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⑧ちゃんと母親になれるか多いに不安もあったけど「大丈夫。愛は、最高で最強のママになれるよ」という彼の言葉を信じることにした。22歳年上の彼の子を20歳で出産した。でも、娘は・・・。

私は10代の頃、集団レ〇プされた。自殺未遂を繰り返していた。搬送先の病院はたいてい同じ。気づいたら救命救急の医師と交際していた。22歳も年上だった。私は、彼の愛で再生していく。彼は私の人生において、最大の恩人であり、最愛の人。私は彼のことが忘れられない。特に、彼との夜を。私にとってはリハビリだった。
彼は、子育てがリハビリ完了のきっかけになると考えたようだ。22歳年上の彼は、しれっと笑顔で私を妊娠させた。赤ちゃんを儲けることに関して、何の相談もなかった。
ちゃんと母親になれるか多いに不安もあった。でも愛してやまない彼の子だから、とても愛おしかった。お腹の中で赤ちゃんが動くと、本当に感動した。私は「大丈夫。愛は、最高で最強のママになれるよ」という彼の言葉を信じることにした。そして、20歳で出産した。でも娘は・・・。

遷延分娩だった。47時間、陣痛に耐えた。医療従事者になった今、振り返ってみると・・・。出生体重は、直前のエコーの予想体重より700g多かった。私の身長は149cm。児頭骨盤不均衡もあったのかも。よく緊急帝王切開にならなかったなと思う。娘は正期産で生まれ、出生時、特に何も病気はなかった。

最初から最後まで、とはいかなかったけど、22歳年上の彼も出産に立ち会ってくれた。当直明けで、すごく疲れているし眠かったはず。 分娩の途中で食事の時間になった。助産師さんに 「少しは食べておいた方がいいよ」と言われたけど。 「無理~。痛い~。」と絶叫していた。47時間飲まず食わずだった。痛すぎて、それどころではなかった。
彼は、きっと仕事中、食事が取れないまま産院に駆けつけてくれた。食事は彼に食べてもらった。分娩時間が長すぎて、彼は私の手を握ったまま分娩台に顔をうずめて寝てしまった。助産師さんが「え?! パパ寝てる」と彼を起こそうとしてくれたけど「生まれる直前に起こしてあげて」とお願いした。 生まれたのは女の子だった。赤ちゃんも疲れたのかな?「おぎゃー」って元気に大声で泣く感じではなかった。控えめに、かわいらしい感じで泣いていた。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
「愛、頑張ったね。生んでくれてありがとう」
「来てくれてありがとう」

出産直後、助産師さんが、生まれたばかりの赤ちゃんの口に、私の乳首をくわえさせた。
「え! もう飲めるの?」
「飲めるんだよ~。母乳も出るよ」
すごく驚いた。感動して涙が出た。世の中に、こんなに愛おしいものがあるんだね、と思った。

「ママよく頑張ったね。ママは小柄なのに赤ちゃんが大きかったから、大変だったね。やっぱ、パパが大きいからかな」
と助産師さんが笑った。私は、腕の中の赤ちゃんを見つめながら「これで、大きいの?」と思った。重さを感じないし、小さくて壊れそうだと思ったのに。出生体重3370gだった。

そして、いきなり激痛が。
「あれ? 痛かった?」
陣痛が痛すぎて、気づかなかったけど会陰切開されていた。そこを産婦人科医が無麻酔で縫った。縫うなら縫うって言ってほしかったな。赤ちゃんとの感動の対面、もっと余韻にひたっていたかったな。

産後、1週間入院した。出産前に母親教室で、人形を使って沐浴の練習をしたけど、今度は実践編。助産師さんに、沐浴、オムツ交換、爪切り、ミルクの作り方、授乳のさせ方、色々教わった。退院したら、育児について相談できる人はいないから、熱心に教わりノートにまとめた。

乳房マッサージのやり方も教わったけど、痛かった。病室で、私が悪戦苦闘してたら、なぜか「僕もやる」と言って、22歳年上の彼が私の乳房をマッサージした。彼は、マッサージが上手なのか下手なのか、よく分からないけど。彼がマッサージしたら、母乳が、すっごい出てきてしまった。「あ、もったいない」って彼が乳首を吸うから赤面した。たぶん、世のパパたちは、こんなことしないよね? 

産院での1週間は、あっという間に過ぎた。退院日、雨の予報だったのに、実際は、雲一つないキレイな秋晴れだった。私は娘を抱きながら「あぁ、幸せだな。この空を一生忘れない」と思った。彼が、青空にちなんで「天(ソラ)」と名づけた。


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