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#3 ぶんぶん公園と近田家とサクラ(3)〜急展開の“住民移転”

#2 ぶんぶん公園と近田家とサクラ(2)~謎の振動、そして・・・

陥没の発見から2か月後の2020年12月18日、NEXCO東日本は会見で「工事と陥没との因果関係を認めざるを得ない」として謝罪。
原因については、のちの会見で次のようなメカニズムを説明した。詳細は有識者委員会の資料に譲るが、かなりかいつまんで記すと、

1,トンネルの上は振動が伝わりやすい砂の層
2,掘っていた深い部分は石(礫)が多い。
3,石が多い部分をガリガリ掘った振動が砂の層を通じて地表に伝わり住民から苦情殺到。
4,仕方なく夜間工事を休止すると、朝、土が沈んで固まってカッターが回らなくなるトラブルが計16回。
5,再起動のため土を取り除く作業をした際、圧力バランスを崩して地盤の土がマシンに流れ込んで地盤が緩み、陥没・空洞につながった。

有識者委員会は、振動が伝わりやすく石が多いといった特徴を「特殊な地盤条件」、「カッターの再起動の作業」を「特別な作業」と表現、「施工に課題があった」と結論付けた。

住民からは「特殊というのなら、なぜもっと事前に調査を尽くして掘らなかったのか」といった声が相次いだ。この点については別途考察するが、事業者側は「工事前の事前調査は適切に行われたが、結果的に事故が発生し、施工に課題があった」との説明を繰り返した。

そして2021年3月、NEXCO東日本は記者会見で「地盤を補修するので住民に仮移転をお願いする」と表明。およそ30軒の家を取り壊して更地にしたうえで、セメント系固化材を注入するなどして地盤を固め、もとの強度に戻す方針を打ち出した。

方針が初めて住民に直接示されたのは、記者会見から2週間ほど過ぎた4月2日の住民説明会。前の週に家を新築して一家で引っ越してきたばかりの男性にNEXCO東日本の担当者が「地盤を確実に補修するためには直上から工事をする必要があり、お宅がそこにあると工事ができない」と協力を求める場面もあった。

このころ、近田さんの家にもNEXCOの担当者が訪れた。

近田眞代さん:
「最初、仮移転って何言っているのかわからなかった。『近田さんのうちは直上ですから』って言われて、
更地にするんですか?
『そうです』
庭の桜も切っちゃうんですか?
『そうなんです』
何が起こったのか、何がしたいのか、え、え?っていうそういう感じ」

補修エリアのひとたちは、個々の事情と必然性があってそこに暮らしてきた。

ぜんそくの子どものための良い環境を求めたひと。

静かな創作の場をとアトリエを構えた老楽器職人。

娘が近隣の音楽系の学校に入学したのを契機に、防音室を備えた家を建て移り住んできたひと。

植物の趣味に没頭するため南向きに温室の建てられる物件を探したひと。

近田さん一家もまた、夫・太郎さんの親の代から60年以上、この地に根を下ろして暮らしてきた。

新築当時 自宅の前で(写真提供:近田さん)

事業者側は、引越し費用や移転先の家賃、地盤補修後に再び家を建てるといった仮移転の費用を負担するとし、買取にも応じると説明した。近田さんは当初、またこの地に戻りたいと仮移転を考えていたという。

近田太郎さん:「この家壊すのぜんぜんもったいないの。建てたときの仕様書が残っているから、(建て直すときに)この通りやれって言ってやろうかと思って。出ていくだけなら簡単だけど、とにかくやつらを少しでも苦しめてやりたいのよ」(2021年4月)

仮移転の打診直後「このとおり建て直してほしい」と話す
近田太郎さん(2021年4月) 

補修にかかる期間はおおむね2年と説明されたが、調査をへて補修範囲が最終的に確定したのが2021年9月。すでに陥没から1年近く、仮移転の方針が示されてから半年が経過していた。その後も具体的な補修方法の決定などに時間を要し、「いつから2年なのか」「本当に2年で終わるのか」といった声もあがっていた。

「この通りやれ(建て直せ)」とまで強気に構えていた近田さんにとっても、仮移転は考えたよりも難しい選択だった。長女や孫と4人で暮らしていたうえに、月に数回、近所に住む息子夫婦の学齢前の孫の面倒も見ていた。一家の暮らしもまた、さまざまな事情のもと、この家を中心に成り立っていた。

家を建て直して戻るとなると2度の引っ越しが必要になる。後期高齢者になりつつあった自分たちの年齢や、子供や孫の生活に及ぼす影響など、あまりにも考えるべき事情が多かった。

近田眞代さん:「地盤改良に何年かかるのか。それも全然分からないです。私たちも年齢もとてもとてもここまで来るといつ帰って来られるかもわからない」

事業者側は「個々人の事情に寄り添う」として具体的な交渉の方針や基準を明らかにせず、個別対応を貫いた。どこの家が仮移転や買取に応じたとか、条件面などの情報は噂レベルで漏れ伝わるのみだった。「お宅はどうするの」といった何気ない一言の探り合い。早く決めなければ工事の着手が遅れご近所の復旧もずれ込む「無言の圧力」。微妙な空気が支配し、夫婦の間の言い争いも増えた。決めなければいけないことは多いが、時間はなかった。

買取に応じ引っ越す家も(2021年7月)

近田眞代さん:「残っていればお金をつり上げるために残っているっていわれるから、そんないつまでもやらないほうがいいんじゃないかっていうのは息子の言い分。お金に換えられないものはいっぱいあるけれど、仕方がないじゃないですか。いろんな条件、出なきゃならないとき、物件押さえるのにお金がない。手を打つにはお金がないとできない」

悩んだ末に、夫婦は土地家屋を事業者側に売却し、中古住宅を探して移り住むことを選択した。陥没からわずか2年足らずの2022年9月。売買契約は事業者である東日本高速道路ではなく、工事を受注した側の鹿島建設との間で交わされた。引き渡しの期限は翌年の4月いっぱいで、周辺より咲きが遅いという庭のサクラは、なんとか花が見られそうだった。


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