見出し画像

⑨私は22歳年上の彼の子を、20歳で出産した。楽しかった子育て、彼との幸せな時間。何の疑いもなく、続くと思っていた。

私は10代の頃、集団レ〇プされた。自殺未遂を繰り返していた。搬送先の病院はたいてい同じ。気づいたら救命救急の医師と交際していた。22歳も年上だった。私は、彼の愛で再生していく。彼は私の人生において、最大の恩人であり、最愛の人。私は彼のことが忘れられない。特に、彼との夜を。私にとってはリハビリだった。
彼は、子育てがリハビリ完了のきっかけになると考えたようだ。22歳年上の彼は、しれっと笑顔で私を妊娠させた。私は、20歳で出産した。

彼は既婚者だった。集団レ〇プされてから、私には生きていくために彼が必要だった。私には彼しかいなかった。とはいえ、こんなことは許されない、奥様に本当に申し訳ないと思った。そんな気持ちも、彼と過ごす幸せな時間と表裏一体だった。私の人生は、いつもアンビバレンスでクレイジー。

両親にはレ〇プされた苦しみを理解してもらえなかった。「そんな男とは別れろ」と猛反対された。私は両親と上手くいかなくて、家出した。幼い頃から両親に「私は愛されている」という実感は持てなかった。だから、娘をちゃんと愛せるか不安もあった。その反面、娘を思いっきり愛したいと思った。娘に「私は愛されていない」とか「生まれてこない方が良かった子」とか、切ない思いをさせたくなかった。でも、こんな私にも、子を愛する心はあったみたいでホッとした。
娘が生まれたとき「生まれてきてくれて、ありがとう」って感動して涙が出た。「世の中に、こんなに愛おしいものがあるんだね」と思った。赤ちゃんは、すっごく可愛かった。

産院を退院し、はりきっていた。ショートスリーパーだから、昼夜問わずの3時間ごとの授乳は平気だった。オムツをかえるとき「お尻、ちっちゃ~い」とか「赤ちゃんのウンチって臭くないんだね」とか思った。
爪があまりにも小さくて、紙よりも薄くて、指も一緒に切ったらどうしようって緊張した。沐浴もそう。首がグラグラで、折れちゃったらどうしよう、とか思った。左手に赤ちゃんの頭を乗せて、親指と小指で耳を押さえるって習ったけど、指が届かなくて片方の耳しか押さえられなかった。耳にお湯が入らないようにすると隅まで髪を洗えなくて「う~ん。入院中はどうしてたっけ?」とか必死で思い出しながら沐浴した。

母親としてのスキルは危なくてハラハラする感じだったけど、娘は手のかからない子だったのでは?と思う。泣き声は、控えめに可愛らしく泣く感じだった。授乳かオムツ交換をすれば、すぐ泣き止んで、すやすや眠る子だった。「泣き止まない。どうしよう」っていうのは、なかった。
でも「いないないば~」とか、音の出るオモチャとか、絵本とか、不思議そうな顔をするけど、あまり笑わなかった。眠ってるときの方が、ニコッて笑う子だった。「かわいいな~」ってずっと抱っこして、ずっと見つめてた。まったく飽きなかった。永遠に抱っこしていられるって思った。

22歳年上の彼も、当直以外の日は、たとえ短時間でも来てくれた。激務だし、疲れているだろうから、あまり子育てで彼の手を煩わせたくないと思った。彼が来る前に、沐浴とか済ませておくようにしてた。でも、彼は「僕も沐浴するよ」って少し哀愁が漂ってた。彼も、沐浴とかオムツ交換とか、したかったのかな? 

フフっ(笑)なぜか彼は、乳房マッサージの担当になってた。まるで専属助産師さんみたい。彼がマッサージした後は、母乳がたくさん出た。授乳するとき左右バランスよく飲ませるって習ったけど、娘は片方だけ飲んで、お腹いっぱいになるみたいだった。娘が飲まなかった方の乳房が母乳で溢れてた。自宅とは言え「あ、もったいない」って彼が吸うのが、すごく恥ずかしかった。きっと世のパパたちは、こんなことしないよね?
 
「変なパパだね~」
「え、ダメ?」
「普通はしないんじゃない?」
「そうかな?」
「わかんないけど」
「でも、おいしいよ。愛も飲んでみたら?」
余るほど出てたから、搾乳した母乳を飲んでみた。
「薄い。ほんのり甘い。」
「バター作る?」
「え、作れるの?」

彼がペットボトルに入れて、シャカシャカ振って作ってた。ホントに作るんだ~と思って、笑ってしまった。なんか、大きな子どもが1人いるみたいな感じ。トーストにぬって食べた。水分が多めだったけど、さっぱりしたバターって感じだった。

搾乳して冷凍した母乳もストックしたけど、ほとんど使わなかった。今でも、1つだけ冷凍したまま手元にある。なんとなく、捨てられなくて。

彼は、いつも笑顔。一瞬、おっさんだということを忘れてしまうような、無邪気な笑い方をする。でも、夜は大人。会陰切開して縫った傷が痛かったから、挿入は、やめてもらった。そのかわりフ〇〇を、いっぱいした。

娘は生後間もないのに、彼は「離乳食を作る」って、はりきってた。でも、私は料理が苦手。彼が作った方が、美味しいだろうなって思った。

私は彼に、焼きそばを作ったことがある。
「あ~ダメだ」と凹む
「どうしたの?」
「失敗した」
彼は、かまわずお皿を手に取る。
「美味しい」
「え~。無理しないで」
ぜんぜん美味しくないのに、彼は完食してくれた。ありがとう。無理させてごめんね。このときは、彼は味覚音痴なのかと思った。でも、彼の料理は、どれもけっこう美味しかった。お味噌汁、だし巻き卵、グラタン、オムライス、謎の丼とか。

妊娠する前、彼は不登校の私をアウトドアに連れ出した。アウトドアに出かけると、彼は、たいていカレーライスを作ってくれた。 その時々で、ナスとか、ピーマンとか、トマトとかが入ってた。なんか妙に美味しいカレーライスだった。 彼いわく、2種類の市販のカレールーを使って和風ダシを少し入れるんだとか。 あの味、いまだに再現できない。





もし記事を気に入っていただけたら、サポートしていただけると嬉しいです。大切に活動費に使わせていただきます。