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スプラトゥーンをやっていたら「ファッションのモード論」が腑に落ちた

「モードは循環する」

今回はこの一言を説明するために、全力でスプラトゥーンをやっていくことになります。

なお、この「モードの循環」とは昔流行った服が何年か経ってもう一度流行る近年の「Y2K」的なもの…ではなく、もうちょっと抽象的なお話です。

ファッションに興味を持ったきっかけは昨年の松岡正剛さんの千夜千冊1,800夜だったのだけど、これがめちゃくちゃ面白くて。ぜひ読んで下さい。あ、でもこのnoteが先ね。

で、そこからファッションに関連する本を芋づる式で読んでいたら、なんとなくこの言葉が浮かんできたのです。

ファッションにおけるモードとは何なのか。それは私たちにどう関わっているのか。

それを紐解くカギは「スプラトゥーンのブキ選び」にあったのです。


「循環するモード」とは

ファッションにおけるモードとは何か。いつも通りとりあえずWikipedia定義を引用するスタイルで行ってみます。

形式や様式や形態や方法。スタイル。流行や現在の状態のこと。

Wikipedia

モードとはつまり、流行の一番先にある形式、今まさに生まれている流行を指しています。この瞬間にも、うごめき、変わり続けているスタイルです。

そのスタイルを目に見える形に落とし込んで広めているのがファッション誌です。『VOGUE』『ELLE』『Numéro』などがモード誌で有名ですね。

VOGUE JAPAN。何言ってるか分からないぐらい最先端。

これら各誌から発信されたモードに、社会が影響され、流行としてスタイルが拡がっていきます。その先でさらに様々なスタイルに分岐し拡散されていくのです。

と言うことから、モードは「創られて・拡散されるもの」のように見えます。ですが一方で、上のようにモードとは「流行の最先端」なのです。

この流行とはつまり「社会で起こっていること」でして、最先端とは言え社会に属する以上、モードは社会の影響を受けます

ファッション誌が煌びやかなモードを提案し、結果煌びやかさが流行ったとします。一方、社会が過剰な煌びやかさへの反動からシンプルさを求め始め、結果としてモードがシンプルさを取り込み始めるといった具合です。

影響を「与える」はずの社会から、同時に影響を「受けている」のがモードであり、そこに循環があるのです。『ペンローズの階段』のように、階段を上っていると思ったら下っていたような、不思議な感覚に陥りませんか。

『ペンローズの階段』Wikipedia

つまりスプラ的にどういうことだってばよ

このモード論の話をスプラトゥーンな日々の中でふと思い出しました。と言うのも、スプラトゥーンでの戦いとは、流行との戦いそのものでもあるからです。

例としてこの1年間の「スペシャル」と呼ばれる必殺技の流行に注目して推移を追ってみます。

スプラトゥーン3のシーズン1最初期では遠隔攻撃できる「マルチミサイル」が最強でした。ですが、あまりに強すぎたために弱体化されると、遠隔からの攻撃の心配が減り、白兵戦最強の「カニタンク」の天下になります。

「カニタンク」スプラトゥーン公式サイトより

このあまりに強すぎたカニタンクへのアンチテーゼとして中距離の強攻撃である「トリプルトルネード」「ジェットパック」「ウルトラショット」などに強化が入り、カニタンク一強から流行が移ろいます。

そして今では、各スペシャルが強くなりやられやすくなった結果、逆にやられることを前提とした特攻を可能にする「エナジースタンド」が流行っています。プレイヤーの流行に対する感度の高さには息を巻くばかりです。

「エナジースタンド」スプラトゥーン公式サイトより

このスペシャルの流行の変遷に伴って、プレイヤーたちは手を替え品を替えブキを持ち替え戦い続けているわけです。

この流行を生み出しているのはもちろん運営さんである「イカ研究所」さんです。プレイヤーは日々その掌の上で踊っているとも言えます。

ですが、イカ研究所も社会の一員です。運営する上でプレイヤーの声・社会の声を完全に無視することはできません

タテ長すぎるステージへの評判、強過ぎたスペシャルへの評判、何ならライト層にはあまりにガチ過ぎるゲーム設計への評判すら無視できないのです。めちゃくちゃ頑張ってるのにね。

結果、様々な新ステージが導入され、幅広いスペシャルが強化され、新しいゲームモード(=イベントマッチ)が導入されています。

プレイヤーは踊り、イカ研究所も踊り、誰もが誰もに影響し影響される

この「循環」を「混沌」と呼ばずして何と呼ぶのでしょう。秩序とはほど遠い、先を見通せない状況です。

まぁ、スプラトゥーン3のテーマが「混沌」だからね

でも、やっぱり「混沌」って楽しくないですか?

混沌の海を生き抜くための唯一の灯

これはファッションやスプラトゥーンに限らず、現実社会は同じようなもので、誰もが誰もに影響し影響され、明快な秩序などは存在しないものです。

偏差値や社会的なステータスなどは、このあまりに混沌とした社会の「一部を切り取って分かりやすく」理解するために誰かによって創られた、かりそめの秩序のモノサシに過ぎません。

結局、社会とは本質的には「循環」しており「混沌」としているものなのだと思います。

だからこそ、人の数だけ進む道があって良い。そういうものではないでしょうか。

「循環」して「混沌」とする社会の中で、自分だけの道標を持つこと。それってつまり、他の人に何を言われても良いと思えるような、自分だけが理解できる、愛せる何かを持つことなのだと思うのですよね。

「混沌」の中で、自分のために愛せる何かを見つけること。それが生きる目的なのではないかなと思ったりします。

だから、今日も私はデュアルを持ち続けるのです。

デュアルしか使えないという現実から目を逸らしつつ。

ではでは。



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