰かのお世話になる…とても複雑なお気持ちだったと思う。
私の最期は、どんな風だろう?とルミさんに重ね合わせて思った。
あちらでもパタパタと動かれてるのかなぁ。

今回も沢山のことを学ばせていただいた。
人生の後悔に気付いたなら動きなさいと教えてくれている気もした。

精一杯ご自分の人生を生き抜いたルミさんに心よりご冥福をお祈り致します。



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