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積読うだうだ日記 2024年5月8日

積読に部屋を占拠されているのに、図書館で本を借りてさらに積ん読を増やしてしまったつくだ@書籍編集×ライターです(面白そうなので、蒼 広樹さんの『挨拶文を楽しもう』に参加してみました^^)。

ゴールデンウイーク終わって2日過ぎました。紙の本とKindle本、合わせて約1500冊の積読本から選んだ「キング・オブ・積読本」についてうだうだ言いながら紹介していく「積読うだうだ日記」も、遅ればせながら今日でおしまいです。

結果は、同時並行でやっていた編集仕事に追われて、読破ならず(>_<)

せっかくなのでゴールデンウイーク以降の積読消化状況について書こうと思います。いまは『理系総合のための生命科学』に加えて、『センスの哲学』を読みはじめました。

まずはこないだもご紹介した『理系総合のための生命科学』。一日2~3頁ずつ読んでいますが、地味にいい本です。生物の勉強をほとんどしていなかった私でも(だからこそかもしれませんが)、日々読むごとに発見があります。大人の学び直しには向いている本です。

そして哲学者・作家の千葉雅也さんの『センスの哲学』。まだ2章の途中ですが刺さる言葉がたくさんあります。

中でもセンスの悪さについて述べられた言葉が心に刺さったので、ちょっと長いですがご紹介します。

 センスの悪さは、不十分な再現性、つまり再現性にとらわれすぎているという見方は、いろんなジャンルでいえると思うんですねん。つまりピアノを弾くことに関しても、上手く弾こうとすることにおいては、素人はピアニストには絶対に敵わないので、上手く弾こうとする土俵に乗っている以上、素人はいつまでもただの素人なわけです。その人たちがピアノでデビューすることはおそらくできない。
 でもそれをやめてしまって、むしろ自分基準にシフトすると、それはそれであり、という話になる。土俵が変わるわけです。そうなったときに自分のセンスで音楽をつくることができるようになるんです。/P43

センスの哲学

千葉さんは前出の文章で「センスが悪い」の代わりに「センスに無自覚」という言葉を使っています。つまり、センスとは能力の問題ではなく、姿勢の問題だと。そして「無自覚」ということは姿勢を変えれば、目覚めさせることもできるわけです。この発想は私にはなかったので、心に刺さりました。

そういえば、デザイナーの水野学さんも、著書「センスは知識からはじまる」の中で、センスは後天的に学ぶことができると述べていたことを思い出しました。

千葉さんの著書については、まだ読んでいる途中なので、また改めて記事を書きたいと思います。ぐだぐだで申し訳ありません。

ではまた次の記事でお会いしましょう!


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