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『小さな声の向こうに』 副読ノート。その1


今週火曜日に発売となった、『小さな声の向こうに』。桜が散るなか、外で読んでいます……という嬉しい便りがちらほら届き、とても嬉しい。各地の書店で、オンラインショップで、お手にとっていたいた皆様、本当にありがとうございます!

本日は副読本……ならぬ、副読ノートとして、執筆時のちょっとした裏話や、ささやかなこだわりを書いてみたいな、と。

好きに本文を読んでいただいて、その後の付録として楽しんでいただくもヨシ。並行して読んでいただくもヨシ。しかし全編やるとあまりにも長くなってしまうので、今回は「はじめに」の解説をお届けします(「はじめに」全文はこちらに公開しています)。


冒頭の文章は以下の通り。

今夜は嵐のように強い風が吹いている。
窓の外では蕾を携えた桜の枝が大きく軋み、空からは轟音が鳴り響く。不穏なばかりの夜からできるだけ距離を取るように全ての窓をぴたりと閉めて、部屋の中で耳に馴染んだ静かな音楽を流し、飲み慣れた茶を淹れる。呆れるほどに何度でも反復してきたそんな行為の中に身を置くことで、心はいくらか穏やかさを取り戻していく。文章を書く前には、そうした準備運動が必要だ。

まえがきで書きたかったのは、この社会で生きていくためには、ときには自分を守る必要があるよね、ということ。そうストレートに書いてしまうと、なんら珍しくない、言われ尽くしたことでもあります。けれどもそうした当たり前のことを、どう伝えようか……と悩み、書いては消してを繰り返している最中、窓の外はすさまじい荒天だったんですね。2月16日の夜から翌朝にかけてのことでした。

この嵐の夜を、今の社会の喩えとして書き始めよう──と思ってからは、文章が動き始めてくれました(履歴を見ると、朝5時頃……もはや夜ではないな)。嵐の夜に家に籠もって身を守るように、喧騒から距離を置いて心を守る時間を持ちましょう、と。

そして「全ての窓をぴたりと閉めて、部屋の中で……」という一節を入れることで、ここから私の部屋の中でのお話が始まりますよ、と誘うような導入にできればいいな、とも。暮らしの内側のことを沢山扱っている本ですから。

さらに「蕾を携えた桜の枝が大きく軋み」で、この文章が冬の終わりに書かれたものであることを伝えています。これは全編を通してそうなのですが、執筆時期はできる限り自然や気候の描写で伝えるようにしています。

「耳馴染んだ静かな音楽」「飲み慣れた茶」「何度でも反復してきたそんな行為」では、同じことを繰り返す行為が、私にとって必要なことである……と伝えたいな、と。これは第4章に出てくる、反復性の高い芸術(李禹煥の絵画であり、務川君のピアノの演奏であり、日々の古琴の練習でもあり)への礼賛とも繋がっています。


「心はいくらか穏やかさを取り戻していく」で重要なのは「いくらか」の部分。どれだけ窓を締めても嵐の強さで家が揺れたり、停電や断水が起きてしまうように、遠い世界の本を読んでも、芸術に心酔しても、荒んだ社会という籠の中から完全に逃避することはできませんから。

……と、たった6行の1段落に対してこのボリュームで続けていたら大変なことになってしますね。少し飛んで、1ページの終わりから。

配達員をするには車やバイクが必要だし、食堂を営むには食材の仕入れは欠かせないし、アスリートには身体が資本となるように、エッセイを書くためには心の機微を欠かすことはできない。
もちろん心の動きを外に向けて伝えていくというのは、危うくて脆い仕事だ。

ここの「エッセイを書くためには心の機微を〜危うくて脆い仕事だ」という部分は当初、以下のように書いていました。

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2,278字

新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。