【漫画レビュー】「推したブルーは君の色」
こんにちは、チェ・ブンブンです。
先日、自分のYouTubeの立ち絵やアバターを手がけた漫画家《ながみちながる先生》(@nagamichinagaru)が、新刊「推したブルーは君の色」を出版されたので早速読んでみた。今回は、本作のレビューを行なっていく。
あらすじ
群としての眼差し、個としての眼差しを向けられても……
本作はタイトル通り、『アデル、ブルーは熱い色』を意識した「間合い」の作品である。街中でチラシ配りをしている文化系アイドル《さんぶんし》の青猫朔良に一目惚れする国語教師・犬井。彼女の積極的なアプローチにより、ライブ会場へと誘われる。惚れた女性の積極的なエスコートに、感情が抑えきれなくなる彼だったが、青猫は「チワワくん」と微笑む。青猫の一連の行為は手慣れた営業であるのだが、そうと薄々わかっていても熱中してしまうファムファタールっぽさ、70%の引力で手綱を握る感覚はまさしく『アデル、ブルーは熱い色』におけるエマに近いものを感じる。
ただ、一般的にファムファタールものは魔性の女の本心を隠蔽する方向へ転がすのだが、こちらではアイドル論と絡め、その営業的でありながらも惹き込まれてしまう笑顔の裏を語っていく。青猫は楽屋で次のように語る。
「誰も私のことなんて見てないけどね」
アイドルは壇上で多くの眼差しを向けられる。その眼差しは《さんぶんし》という群に対してかもしれないし、メンバー個人に対してかもしれない。ただ、個人の「本心」にまでは眼差しが向けられないことを示唆している。設定されたアイドル像の中に身を隠し、自分の内面は秘匿される。もちろん、活動の中で露見することはあれども、本当の闇は見せない。たとえそれが、メンバーであっても。
漫画は映画以上にフレームを意識させる。ひとつのページに複数の画を提示し、視線の誘導、フレームとフレームの関係性によりアクションや感情を抽出することができる。青猫が上記のように吐露するのに説得力を与える描写がある。それは株式会社ノーサンキューミュージック野津田から枕営業を仕掛けられる場面にある。青猫だけ呼び出さされ、ホテルの鍵を渡される。大きなロックフェスへ参加できることに喜ぶメンバー。しかし、その代償は青猫が彼と寝ることであった。このことをメンバーに語ったらがっかりさせてしまう。そう考えた彼女は、ホテルの鍵を背中に隠す。その際、鍵だけフレームの外側の闇へと追いやるのである。
境界線による心理描写
また「推したブルーは君の色」では、空間における境界を強調する描写が多いのも特徴である。教室の教壇と生徒側、ステージの壇上と客席、そして図書室のカウンターの外側と内側。これらをロングショットとクローズアップを極端に交差させることにより、間合いの近さによるスリリングな関係性を強調することに成功している。
実際に、青猫の葛藤として本心に対する眼差しの少なさがあるのだが、文学による繋がりによって犬井へ好意を抱き、大胆に歩み寄る。この大胆さは、作中に張り巡らされた境界があるからこそ「そこを超える」運動に力強さが表れているといえるのだ。特に、ステージにおけるロングショット。ステージ上の神聖化された存在として遠巻きに観るショット。対して、密着的なショットがある。まるで天使が地上に降りてきたかのような運動がそこにある。そして4巻におけるある場面では、この境界による構図が融解する大団円をむかえるのである。
最後に
あとの部分はネタバレになってしまうので実際に購読してみてください。
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