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【選挙ウォッチャー】 高浜町議選2019・狩りガール議員のFacebook問題。

本来なら、Twitterで一言だけ物を申すぐらいで終わったような、軽いスキャンダルでした。あんまり小さいことにまで小姑のようにガタガタ言うのもどうかとは思いますが、ダメなものはダメなので、一言だけ物を申して終わろうかと思っていたのです。ところが、「彼女は何も悪くないんだ!」と主張する人たちが次々と湧いてきて、しまいには「狩猟に対する冒涜だ!」とか言いながら、「テメエに言い分があるんだったら記事でも書けや!」と言ってきたので、記事を書いている人間に対し、ギャラももらえないのに記事を書けと言っていることも僕に対する冒涜なんですが、こういうヤバいオバサンにもキッパリと物を申しておかないといけないと思うので、しっかり5000文字以上の記事にさせていただくことにしました。喋るだけならどれだけでも喋れるのですが、5万文字も書いていられないので5000文字目安で、しっかりまとめたいと思います。


■ 狩りガール議員のFacebook

事の発端は、高浜町議の児玉千明さんが手脚を吊られて腹をかっさばいた熊の横でおちゃらけていたり、皮をすべて剥かれて吊されている獣の隣で変顔をしていたり、こうした空気の読めない写真をFacebookにアップしていたことで、動物愛護団体をはじめ、不快に思った人たちの抗議をたくさん受けることになり、炎上したのです。僕も問題となっている写真を拝見させていただきましたが、抗議する人たちの気持ちはわかります。それで辞職するほどのことではないけれど、不快に思う人たちの気持ちはわかる。その理由は、かわいい熊ちゃんを殺しているからではありません。あまりにグロテスクな姿になってしまった鳥獣の横で、まるで喜んでいるかのような表情をしているからです。こういうことを言うと「釣った魚を喜ぶのもダメなのか」とか言ってくる人がいるのですが、炎上の決め手は「腹がかっさばかれた獣の横で、その人がどんな姿なのか」です。


■ グロい姿になった獣を喜ぶ神経

大きな魚が釣れたら嬉しいように、猟師の皆さんにとっては大きな熊を獲れたら嬉しいことでしょう。熊を撃って殺して、それが大きな熊だったからと言って喜んでも、おそらく多くの人はそれで批判するようなことはありません。体長2メートルを超える大きな熊を撃ったんだと言って、倒れた熊の横でピースをしながら写真に写っていたとしても、きっと誰も文句を言わなかったことでしょう。では、どうしてこんなに炎上しているのかと言うと、熊のおなかを引き裂き、内臓を取り出した状態を晒し、その横でおちゃらけたポーズで写真を撮ったり、皮をすべて剥がれて無残な姿になった鹿の横で変顔をキメていること。この状態の動物を晒すことでさえ躊躇される中にあって、おちゃらけた写真をアップしているのだから「命に対する尊厳はないのか!」と言われるのは当然のことです。誰かの葬式の前でダブルピースをしながら写真を撮っているようなもので、分別のつかない小学生が写真を撮ると聞いて条件反射でピースしているのとはワケが違うのです。「マグロの解体ショーはいいのか?」と言ってくる人がいますが、マグロの解体ショーはしても、イルカの解体ショーはしないのです。四つ足の動物の解体ショーは可哀想に見える。多くの人は望んでいないということです。おまけに、マグロの解体ショーだって、今、「日本はグロい」と言われつつあるわけで、いずれマグロの解体ショーもなくなるかもしれません。重要なことは「マグロさんが可哀想だからマグロを解体するな!」と言われているわけではなく、「ショーをするな」と言われているということです。それで言うならば、腹をかっさばかれた状態の熊を見せることはショーに値するし、それにつけているキャプションの言葉が「オイニーに興奮!」なのですから、またぎの商売をしている人にとってはそうなのかもしれませんが、焼いた肉に対して言うならともかく、手脚を吊して腹をかっさばいた状態で言っているのは生理的に気持ち悪いのです。


■ 命に対する尊厳はあるのか

熊を殺すのに、いちいち涙を流しながら「熊さん、ごめんね」とか言いながら撃てと言っているわけではありません。包丁を入れるのに、いちいち「成仏してね」と言いながらお祈りしなさいと言っているわけでもありません。しかし、我々は「と殺現場」というものを見ることはありません。今日もどこかで牛が殺され、豚が殺され、鶏が殺され、お肉として出てきています。動物がどんどん殺されているところなんか見せられたら、お肉なんか食えなくなってしまうということもあるのですが、見せないことが命を奪われる動物に対する尊厳だったりするわけです。熊や鹿といった料理は猟師がさばくのが一般的で、もちろん、今日も日本のどこかで猟師に撃たれた鳥獣がお肉になっているのでしょう。そのお肉になる工程を積極的に見たいわけではないし、仮に見せられるとしても、落ち着いたトーンで見せてくれないと、熊さんが可哀想です。戦争カメラマンが大量の死体の写真を撮るにしても、本来ならそんなグロい写真を見たくないのだけれど、これが現実であることを受け止めるために覚悟をもって見る。その時を現実を淡々と伝えてくれるのなら死体の写真を見られるけど、「これがシリアでーす!死体めっちゃあるー!」で変顔をキメてごらんなさいという話です。それが動物であった時、腹をかっさばく前だったら何の問題もないのかもしれないけれど、腹をかっさばいた状態、あるいは、毛皮をすべて剥がされた状態で楽しそうにされたら、モヤモヤするのは当然ですし、動物愛護団体が「命に対する尊厳はあるのか」とクレームを入れるのは当然です。

どこまでがOKで、どうなったらNGなのかも分からないような奴が議員をやっているなんて地獄でしかないので、そりゃ「辞めろ!」という人がいても不思議ではありません。「こんなことぐらいで議会に注意されるのは行き過ぎだ!」と言っている議員もいますけど、注意ぐらいはされるべきでしょう。ご本人は「残酷なイメージを変えたかった」と言っていますけど、こんな写真をアップしたら残酷さが際立つじゃありませんか。動物を殺しておいてなお、その横で人間がヘラヘラと変顔をキメているんですよ。こんな奴に趣味程度の感覚で殺された熊の立場を考えてください。はっきり言って、この写真は「猟奇的」です。シリアの死体の前でピースしている奴のちょいマシぐらいでヤバいです。そんなことぐらいは自覚していただきたいのです。そんで、本来ならTwitterで「何言ってんだ、オマエ!」ぐらいで済んだはずの音喜多駿センセイが巻き込まれて被弾するのです。


■ 擁護する人々の論理のすり替え

児玉千明さんを擁護する人たちは、まず「狩猟を否定するのか?」というテンションで入ってきます。誰も狩猟を否定していないし、熊や鹿を鉄砲で撃ち、それをさばいて食べることも否定していません。この問題は動物のグロテスクな姿を晒していることに加え、あの表情が問題になっています。殺した熊や鹿の前でなければ変顔をキメていても問題がないし、動物のグロテスクな姿を晒していてもキャプチャーとなる文章が真面目で、隣に誰も写っていなかったら問題にならなかったことでしょう。乳がんの研究のために女性がおっぱいを晒している写真を見せられても「学術目的」と解釈され、あえてモザイクを入れる必要はないと思いますが、綺麗なAV女優のお姉さんがなまめかしい表情をしながらおっぱいを出して写真に写っていたら、それはアダルトコンテンツと考えられるのと一緒です。両方とも「おっぱい」であることには変わりがないのに、片方は隠す必要もなく堂々と出せて、なんなら「勉強熱心で素晴らしいですね」と言われるのに、片方はアダルトコンテンツとして扱われ、女性の前で見ていたらセクハラだと言われるのです。この違いを当てはめてもらえば、ちょっとしたニュアンスの違いで、同じはずのものがまったく別の物に見えるということがわかると思います。おそらく「このように切れば綺麗に肉を切り取れるのです」と言っていれば学術目的になりますが、さばかれて無残に吊されている横で白目をむいてふざけているのです。どこからどう見ても猟奇的にしか見えません。「猟師なんだから肉をさばくのは日常だ」と言ってくるのですが、そんなことが許されるはずがないのです。乳房にしこりがないかを検査する医師が真面目に触診していれば「検査なんだ」と思って女性も納得すると思いますが、「乳輪様がナイスなカラーでございやすね、ペロペロさせていただきたいもんでございやすね、さーて、触らせていただきやーす!」と白目をむきながら言ってくる医師がいたら、とんでもない「変態」です。児玉千明さんがやったことは紛れもなく後者であり、「いいオイニーがする!興奮!」とか言っているんですから、完全にヤバい奴です。つまり、TPOをわきまえろということです。ましてや、それをFacebookにアップしていたというのですから、議員としては脇が甘すぎるし、見つかって炎上するのは当然のこと。「ペロペロさせていただいたいもんでございやすね」の医師がいたら「今すぐ辞めろ!」と言われて然るべきですが、議員も同じです。その線引きを理解できないような判断力の人間は議員としての資質に欠けているので、「今すぐ辞めろ!」と言われても不思議ではありません。


■ 日本に増える「心のない人々」

日本は今、どんどんと「心のない人々」が増えていると思います。「何が悪いのか分からない」と公言する人たちがいますが、そういう人たちは、だいたい新自由主義者だったりします。人が貧乏になるのは努力しなかったのが悪いのだから自業自得だという理論を進める人です。環境的要因を根性で打破できると思っているタイプの人たち。こうした心のない人々には大抵、これの何が悪いのかが分からないのです。動物にも命の尊厳が必要だなんて、動物はしょせん動物なので、命の尊厳なんて必要ないと言ってしまう。しかし、それがまかり通るようになると、猫を思いっきり蹴飛ばしても良いことになります。なぜ猫を蹴飛ばしてはいけないのかといったら、猫にも命の尊厳があって可哀想だからです。今日もどこかの保健所で猫が殺されていると思いますが、死んだ猫の横で白目をむいてふざけたりはしません。ジビエは牛や豚よりも動物感が強いです。鳥獣被害を防ぐためには殺さなければならないのかもしれませんが、倒れている熊の横でふざけているのではなく、腹をかっさばかれた状態の熊の隣でふざけているんですから「心がない」と思われて当然でしょう。昔の日本はそんなことじゃなかったはずなのに、「保守」を自称する「美しい日本」とか言っている人がコレなのですから、ひょっとすると、この国は手に負えないのではないかと思うのです。


■ 選挙ウォッチャーの分析&考察

福井県高浜町では4月21日に高浜町議選が行われます。当然、ここに児玉千明さんは立候補してくることでしょう。議員としての実績はそれぞれ町で暮らしている方々が判断するのだと思いますが、高浜町は高浜原発のある原発立地自治体です。児玉千明さんのような地元議員の判断によって、原発が再稼働したりするわけです。高浜町で原発に反対しているのは共産党の議員1名だけなので、児玉千明さんは原発推進派ということになろうかと思いますが、どんな写真はセーフで、どんな写真はアウトなのかという判断ができない人間であるということは、今回の炎上騒動で露呈することになってしまいました。そして、こうした判断能力に欠けている議員が原発の再稼働をはじめ、さまざまな行政判断を迫られた時に、本当に正しい判断ができるのかということについては「わからない」ということになってしまいました。もし高浜原発が再稼働の末に事故を起こし、関西圏に大きなダメージをもたらすようなことがあるのだとすると、果たして、こういう人たちを議員にすることが正解だったのかどうかということが大いに問われることになります。狩猟が趣味の一般人の姉ちゃんであれば何の問題もなかったのだと思いますが、児玉千明さんは議員なのです。しかも、もともと残酷で有名だった小坪慎也センセイをシェアしていたり、NHKから国民を守る党の川西市議でヘイトおばさんの中曽千鶴子の当選をお祝いしていたりするのです。どっぷりネトウヨです。日本の地方議員がどんどんこんな感じになっているということを多くの方が知るべきかもしれません。[了]

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