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私の孤独は私だけのもの

孤独がおしよせるのは、
街灯がまるくあかりをおとす夜のホームに降りた瞬間だったりする。

0、1秒だか0、01秒だか、ともかくホームに片足がついたそのせつな、何かの気配がよぎり、私は、あっ、と思う。
あっ、と思った時にはすでに遅く、私は孤独の手のひらにすっぽりと包まれているのだ。

孤独の手のひらは、大きくてつめたくて薄い。いつだってそうだ。私は何となく、イソップ物語の旅人のオーバーを連想してしまう。

 三ヶ月に一度くらい、そういう夜がやってくる。会社でトラブルがあったわけでも、恋人とぎくしゃくしているわけでもないのに、それは本当に唐突に降って湧くのだ。こっちがすっかり忘れていても、ちゃんと律儀に降って湧く。

『つめたいよるに』から「ねぎを刻む」
江國香織


主人公はそんな日にねぎを刻む。
こまかく、こまかく本当に細かく。
そうすればいくら泣いたって自分を見失わない。


『つめたいよるに』を買ったのは
高校一年生の時だ。

毎日カバンの中に入れて
電車の中で読んでいたし
教室で、休み時間の合間にも読んだ。


カバーは破れてしまったので捨てた。

雨に濡れてシミができているし
文字が書かれている紙はうっすら黄ばんでいるが一緒に過ごした年月を感じられる。

はっきりとこの本は「わたしのもの」だとわかることが嬉しい。シミや黄ばみがこんなにも価値を持つのは本くらいのものだろう。




「ねぎを刻む」を初めて読んだ時
はぁ、大人になるとそんな時もあるのねぇと思った。好きな物語の一つだけど実感を伴うことはなかった。

あれから数十年経った今日、
仕事を終え帰宅して夜の散歩中、
不意にこの物語を思い出した。


たとえば、私がもっと父や母を愛していればいいのだ。もっと素直な、もっとやさしい娘ならいいのだ。実家までは電車で三十分。電話で運よく弟がつかまれば、車で迎えに来てくれるかもしれない。そうすればなつかしい食卓で、四人でごはんを食べられる。
どうしてだろう。一体どうして、それがこんなにいやなんだろう。うんざりする。へきえきする。冗談じゃない。一人のほうが、まだましだ。

「ねぎを刻む」


一気に読み進め、一瞬で読み終えた。


言葉におさめられるはずがない不透明な気持ちがくっきり形になる感じ。

誰に話したってわかってもらえそうにない感覚が言葉になっている感じ。

この感じなんだよなぁ。
やっぱ好きだなぁ。

今日だっていつぶりだったかわからないほど久しぶりに読んだのに、私の気持ちがここに書かれてあると思った。





心の隙間に気づいてしまったら
気づく前には戻れない。

たとえ守りたいものや人
熱中できることがあったとしても
そんなもので隙間は埋まらない。


隙間からはからっ風が入ってくるので
こたつを出したり、
あたたかい物を食べたり、
運動したり、
お風呂に入ったり、
お酒を飲んだりなんかして
あたたまる方法を見つけるしかない。
たった1人で。

隙間ありきの自分で生きていくことが
幸か不幸かはわからないけど
誤魔化して生きるよりはずっといい。


主人公はねぎを刻んでいたけど
私にとってのねぎは散歩だったり
ちょっと良い入浴剤をいれてつかるお風呂だったり車の中で聞く音楽だったりする。

私の孤独隙間は私だけのもので
誰にも癒せないので

今から良い香りのする入浴剤をいれて
お風呂につかることにしよう。





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