特別エッセイ・4月中旬の呟きの真相
この度は、4/15(月)にこんな告知をした理由を説明します。
理由は来月に説明するとも告知したものの、誰も憶えてないだろうから放置しようかという気もしましたが、やっぱり宣言したことなので、実行しようと思いました。
理由は単純で、身内に不幸があって気力を喪失していたからです。
今から、4/15(月)にあったことを説明します。
その日の17:00頃、私は外出中で、出先で吉岡果音さんの連載小説を読んでいました。読んでる途中で、伊藤翼さんから私の記事へのコメントが入りました。
私は果音さんの小説を読んだ後、伊藤さんのコメントに返信し、それから果音さんに感想コメントを送る気でしたが…。
丁度、果音さんの小説を読み終わった後、母からSMSで連絡がありました。
たった九文字の、簡潔かつ衝撃的な内容でした。私から全てのことに関する気力が消え、noteで関わっている方へは先に述べた内容の告知をして、返信などは放置することにしました。
吉岡果音さんと伊藤翼さんには、まあまあ感じの悪い対応をしたと思ってました。今更ですが、この場をお借りしてお詫び申し上げます。
申し訳ありませんでした。
身内に不幸があったと申しましたが、具体的には弟がその生涯に幕を降ろした次第です。
弟と言っても血縁は無く、戸籍にも載っていない存在です。彼は猫ですから。
「ペットを家族とか言っとるぞ。あいつ、バ○だぞ」
と、バカにしてくる人がいるのは承知してます。実際に、そんな人には何人も出会いましたし。
でも、彼は弟と呼ぶに相応しい存在です。私は彼と、21年と11ヶ月も一緒に過ごしましたから。
2002年5月23日、彼は私の弟、と言うか私の両親の息子になりました。
当時、彼がドブに捨てられていたのを母のママ友が発見し、母が引き取りました。
当時の彼は大人の掌に乗るほど小さく、歯も生え揃っていない、まだ赤ちゃんでした。
母は、猫用の缶詰めを牛乳で溶いた自作の離乳食を彼に食べさせていました。今思えば、大変だったと思います。
母にとって、彼は私や姉と同じ『子ども』だったんでしょう。
母は彼を頻繁に「私の子」と言っていました。私と彼の名前を呼び間違えることも何度かありました。
だから私も『彼は自分の弟だ』という認識を強く持つようになりました。
私と彼と姉は、約22年間で一緒に育ちました。その間に、お互い変化もあれば変わらない点もあり…。
彼の場合、抱かれることと撫でられるのが好きで、一人でいるのが大嫌いという点は、ずっと同じでした。
如何にもな末っ子気質の甘えん坊で、手のかかる子でした。
そんなあの子とずっと一緒にいたい。私は本気でそう思っていましたが…。
生き物である以上、その時は避けられませんでした。
おそらく私は、人生中で一番泣きました。目に付着していただろう花粉を全て洗い流し、目が痒くなくなるほど泣きました。
三日間、ずっと泣いてました。
でも、泣き続けて二つのことに気付きました。
このまま泣くしかしなかったら、弟をサボりの口実にするだけだということと、泣くのは愛情の証だということに。
だから、四日後に放置していたnoteに寄せられたコメント に対応し、五日後に校正の仕事を再開しました。
それでも泣いてました。家の中に、弟を思い出さない場所などありませんから。約22年間も同居したんですから、当たり前です。
外出した帰り道も憂鬱です。
今まで、帰宅すれば必ず居た弟の姿が、もう家の中に無いんですから。
だから私は泣き続けます。
弟を思い出して、もっと一緒に居たかったと思って、私は泣き続けます。それだけ、私は弟を愛しているんです。
長々と書きましたが、言いたいことはこれです。
血縁が無くても、戸籍に名前が載ってなくても、本物の家族になれるんです。生物種の違いも関係ありません。
彼は約22年の生涯を通じて、それを証明しました。凄い子です。
もう遅いかもしれませんが、弟に言いたいです。
私と姉の弟になってくれてありがとう。
あの夫婦の息子になってくれてありがとう。
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