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③気づいたら救命救急の医師と交際していた。22歳も年上だった。私は、彼の愛で再生していく。

私にとって乳房は、人生の象徴。 嫌悪感と誇り。 辛くて醜い経験と、愛され再生していく経験。 実にアンビバレンスだが同時に、そこに存在する。 私にとって乳房は、最愛の彼が遺してくれた遺産でもある、大切なもの。

乳癌になったけど、切除しないと決めた。

10代の頃、集団レ〇〇された。自分の乳房にひどく嫌悪感を持ち、果物ナイフで乳房を切り取ろうとした。自殺未遂を繰り返していた。
搬送先の病院は、たいてい同じ。気づいたら救命救急の医師と交際してた。初恋だった。誰かに恋できる自分なんて想像すらしてなかった。彼は何年もかけて私の人生を希望のあるものに変えてくれた。彼は私の人生において最大の恩人であり、最愛の人。とても感謝している。

私は22歳年上の彼のことを忘れられない。特に、彼との夜を。

私にとってはリハビリだった。

意を決して、寝室に。でも、彼の前で脱げなかった。
「おっぱい見せて」
「嫌だ」
「どうして?」
「自分の胸・・・、大嫌い」
「好きになっていい。僕が治した」

最初は服の上から触れられるだけでも恐怖で震えた。
「大丈夫。愛が嫌がることは絶対しないから」
私が泣き止むまで一晩中でも、優しく抱きしめてくれた。 抱きしめられると彼が硬いままなのが分かった。でも彼は、それ以上、何もしなかった。

彼は何度も言ってくれた。
「これは愛がされたこととは、まったく別のことなんだよ。愛が泣かずにやれるようになるまで、僕が何度でもつきあうよ。大丈夫。僕がついてる。愛は必ず生まれ変われるよ」

彼は、泣きじゃくる私を、そっと抱きしめて、こんな話を聴かせてくれた。
「これは、愛がされたこととは、まったく別のことなんだよ。S◯Xのことを、こう表現した小説家がいる。『世界で1番優しい音楽だ』と。安宿で、壁を挟み、愛し合う2人の喘ぐ声、ベッドがきしむ音が聞こえる。それを聞いた小説家は『あぁ、世界で1番優しい音楽だ』と耳をすませながら小説を書き上げたんだよ」

人並にやれるよう、フラッシュバックと闘いながら、何度もトライした。


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