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殿方は座って用を足してください

近所のケーキ屋さんはチーズケーキが人気で、私もお気に入りだ。でもプリンが好きな母のために、プリンを2つ買って実家へ急いだ。

おしゃべりしたくてたまらなかった母は、私が椅子に座る前から、堰を切ったように話し始めた。

息継ぎも忘れて話し続ける母。

話の内容が入ってこないくらいに、母の独り暮らしの淋しさがズシンと胃に重い。持っていったプリンを、箱から出せなくなった。

元々、母はおしゃべり好きで、なんでも思うままを口にしてしまう人だ。それを、父がずっと受け止めたり制止したりしてくれていた。

その父が昨年亡くなり、最近の母は人と話すことに飢えているように見える。私たち子どもや親戚、友人へ手当たり次第に電話をかけ、だれかれ構わず、スーパーの店員さんにさえも話しかけ、どんな相手にもひとしきり、一方的に母が話す。

まるで聞くことを忘れてしまったように。

さらに、後先考えずに失礼なことを言ってしまうこともあり、まわりを不快にすることも少なくない。老いのせいなのか、それがだんだん激しくなってきているように感じられる。

「ねぇ、私、イジワルやろうか?」

母が急にそう言うので、ふっと我に返り、私は母の話に身を乗り出した。

「母さん、何か、やっちゃったの?」

その質問に、母は怪訝そうに首を傾げて、また長い話を始めた。

母の悩みは、ご近所さんとのバーベキューパーティのことだった。

40年ほど前、建てたばかりの頃の実家は、竹藪の中にポツンと一軒家の状態だった。それがこの十数年で周辺の竹林が切り崩され、どんどん新しくておしゃれな家が実家のまわりに建ち始めた。そこには、30代から50代くらいの、わりと若い世代のご家族が住んでいる。

そんな若いご近所さんたちに混じって、高齢の両親も地域恒例のバーベキューにずっと参加をしてきた。その理由は、だだっ広い実家の庭がバーベキューの会場だったからだ。

私の実家は、以前父が仕事場にしていた倉庫もあり、頑丈なガレージもあるので、雨や強い日射しにも安心で、バーベキューをするには最適だ。
私たちも実家で、親族みんなが集まって何度もバーベキューをしたことがある。

宴会好きでお人好しの父が、地域のバーベキュー会場として、実家の庭をずっと提供してきたのだった。

コロナ禍でできなかったバーベキューを再開する話が出て、実家の倉庫や庭をまた貸して欲しい、と母はご近所さんから頼まれたらしい。取り仕切ってきた父が亡くなり、母も不安があったようだが、快く貸すことにしたそうだ。
だが、母の気持ちにはモヤモヤが残っていた。

「前もトイレを貸して欲しいって言われて、お父さんがどうぞどうぞって言うから、みんな自由に家の中に出入りして使ってもらったんだけど、男性は立って散らす方がいてね…。後から掃除が大変だったんやわ。だからトイレはもう貸したくないんだけど、私、イジワルかなぁ。」

母の気持ちが私にはよくわかった。
そして、昔、実家のトイレに張り紙があったことをふっと思い出した。



きれい好きで気の強い母と、おおらかだが昭和気質な父は、昔からトイレの使い方でよく言い合いをしていた。

父は洋式トイレに絶対座ってくれなくて、「男は立ってすればいい!」と言い切る。全くトイレ掃除をしないのに、なんて傲慢なんだ!と私も父を理解できなかった。

そんなある日のこと、怒った母が、破ったノートに筆ペンで『殿方は座って用を足してください』の張り紙を作り、それをトイレに貼ったのだ。
「殿方って…その言い方はどう?」と、私たちきょうだいは、笑ってしまった記憶がある。

トイレ使用の可能性がある親族の男性のうち、父以外はすべて座る派。
つまり「殿方」の対象は父のみだ。
それでも父は、頑として座らなかった。

結局、父は足腰が弱ってきてから、仕方なく座って用を足すようになった。「座るのも、なかなか楽でいいな。」と笑っていた父には、みんな苦笑するしかなかった。

色褪せてヨレヨレになっていた張り紙は、さっさと母に取り外されて、気づいた頃にはトイレからなくなっていた。


そんな実家のトイレは、かなり年季が入っているが、いつ行ってもパキッ掃除されていて、今でもピカピカだ。
父が亡くなってからは、実家のトイレは基本的に母だけのもの。それでも毎日掃除する80歳の母の徹底ぶりは、最近、我が家のトイレ掃除をサボりがちな自分を反省したくなるくらいに頭が下がる。

トイレを掃除したら「運気が上がる」とか「美人になる」とか、いろんなことが言われているが、母は

「トイレをきれいにしていたら、かわいい子が生まれるんだよ。」

と、幼い私にいつもそう言っていた。
生まれてしまっているので今更なぁって思いつつ、「ありがとう」と子ども心に思った覚えがある。
それに漠然と、「トイレ掃除を頑張れば、子どもに良いことがある」というような感覚を、私が母から感じ取ってきたことは間違いない。



こんな潔癖な母にとって、大事なトイレが「ご近所の殿方」によって汚されてしまうことは嫌でたまらないはずだ。私が母の立場でも、家族以外の方の飛び散りには、正直、躊躇するだろうから。

ご近所の方たちは歩いて1分で自宅に帰れるのだから、トイレはそれぞれの家でいいんじゃないかな、と私は思った。

母は続けてこう言った。

「それにね、家の中に人が出入りするのも怖い気がして。私はもう、ひとりになったから。」

独り暮らしのお年寄り、その切実な不安も理解できる。

「母さん、それはイジワルじゃないよ。庭を貸すだけでも、みんなが助かるんだし。倉庫のテーブルや椅子も、水道だって、みんな自由に使うんでしょ。それだけでも充分やん。トイレくらい、自分の家に戻ればいいと思う。それは皆さんにお願いしてもいいと思うよ。」

私の意見を聞いて、母はようやくホッとした表情になった。

「バーベキューも、ほんとは嫌なの?若い人に混じって、母さんも参加するのはしんどい?」

と訊くと、母は、

「ううん、バーベキューは楽しみやわぁ。おしゃべりもできるし。」

と笑った。

バーベキューならば、仲良しの同世代の家族で近くの河原にでも行けば、いくらでもできる。でも、夫を亡くしてひとりになった80歳の母を、これまで通り快く仲間に入れてくださるご近所さんたちの優しい心遣いは、やっぱりありがたいと私は思った。

そこは、人付き合いや地域の奉仕活動に熱心だった父が遺してくれた、母への贈り物のようにも思えた。


その後もしばらく、トイレを貸すほうがよいかどうかを母と話しながら、私はぐるぐると頭の中で考えを巡らせていた。

やっぱり、トイレを自由に使っていただいたほうが、ご近所さんから母が「良いおばあちゃん」だと思ってもらえるのかな、と内心考えもした。
例えば今風に、『きれいに使ってくださり、ありがとうございます』みたいな張り紙を、トイレに貼ったりして。

そもそも、よそのお家なんだから、皆が座って使ってくれたら助かるんだけど、呑んだら気持ちも大きくなるものなんだろうか。
それは、掃除をしている人としていない人の価値観の違いなのか、男性と女性の考え方の違いか、きれい好きかどうかなどの性格的な違いもあるか。

正解はわからない。
ただ今回に関しては、「ご近所さん、トイレは各自のご自宅でどうぞ」と私は思った。

母がなんの憂いもなく、バーベキューでパクパクお肉を食べ、ご近所さんと楽しくおしゃべりができること、そして、皆さんにも母との時間を楽しく過ごしてもらえること、それを切に願った。


「母さん、口はひとつ、耳はふたつ、でしょ?話すことの2倍、話を聞いた方がいいんだよ。バーベキューでおしゃべりもいいけど、ちゃんと話を聞くことも楽しんでね。」

そう言って、プリンをふたつとも実家の冷蔵庫へ入れて、私は自宅へ帰った。



帰りの車で、少しだけ涙がにじんだ。
強かったはずの母が、何でも私に聞いてくるようになったことも、父任せだった近所づきあいをひとりでやろうとしていることも。
無性に頼りなくて、危なっかしくて、もどかしくて。

トイレの神様がいるなら、子どもたちの「べっぴんさん」や「幸運」を祈り続けて毎日トイレ掃除をしてきた母を、どうか守ってください、と思った。

そして私も母に倣って、家族の「幸運」を願いつつ、毎日のトイレ掃除を頑張ってみたくなった。
その気持ちを忘れないよう、早速、我が家のトイレに張り紙をする。


殿も姫もない令和の時代、老若男女問わず、身体も心も、あなたも私も、べっぴんさんになぁれ!





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