見出し画像

大丈夫。大人になってからでも、友人はできるから


「アンタはほんまに、友達の運がないなぁ」

小学生の頃。仲良くしていた友達が遠くに行ってしまう……という報せを受けて心底落ち込む私に、母は度々そう言った。というのも、こうしたことは一度や二度じゃなかった。私が親しくしていた友達は、なぜかいつも遠くに行ってしまうのだ。親の転勤で、家の引っ越しで、私立への受験で。休み時間、みんながドッヂボールをする中で教室に残り、一緒に絵を描いてくれたのっちゃん。運動音痴な私にも優しかった、あやのちゃん。舌足らずな私の側で、いつも強い味方でいてくれたまきちゃん。みんな、遠い場所へ行ってしまったのだ。

狭い世界で生きる子どもにとって、友達がいなくなるということは、途端に世界のバランスが取れなくなることでもある。内にこもって遊ぶことが好きだった私にとってはなおのこと。絵を描いて、ピアノを弾いて、小説を読んで、そのへんの雑草で料理を作って……そうしたささやかな行為を通して心を通わせることができる友達を、30人足らずの教室の中で見つけることは容易くはない。それでも小学校時代は平和なものではあったのだけれど……。


中学時代は、学級崩壊そのものだった。ヤンキーとギャルが支配する空間のなかで、古い小説を読んでいると「ババアみたいな趣味!」と嘲笑われてしまう。私の愛する静かな音楽や物語、古い町並み──そうした世界観は、一部の……いや、一部ではあるけれども圧倒的に強者であった女の子たちにとっては、古臭く、地味で、真面目でつまらないものであったらしい。

友達を作るためには、今っぽくて、派手で、流行っていることを我が身に取り込まなきゃいけない──。そう観念した私は女の子たちの言うところの「ババアみたいな趣味」を葬り捨て、カラオケでみんなが歌っている曲や、流行っている派手な服装に身を纏い、なんとか思春期をやり過ごした。友達を作るということは、自分の好きを押し殺して同化することでもあったのだよな。



来週、『小さな声の向こうに』という随筆集を上梓する。通院ばかりの日々の中でなんとかかんとか入稿し、3年ぶりに本という形で世に出すことが叶った、思い入れの深い一冊だ。

昨日、完成した見本がようやく手元に届いたのだけれど、パラパラと(誤字脱字がありませんように! と祈りながら)印刷された文字を読んでいると、登場人物の彩りの豊かさに我ながら驚いてしまった。

ニューヨークでの画家のAesther Changとの出会いから始まり、小雨が降るダブリンで出会ったAlla、お茶友達である現代美術家のAKI INOMATAさん、桔梗の絵を描いてくれた森夕香ちゃん、床の間の在り方を研究する本橋さんに、焼きものを研究する入澤くん。そして20代の頃に"意識高い系"と共に揶揄された田中伶ちゃん、哲学者の谷川嘉浩さん、ippo plusという美しい空間を育み続けるている加賀ちゃん、一畳十間という愛のある空間を作る小嶋夫妻、古琴の先生方、絵本研究者の正置友子さんや文庫のおばちゃんたち、ホトリニテという美しい宿を営む高村さん、そして小さな音を心から愛する務川慧悟くん──。


心が震える瞬間をつかまえて、どうにか文章の形にしていく。それがインターネットや本を伝って、感覚を共有することができる相手のもとに届いてくれて、その先で大切な相手と出会うことができる。そうした未来があるということを20年前の自分に教えられたなら、どれだけ救われるだろうか! この先の未来は美しいばかりではないけれど、少なくとも自分の好きなことを好きだと言葉にすることは出来るし、そうしたことを通して唯一無二の友達と出会うことが叶うのだよ、と。


──


そして4月20日。文章を通じて出会えた大切な友人のひとり、ピアニストの務川慧悟くんをお招きして、拙著の出版を記念して対談をさせていただくことに。


場所はおなじみ、青山ブックセンター。オンラインの配信もあるし、現地参加の方はミニサイン会もあります(務川くんも参加してくださるそう!)。


ささやかな芸術の持つ力や、音楽と文章という各々の表現について、そして西洋・東洋の芸術の話……色々とお喋りするのが楽しみです。ささやかな、けれども豊かな時間になりますように。




ここからは少し、執筆時の裏話を。



『小さな声の向こうに』には24編の随筆を収録しているのだけれど、務川くんが登場するのは一番最後。フィナーレに相応しいからそうした……というのもあり、最後の最後まで執筆が難航したからそうなった……ということもあり(笑)。

ここから先は

920字

新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。