2.再現性

​さすがに蝉の声は聞かなくなったとはいえ外は残暑という言葉が相応しい程のほんのり蒸した暑さだ。

僕はクーラーのよく効いた家庭教師先で高校2年生の純也に三角関数を教えながら地球の丸みを想像していた。いわゆるアースカーブだ。

円の直径に線を引くと地球に赤道が引かれたように見える。

本当はsin60°を教えるために描いた絵だけど。

「飛行機は揚力の他に、僅かながら遠心力で飛んでいるだ。第1宇宙速度とかに比べれば全然遅いんだけど、それでも車の10倍以上のスピードだからね。影響無くはないんだよ。」

「飛行機の鼻の所にはレーダーが入っている。真っ直ぐレーダー波を飛ばすと300km先では自分たちの高度より5500mも高い所の雲を見てる事になる。地球は丸いからね。

だから遠くを見るときはレーダーを少し下に向けてあげないといけない。

と、いうことは逆にここから200kmくらい離れたレーダー施設から水平線に電波を飛ばせば俺達のいる富士山山頂に当たるんじゃない?」


工学部ではそんな事は習わない。東さんはいったいいつそんな事を勉強したのか。皆目見当つかないが面白い話だなと思って聞いていた。

あれから1週間、僕はまた変わり映えの無い日常に戻っていた。

◆◆

純也が三角関数の3倍角の公式の覚え方を聞いている。

「先生なんかいいゴロとか知ってる?ていうかこんなのいつ使うの?」

地球の丸みの計算に使えるよ、と言いたかったが高校2年生の純也には

「大学で使えるよ!」

が正解な気がしたからそう答えた。高校の頃は大学に入るのが勉強の目的だ。

今の僕にとっては自社養成試験に受かってパイロットになるというのが全ての目的のように。

「3倍角の公式のゴロはあるけど再現性が無いからちゃんと自分で導けるようにしよう。じゃあ今から自分で書いてみよう。」

そう言って純也の勉強に意識を戻す。

「再現性って何?」

「何回やっても必ず同じ結果になること。」

と言いながら純也が文系であることを思い出した。

彼はまだ高校2年生。両親は公務員なので僕と家庭環境が同じだ。きっと公務員になるにはどういう道を歩めばいいか分かるが、他の道となると民間の会社で働くイメージすら無いはずだ。

『水は方円の器に随う』という言葉があるが人は環境が全てだと思う。

パイロットになりたいという思考は、東さんに会うまでの僕には無かった。

高卒で公務員になりたい、と言う彼に大学に行って欲しいと純也の両親は話していた。「大学に行くことがいかに楽しいのか」ということも授業で教えてあげて欲しい。と依頼されたのはきっと純也に大学で色んな人に出会って広い世界を見てもらいたいと願ってのことだろうと思う。

だから僕は休憩中に『隣の芝生が青く見えればいいな』と思いながら、こないだの富士山の話をした。

◆◆

いつものように工学部のラウンジに行く。東さんと会うためだ。

「夏休みなのに卒論を書いてるなんて偉いですね。」とよくわからないコメントでお茶を濁している僕。

自社養成試験はゴロの暗記で受かるようなものではないのは何となく分かる。

東さんが在学している間に僕はその試験に受かるための再現性のある方法を吸収しなくては、と思っていた。

「面接でこう言えば受かる、なんて物はない。自分なりにパイロットに必要なものって何だ、って考えて考えてそれに向かって行動していく。

その中でお前らしさが出てくるんじゃないのかな。それが会社の方向とマッチすれば受かるんだと思う。とりあえず考えてみ。あと、これだけは渡しとくな。」

と言って『パイロットになるための想定質問集100.doc』というファイルを東さんは僕のノートパソコンのデスクトップにコピーした。

開けてみるとなるほど、100個の質問が書いてある。「パイロットに必要な資質とは?」といった具合だ。自分で作ったらしい。

「参考にしたいので東さんの回答を見たいです。」

と言うと

「俺の話聞いてなかったの?答えなんてそれぞれ違って当たり前。お前が受かったら見せてあげるよ。」

と、笑っていた。

「学ぶの語源は、『真似ぶ』ですよ」という言葉が出かかったが言い訳がましい気がしたからやめた。

USBを取り外すと東さんは研究室に帰っていった。

とにかく自分の頭で考えてみよう。

当時は塾の講師と家庭教師をしていた。理由は時給がいいから。それだけだ。僕の大学は地方ではあったが、一応国立大学の学生だったためそういったバイトは見つかりやすかった。もともと人に教えることが嫌いではないので家庭教師は向いている仕事だと思っていた。

ただ、東さんと喋っているとパイロットにとって『人に教えるのが好き』という資質より大事なものがある気がしてきていた。

やはりパイロットは体力勝負の仕事だ。なんせ時差を乗り越えて世界中に行かなくてはならない。

特にこれといった運動をしていない僕が真っ先に思いついたのはジムのバイトだった。早速インターネットで検索してみる。

しかし年度の途中でバイトを募集している所は近場には無かった。

まあバイト増やすと時間もとられるし仕方ないかなー。と思った。

とりあえず、ランチの美味しい経営学部近くの食堂に移動することにした。工学部のラウンジは綺麗だが食堂のメニューがなぜか微妙なのだ。

◆◆

夏休みとはいえ平日の経営学部の食堂はテニスサークルの人達で賑わっていた。一人なのでカウンター席に荷物を置いて列に並ぶことにした。

すると後ろから肩を叩かれ

「よ!夏休みなのに図書館で勉強?」

と声をかけてくる人がいた。

バイク仲間で4年生の経営学部の野村さんだ。

文系だと内定が決まったら卒論を冬までに書き上げて、というのがよくある流れなのだが先輩は卒論ではなくビジネスコンテストに応募するために、仲間と打ち合わせに来たそうだ。

野村さんは1浪してからうちの大学に入っているので年齢は3つ上。だがそれ以上に落ち着いた雰囲気の人だ。身長が180cm以上あるせいかもしれない。とにかく活動的である。

東さんと同学年の野村さんが内定しているのは人材系の会社だった。

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」というのが前身の会社の創業者の言葉らしいがよくそれを座右の銘だとよく後輩に言っていた。

ツーリングに行く時も野村さんはインターネットに載ってないような変わったスポットやグルメ情報をどこかしらか持ってくる。他人をワクワクさせることに関しては天才的だ。

久々だったのでメニューが出てくるまで色々話した。

「へーじゃあジムのバイト探してるんだ。それって募集が終了してるだけで今募集していない、とは言ってなくない?俺は会いたい人とかいたら連絡先わかるならすぐ連絡するけどな。学生なんて大した肩書じゃないんだから、断られたら恥ずかしいな、みたいな変なプライド持たずにとりあえず電話してみろって。本当にやりたいなら。」

そう言い残して先輩は仲間の所へ戻っていった。

僕の現在の『とりあえず動いてみる』という性格はきっとこの人の影響を受けているんだろうなと思う。

◆◆

かくして僕は3件目の電話であっさり面接までこぎつけジムのバイトにありつけたのである。

インターネットにある情報は常に『過去の情報』であることを忘れてはならない。

バイトも増えたので10月からしっかり貯金をすることにした。目標は30万円。

大学2年生の春休みに海外の語学学校に行くことにしたのだ。

体力、英語、これがパイロットの2本柱だと僕は考えた。

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