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『ホモ・ルーデンス』(ホイジンガ)‐序説、第1章「文化現象としての遊びの本質と意味」

今回から『ホモ・ルーデンス』を読んでいく。まずは序章と第1章。「遊び」とはなにかについての話だ。
個人的に「遊び」こそが人の精神性や文化の根源にあるのではと思っていたので、真面目にコツコツばかりの「遊び」の無い状況では、新たな文化や価値が生まれないという危惧があり、今回の本はとても興味深い。

■概要
・序説
遊ぶ人、という意味を持つのが「ホモ・ルーデンス」であり、「ホモ・ファベル(つくる人)」のように遊びが人間の本質であるとし、「文化遊び要素」と言葉にこだわったように、文化現象としての遊びを考えていく。

・第1章
動物でさえ、じゃれ合ったりして遊ぶように、遊びは生物学的な要素だけでは説明しえない。有り余ったエネルギーの放出や満たされないなにかへの補填などによる、迫力や人を夢中にさせる力の中に遊びの本質があるとしている。そこには理性や論理以上の精神が存在している。遊びは、それ以外の思考形式とは無関係に存在している。

これらに基づき、ホイジンガは次のように遊びを定義している。
①自由なもの
命令されてするものではない。仕事でも無い。ただし遊びが文化機能となることで、必然・課題・義務などが副次的に生じてくる。
②日常あるいは本来の生とは別
日常生活から一時的な活動領域へ踏み出して行う。必要や欲望の直接的満足という過程の枠外にある。遊びによる感じ方・意味・価値、それらが創出する精神的・社会的結合関係の結果、文化機能として不可欠なものになる。
③定められた時間・空間の限界内で完結
一定の進行順序、凝集と分散があり、その時間と空間の中で実施される。特に空間的制限が強い。
④文化形式として、はっきり定まった形態
精神的創造あるいは精神的蓄積として定着し、伝えられ、伝統となっていく。
⑤絶対的な秩序が存在
遊びの場の内部は、一時的でも固有の絶対的秩序によってコントロールされている。遊びは秩序そのものとも言える。

この結果、遊びと秩序の観念の内面的つながりによって、美学的要素が生じ、緊張・平衡・安定・交代・対照・変化・結合・分離・解決などが遊びを活気づけている。遊びはものを結びつけ、また解き放つ。人を虜にし、呪縛する。魅惑する。これらをホイジンガは「リズムとハーモニー」と表現し、最も高貴なものとする。

こういった要素を持つからこそ、遊びは日常世界とは異なる社会集団を生み出す。

そしてホイジンガは、遊びの本質を次のどちらかであるとしている。
①何かを求めての闘争
②何かを表す表現

これらのことから、神聖な行事や祝祭、祭事・祭祀などに結びついてくる。祭祀は何かを表出して示すこと、劇的に表現して表す、つまり物事を形象化してイメージを創り出すことで、現実にとって代わるものを生み出す行為である、と述べている。

祭祀は、共同体の福祉のために必要な、社会的発展を孕んだ神聖な遊びであり、日常の領域とは別のところで行われるものである。

■わかったこと
「遊び」について、これまでは漠然とした理解だったものが少し整理された気がする。人生には遊びが大事だ、とか精神的な意味や価値を考える時間や体験が必要だ、といったこと、あるいは真剣にその遊び(スポーツや祭など)に興じているときに、日常とはかけ離れた得難い感覚を持てることが客観的に見えた気がした。
今なら、これがスッと入ってくる感覚があるが、この本が書かれたのが1938年のオランダという事実を踏まえると、まさにヒトラーが権力を掌握しているような欧州で、この内容が書かれた状況にとても興味がある。そういう状況だからこそ、人間の本質に思考が至ったのか。今後読み進めるのがとても楽しみだ。

さて、今回のパートを読み終えたときに真っ先に浮かんできたのは3つ。
1つ目はタモリさんの次の名言。
「真剣にやれよ!仕事じゃねえんだよ!」
これは今回のパートの内容を一言で言っていたんだなと改めてその深さにおののいている。日常とはかけ離れたところで真剣にやるからこそ、遊びであるし、遊びになるし、そこから意味や価値が生まれてくる。自分で選択した上での真剣じゃなかったら、遊びではなく、ただのやらされ、悪ふざけ、時間の浪費になってしまう。

2つ目は、地域の祭事における陶酔感・特別感。
これは観る側ではなく、やはり祭事の主体側になった経験があることで、とてもうなずきながら理解できた。お金になるとか打算的な要素ではなく、真剣に向き合い、反復練習を重ねていくこと、そして一定の時間と範囲と、さらには共通の意思・目的を持っている仲間たちと、その内容に向き合うからこそ感じられるものがあった。

3つ目は、上記の2点から出てきたものであるが、今の企業や集団の運営などにおいても、本気で集団となって日常生活とは異なる空間とルールの中で取り組むことで得られる価値があるからこそ、身を投じていくというように、仕事への取り組み方も変わってきているのではないか、ということだ。つまり仕事の意味が変わりつつあるとも言える。そういった「遊び」要素が強い集団に人は真剣に向き合うのだから、日常とは異なる経験価値を提供できる場が組織・集団として強くなっていくと感じた。

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