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仮に妊娠したとすれば、いつそれを伝えるのが最適なのだろう

(不妊治療の話です。苦手な方はお気をつけください)


「念校、ご確認ください!」

3月8日のお昼過ぎ。病院の簡易ベッドで支度を済ませ待機している最中に、担当編集さんから125ページに渡るPDFが送られてきた。1ヶ月後に世に出る拙著、『小さな声の向こうに』の最終原稿が送られてきたのだ。レディースクリニックの待機時間というのは往々にして長いので、できるだけ今スマホでチェックしてしまおう……とそのファイルを開いた瞬間に「◯◯番の方、手術室にお入りくださーい!」と呼び出されてしまった。「追って確認します!」とだけ返事をしてスマホを待機場所に置き、3ヶ月ぶり2度目の胚盤胞移植に挑んだ。

いや、挑むといっても患者側がやることは特になく、施術台の上で少々不快な違和感と痛みに耐えるのみ。モニターを見ながら、「はい、卵が入りましたよ〜」と言われるのだけれど、(小さすぎてよくわからん……)と思いつつ、今回こそは無事着床しますように、と祈った。

前回の移植は12月上旬。それが失敗してから、随分と間が空いてしまった。というのも、はじめての移植後にそれが引き金となって骨盤内炎症疾患になってしまい、耐え難い腹痛が起こって救急搬送されてしまった……ということから、しばらく様子を見るために大学病院に通っていたのである(子宮内膜症のチョコレート嚢胞がある場合、そういうことが稀にあるらしい)。さらに、入稿目前で寝る暇もなし……! という日々も続いていたので、3月後半にあらためて不妊治療を再開しようと、不妊治療クリニックはしばらくお休みしていたのだ。

しかし身体というのは、計画通りに動いてくれない。「書けない……なにも書けない……」と「書ける書ける書ける!」という精神のジェットコースターのような日々を過ごしていたからか、身体の周期は大きく乱れてしまい、結局かなり前倒しで不妊治療再開のゴングが鳴らされることになったのだった。

1度目の失敗を受けて今回は着床する可能性を上げよう……ということで、前回以上に多くの薬を服用してコンディションを整えていったのだけれど、その副作用と原稿の最終追い込みがぶつかってしまったのは辛かった。吐き気と目眩と眠気に襲われる中での執筆、というのはまぁしんどい。身体をなんとか椅子に座らせて、どうにか読める形まで整えた原稿を担当編集に送り、それが盛大にダメ出しを受ける度に「つら……」と涙が溢れる。私もこの原稿が傑作でないことはわかっちゃいるが、精神的にも肉体的にも限界が過ぎる。スケジュールは最大限伸ばしてもらったがこれ以上はどうすることも出来ないということで、「身体を上半身と下半身で分けないとこんなの無理……」と意味のわからないことをつぶやきながらひとしきり泣いたあとで、「でも人生もっと辛いことも乗り越えてこれたからぁぁ……」と自分を鼓舞しつつ、なんとか書き終えたのが3月6日。

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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。