家庭地図を片手にあるく
大人になって驚いたことの一つに「親が等身大の姿に見えてきた」が挙げられる。
子どもの頃、父と母は大人としての強烈な光を放ち、大きく見えた。わたしのなかには両親に従っていればよいのだという、安心とも諦めともつかない感情がいつも横たわっていた。
それが揺らぐのが思春期で、中学生くらいでもう誰もが「親ってそんなにえらいわけ?」と疑問を抱くようになる。結局、反抗期の引き金は親に対する疑いなんだろうと思う。
わたしの反抗期はたいしたことなかったけれど、高校生になると人生の師は親から三島由紀夫や小林英雄に替わっていた。『不道徳教育講座』(三島由紀夫)が大好きな中二病女子のできあがり。
びんびんに尖った時期を経て、二十歳を過ぎてからのわたしは、父といっしょにお酒を飲むようになった。
もちろん、すぐに自分は下戸だと察知したので、お酒はほんの少し舐める程度。父の行きつけのスナックや小料理屋さんに連れて行ってもらうのが楽しかっただけだ。
大阪・南森町のとある小料理飲み屋さんで父は、女将さんに「よっさん(仮)」と愛称で呼ばれていた。
シックな小紋がお似合いの女将さんは言った。
「よっさんとお仲間のみなさんはねぇ、この店のオープン当初からずっと通ってくださって。わたしはみなさんに足を向けて寝られないんですよ」
カラオケのない、落ち着いた雰囲気のお店で父は笑みを浮かべ、お酒を飲んでいた。常連の方々がよくわたしに声をかけてくれた。「よっさんにこんな美人の娘さんがいたとはなぁー」。
100%ふりきったお世辞に、父はにこにこ、にこにこ。
わたしは父の横顔を見ながら「ここがお父さんの心のオアシスやったんかな」と考えていた。職場での荷やストレスを、ここで下ろしていたのかもしれない。
そして、きっと母はそんな父を苦々しく感じたことがあっただろう。「お酒ばっかり飲んで。ちょっとは家のことや子育てを手伝いなさいよ」なんて思う夜もあったはずだ。似たような愚痴を聞いた記憶がある。
大人になるとだんだん、そういうことが見えてきた。
父はこうで、母はこう。家庭内の勢力図とか、現在の関係をつくった経緯とかが、やっとつかめた。両親が等身大に映った。
わたし自身が家庭を持ってからは、さらによく見えるようになった。父と母は生い立ちも性格もかなり違うけれど、わたしと妹を育てるために共同戦線を張ってきたこと。二人は案外、尊重しあっていること。
鈍いわたしは、夫と協力して娘たちを育てることでようやくそこに焦点が合ったのだ。
腎臓病を患った父は、ずっと前にお酒を飲むことをやめた。母はさりげなく父を支え、また支えられてもいる。ときどき冗談まじりの愚痴をこぼしながら。
二人を見るたび、わたしもできるだけのことをしようと思う。父と母が築いてきた「家」を大切にしよう。
家庭にも地図がある。それを見ながらわたしは歩く。
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