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私の職歴① 医療ソーシャルワーカー、ドヤ街に訪問に行った経験

ソーシャルワーカーの仕事の中に退院後訪問もあります。
一人暮らしの方など、在宅生活が心配な方を訪ねて生活状況を確認します。

その患者さんは、長年、建設現場で日雇いで働き、身寄りがなく、食事など生活の様子も影響してか、糖尿病で、脳出血を発症し、左半身麻痺の後遺症がありました。
彼の生活の場はドヤ街の簡易宿泊所。

発症後、生活保護の申請をし、リハビリ訓練で脚に補装具を付け、杖歩行が出来る状態で退院しました。
戻る場所は以前住んでいた簡易宿泊所の一室。
退院してからどうしているだろうと気になり、家庭訪問をすることにしました。

担当の生活保護のワーカーに連絡すると、
とても若い女性(当時、大学卒業2年目)が一人で歩ける様な場所じゃないから、と同行してくれました。熱心で心温かい担当者でした。


当日、初めて踏み入れたドヤ街。
ある境界を過ぎると、急に雰囲気が変わります。
辺り全体がオシッコの臭い、歩く人もまばらです。


患者さんが住む部屋に到着しました。
3畳もない部屋にポツンと座っていました。
顔を見せると笑顔で迎えてくれ、歩行の状態や食事の様子など尋ね、落ち着いて暮らしていることがわかりました。

今思えば、保護課のワーカーが担当がいて、私が遠方(片道1時間半かかります)から訪ねたところで、出来ることはあまりありませんでした。
生活状況を整える必要があれば、保護のワーカーが地域の病院に連絡したり、ヘルパー派遣も検討したでしょう。
リハビリ専門病院のワーカーが訪問して役に立つといえば、再入院の必要性があるか否かの状況確認くらいです。

それでも上司が私を訪問出張に出してくれたのは、訪問したいという駆け出しケースワーカーの心意気を汲んでくれたか、元患者さんにも刺激になると思われたか、私にドヤ街の現実を見て来いという親心か、その全部か。

今でも、その情景を思い出すと胸がいっぱいになり、こうして書いていても鼻の奥がツーンとしてきます。

そしてキレイ事抜きに、どの人生もどの命も等しく尊く、みんな一生懸命に生きている、と強く感じたのです。

これまでも、生活保護受給者のお宅にはたくさん訪問してきました。
でも、ドヤ街は、その時の私にとって衝撃的でした。

ほとんどの人が日雇い労働者か生活保護受給者。
低賃金で身体を酷使し、明日の雇用の約束もない。この人たちを働かせて利益を生み出す組織や人がいる。彼らは、いわば搾取された人たち。
教育を受ける機会がなかったのか、どこかで人生が狂ってしまったのか、そんなことを考えさせられます。

私だっていつ人生が転落するかわからない。
私が彼らになることだって、いや、全ての人がその可能性がある。
だから、私たちは助け合って、つながっていく必要がある、と今でも本気で思っているのです。


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