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[ショートショート] 春の夢:燈子の覚めない夢 | シロクマ文芸部

 春の夢に取り込まれると抜け出せないという伝承があった。

 桜の花のちょうど散る頃に、幼馴染の橙子とうこが眠ったまま目を覚まさなくなった。

 村人たちは春の夢に取り込まれたのだと噂をし、橙子の家に近寄らなくなった。

 春の夢はもののけの類の仕業だと思われていたのだ。

 橙子の家は母娘二人の貧しい家だった。橙子の母親は近所の農家の野菜を担いで都会まで売りに出る仕事をしており、家を空けることが多かった。

 僕は母親の代わりに橙子の様子を見に行った。

 橙子はこんこんと眠り続け、何日も何も口にしていなかったが、特にやつれることもなく、そのままの美しい姿のまま横たわっていた。

 それは紛れもなく春の夢の特徴でもあった。

 僕は眠っている橙子を何時間も見下ろして過ごした。
 幸い三男坊の僕には家の仕事もさほどなかったのだ。

 そうやって眺めていてもどうにもならないのはわかっていた。
 けれども僕は橙子から長く目を離すと、橙子が消えてしまうのではないかと、ありえない心配に取り憑かれていた。

 そんなある日、橙子の母親の不在時に不思議な男が訪ねて来た。

 彼は春の夢の犠牲者を治療するために全国を旅している術師だと自己紹介をした。

 術師は橙子の様子を見ると、今すぐ治療を始めないと取り返しのつかないことになると言った。
 あまりに夢に深く入りすぎると戻って来れなくなるというのだ。

 橙子の母親は街に出ていて数日帰らないことを術師に告げてまた来るように言ったのだが、それでは間に合わない、と彼は言った。

 そんなに切羽詰まった状況とはまるで知らなかったので、僕は慌ててしまった。

 緊急事態だと判断した僕は、すぐに治療を頼むことにした。

 費用のことが少し気になったが、使命として行なっていることだから料金はかからないと術師は言った。

「君はこの者の家族ですか? 治療をするために精神的に近い人の助けが必要です」

 術師が言った。僕がただの幼馴染であると答えると術師はそれでも構わないと言った。

「家族に近い関係であれば問題ありません。まさか嫌いあったりはしてないですよね?」

「彼女がどう思っているかはしりませんが、少なくとも嫌いあってはいないと思います…」

 これは僕の願望も少しは含まれていたかもしれない。…嫌われていないといいな…という。

「まあ、嫌われていたとしても、無関心よりは抗力があるでしょう」

 と術師が言ったので、僕はドキリとした。
 …無関心は、さすがにないだろう…。

「では早速始めましょう。時間がありません」

 術師は言いながらカバンの中からいくつもの道具を取り出して橙子の周りに並べた。

 そして僕には、橙子の横で寝そべるように言った。
 何があっても決して目を開けるなと念を押された。

 僕は言われるままに横になった。
 目を閉じると術士が奇妙な呪文を唱え始めた。

 その声を聞いていると、ぐるぐる回るような回転系の目眩が襲って来た。
 瞼の裏にモヤモヤした模様が見えた。

 とても気持ち悪くなってきたが、言いつけを守り僕はぎゅっと目を閉じた。

 しばらくすると、術師の声が途切れ、体の状態が落ちていくような感覚へと変化した。
 足ががくっとなり、僕は思わず目を開けてしまった。

 すると、僕は見知らぬ場所にいた。

 桃色や紫色の光が灯る薄暗い室内だった。
 僕はふかふかの寝台に寝そべっていた。

 驚いて起き上がると、そこに橙子がいた。

 彼女はやけに青白く光る簡単な作りの着物を着ていた。
 都会でたまに見かける洋服にもにているが、見たこともない服だった。

「何ぼーっとしてるの? とっととずらかるよ」

 橙子は部屋に一つだけある扉を開けて、外の様子を伺った。

 状況を飲み込めない僕が突っ立っていると、橙子はイライラした様子で僕の手を引き部屋から抜け出した。

 部屋の外はギラギラした光に積まれた廊下がどこまでも続いていた。

「まったく、あんたって人は。なんであんな怪しいものに手を出した? 何なのよ“スプリングドリーム”って…」

 橙子は怒っているようだった。だが、僕には事態がまるで把握できなかった。

 これは橙子の夢の中なのか?
 …いや、違う、夢を見ていたのは僕の方か?

 そうこうしているうちに、僕らの目の前にひとりの男が立ちはだかった。

 それはあの術師だった。術師はニヤリと笑うと、不気味なほどに落ち着いた声でこう言った。

「なるほど、これは見つからないわけです。こんなところに隠れていたんですね。間抜けな守護者で助かりました…」

 その言葉になぜかものすごく腹が立ってしまって、僕の身体の中から何か熱いものが湧き立つのを感じた。

 そして本能的に腕を前に出した。
 すると腕から火の玉が出現し、術師の方へと飛んでいった。

 術師は避ける隙もなく火の玉と共に吹っ飛んでしまった。

 目の前にはぽっかり穴が空いて、向こう側には何も無かった。

《Breach of contract》
《Game over》

 という女性の声が辺りに轟き、同時に文字が目の前に浮遊して見えた。

「もう、何であなたはいつもこうなのよ! 最初からやりなおしっ!」

 橙子が叫んでいるのが聞こえた。
 僕は役に立てなくて自分にがっかりした。

(おしまい)


すみません…遅刻ですが、せっかく書いたので投稿します。
ごめんなさい💦

小牧幸助さんの『シロクマ文芸部』です。


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