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「バランス」という言葉を使うのはどうかと思う

2023年6月にInstagramにてこちらの記事が引用され、安井さんの添削によってより一層良い記事に生まれ変わったので私自身この記事を再度添削して新しくしてより多くの方に読んでいただけるようにできたらと思います。



バランスという言葉を辞書で引くと、

【バランス】
釣り合い。均衡。また、調和
(例)「左右のバランスが悪い」「バランスのとれた食事

Wikipedia

「国語辞典の定義はロクな定義じゃない」という言葉が好きでつくづくそう思いますね。

ある子どもが自分が肉を食べるせいで動物がバラバラにされてしまうことを知り、泣きながら動物はもう食べたくないし、みんなにもバラバラにしないでほしいと両親に訴える映像がSNSで拡散されています。

そう訴える子どもに対して私たち大人たちが返してきた反応は以下の通りなんですよね。(だいたいどれかに当てはまると思います。)

「○○ちゃん(子ども)に食べられるために動物さんはバラバラにされたんだよ、食べてあげないと動物さんがかわいそうだよ。感謝して食べよう。」

とか、

「動物さんは○○ちゃんに美味しいって言ってもらうために生まれてきたんだよ。」

とか、

「ライオンさんはシマウマさんを食べてるよ。」

とか、

「○○ちゃんが食べなくても動物さんは捨てられちゃうんだよ。」

とか、

「可哀想なんて思っちゃダメ。この世は食べて食べられる世界なんだから。」

とか、とにかく子どもに共感する気0、子どもの意思を尊重する気0、子どもを論破しようとする気満々で傲慢すぎる態度を取ってきたんだと思います。

慈悲(かわいそうだと思う気持ち)の心だけは最優先すぎるし、何人たりとも否定することはできないはず。誰かが誰かを可哀想だと思う気持ちほど大切にしないといけないものはないと私は思います。

バランスなんて知らない子どもに対してこの世の全てのことを知ったような態度でバランスという言葉を使ってくる傲慢な大人もいて、そりゃ子どもに殺される親がいても不思議ではないなぁと思いますね。

【参考資料】

バランスなんてカッコつけんな

子どもの世界はカッコいいかカッコよくないか、可愛いか可愛くないか、好きか嫌いか、楽しいか楽しくないかの二択の世界だったりします。

だから可愛いケーキ屋さん可愛くてカッコいいプリキュアカッコいい仮面ライダーに憧れるわけですよね。

「良い悪いじゃない、バランス」
なんて言葉が子どもに通用すると思ってんのか?

って私は思うんですよ。

通用するわけないんですよ。

そもそも良いと悪いの中間なんて存在しますかね?
良いか悪いかのどちらかに分けられるはずなんですよ。

だってアンケートだって、

良い/どちらかというと良い/わからない/どちらかと言うと悪い/悪い

といった感じで分けられるんですよ。

わからない、どちらとも言えない
というのは今の自分では物事を分けられないという意味だと思ってます。

参考資料の中の大人の正体というか本音というか実態はバランスではなく、【わからない】=(自分の脳みそでは分けられない)が正しいと思うんですよ。

そいつは【わかってない】し、物事を【分けられない】ってこと。それなのにバランスという言葉で誤魔化してるってことなんじゃないかと思うんですよ。

「何事もバランスが大事」という言葉にやたら感動する大人は多いけど、子どもは違います。

子どもはバランスが取れてない事の方に惹かれていく性質があったりします。画用紙にはみ出るほど大きな絵を描いたり、色んな色を少しずつ使わずに好きな色だけで全て描こうとしたり、バランスなんてクソ食らえと言わんばかり!

もうここまでくると、私のようにバランスという言葉自体を嫌いになってくるでしょう?

子どもの世界から見た大人って本当にクソだなって思います。

だって動物が可哀想か可哀想でないかの二択で答えてくれないんですもん。

子どもから見た大人は確かにバランスの塊かもしれません。

誰かの味方に立つのではなく、どちらの意見も少しずつ取り入れてどちら側からも嫌われないような安全なところに身を置いたりするのもバランスですよね。そんなこと、子どもにはできません。


もしも動物が話せたら誰もバランスなんて言葉は使わないだろう


ところで長生きする生命体ほど厳格でバランスのとれていない生き方をしてることはご存知でしょうか。

例えば何千年何万年と生き続け、人間を見届けている木はたった3種類の栄養素しか摂取しません。
たった窒素、リン、カリだけです。

何千年何億年もの間の中で樹木が「そろそろ肉を食うかな?」と言い出した事なんて一度もないし、食虫植物が誕生したとしても樹木同士が「食虫植物だって虫食べてますよ」とか言うわけないですしね。

樹木は窒素、リン、カリ以外のものを絶対に体内には入れないし、他の栄養素を拒絶します。

それが彼らの掟なのかもしれません。

このように木をはじめとした、厳しい自然界で生き残り続ける生命体は栄養素に関して絶対的ルールがあって、それを破ろうとした事なんて一度もないんです。

樹木は分けることができます、窒素リンカリとそれ以外に。ローランド風に言うと「窒素リンカリか窒素リンカリ以外か」なんですよね。

分けることができるのであれば分かるんですよ。樹木は分かることができる存在なのだと思います。

氷河期が来ても干ばつが襲ってきても窒素、リン、カリ以外を拒絶する勇気って凄いですよね。まさに過激。植物ほど過激でカッコいい存在はいないんじゃないかと思います。

言葉の綾みたいですが、バランスを取らないことこそがバランスになってるのです。

植物が言葉を話せたらこう言ってるんじゃないですかね。

「分かってない奴がバランスを取りたがるんですよ。分かってない奴が常識(バランス)に従うんですよ。」

と。



そんなこんなで私はバランスなんて言葉は絶対に使いたくないですし、バランスの取れてないモノやコトやヒトに興味津々です。

草食動物は一日中草や穀物を食べていて人間のようにバランスよく色んな野菜を食べたりしてないんです。

だから医者とか管理栄養士とかは色んな野菜を食べるように促すけど私は草食動物から学びたい人間だから穀物を真面目に食うことにしてます。

馬には馬の穀物の定義があり、鶏には鶏の穀物の定義があって、馬が鶏に向かって「とうもろこしの食べ過ぎは消化に悪いよ」なんて言わないんですよね。

日本人にとっての穀物は玄米と大豆ですから、他の国の人に消化に悪いなんて言われる筋合いはマジでないと思ってます。

とにかく、哺乳類の分際で自分より体温の高い恒温動物の肉を食うなんてことは絶対にあってはならないし、それを世界で初めて禁止できたのは日本だけです。

日本の昔の法律というのもバランスとは無縁な過激でまともなものだったんだなぁと思います。

私の人生にバランスはマジで必要ないなと思いました。

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