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もしも世界を2つに分類するならば

インド人同僚
「私の考えでは、世界は大きく2つの種類に分類できると思うんですよ」

という彼の持論を聞いたのは、ずっと昔にドイツで働いていた当時のこと。その会社の同僚たちと出張に行って、出張先でみんなで夕食を食べている席の会話だった。

話している彼は、若くてお話し好きのインド人。他にもドイツ人やらロシア人やら多国籍な同僚メンバー。どういう会話の流れだったかは思い出せないけど、そんな多国籍な同僚たちとの会話の流れで、たぶんヨーロッパとアジアの違いについての話になったのだろう。

インド人同僚
「まず一つ目の分類は、主にユーラシア大陸の西側にいるキリスト教やイスラム教を信じる人たち。この人たちは『方向性を持っている』世界観です。つまり神様が上にいて、その下に人間がいて、更にその下に動物や植物があるという、上と下が明確な世界観」

いわゆる、一神教の世界のことを指している。

インド人同僚
「一方で、主にユーラシア大陸の東側の人たち、つまりヒンズー教や仏教や神道の広がる地域の人たちは、その中で根本的な世界観はみんな共通していると思います。人や動物や植物のいのちは食物連鎖のようにつながっていて、巡り巡ってクルクル回っていく。絶対的に上や下に位置付けられるものが存在しない。だから『方向性がない』世界観なんです。日本人もインド人もこのグループ」

その場にいたヨーロッパの人たちは、アジアの宗教観についてあまり造詣が深くない。そこでアジア人の僕が、続く会話を引き受けた。


「絶対的な上や下、つまり強いものや弱いものが存在しないって、じゃんけんのグーチョキパーみたいやね」

インド人
「そうですね。日本人にもしっくりくる感覚でしょ」


「まあ、日本の神話にも神様はいるけれど、やおよろずのいろんな神様がいるし、そもそも自然崇拝がベースにあるからね。絶対的な上と下の方向感がないっていうのは、理解できる感覚かなって思うよ」

日本は、輪廻転生を強く信じる国とは言えないだろうけど、それでもドイツのようにパンを人にポーンと投げて渡す国よりは、まだアジアの「方向性がない世界観」の方に感覚は近いと思う。


「そういえば、こないだマルティン(同じ職場の北キプロス人の同僚、仮名)が全く同じエリアで世界を分類しながら、ちょっとだけ違う表現をしていたなー」

僕はこのインド人同僚の持論を聞いて、これまたお喋り好きの北キプロス人同僚が長々と語ってくれた持論を思い出した。


「マルティン曰く、世界観の違いの本質を突き詰めていくと、世界は『意志に基づいて存在しているか』もしくは『意志はなく偶然で存在しているか』のどちらかに行きつくって」

この出張の少し前にもマルティンとの会話の中で、一神教の西洋の世界観と、それとは違うアジアの世界観に大別できる、という彼の持論をちょうど聞いたところだった。


「マルティンによると、キリスト教やイスラム教の考えでは『神による意志』に基づいてこの世界が存在する、と。一方で、それ以外の世界は『意志が存在しない』と考える世界観だって」

そんなマルティンは北キプロス人(≒トルコ人)なので、一応はイスラム教徒。戒律はあまり厳格に守らなくて、ビールを飲んだり豚も食べたりするけれど。


「マルティンはイスラム教徒でしょ。だから彼が言うには、『自分としては、何者かの意志なくしてこんな世界が存在すると思えない。だから神の存在も信じる。これって、日本人の感覚とはたぶん違うでしょ、ニヤリ』って」

インド人
「僕の感覚で言えば、自分から見て周りの世界に上も下もないから、どこかに明確な意志が存在していると思えない。やっぱり僕は東側の人間ですね」

ということで、マルティンによる分類方法のコンセプトは、インド人同僚の持論ともマッチする様子。

もちろんみんな、自分の考え方や感覚が正しいと主張している訳ではなく、またそれを押し付けているわけでもない。相手側のことを尊重しながら、世界には違いがあって、こんな切り口で分類できるのでは、ということを語り合っていた。


「ちなみにさぁ、こんな難しい話に対してスラスラ意見を語ることができるのは、なんで?」

インド人
「子どものころから友だちと毎日のようにこんな議論していますから」

だって。

この若くてお話し好きのインド人同僚は、僕の記事の中に何度か出てきた自由を愛する話が長いインド人とは、また別の人。ドイツで知り合ったインド人ってみんな哲学的な(そしてとんでもなく話が長い)人ばっかりだった。すごいなー。

「方向性を持っている世界観」もしくは「意志に基づいて存在している世界」のイメージ。写真はキリスト教カトリックの総本山のバチカン。カトリックは極めて組織化されている。
「方向性がない世界観」もしくは「意志はなく偶然で存在している世界」のイメージ。踊るシヴァ神の像。

宗教や思想の面から世界を分類

僕の記事「ヨーロッパとアジアの違いってなんだろう?」では、ジョージア人がヨーロッパとアジアの違いを語ってくれた。

そのジョージア人によると、特に西欧の人を中心にヨーロッパの人は「自由とか平等」の価値観を重んじる。でもアジアの人たちはそれよりも「伝統とか仲間」を重んじる、との見方だった。

という彼の分類は、どちらかと言えば「人々が重視する価値観」を切り口に語ったものと言えるかな。

それと比較すると、今回の記事のインド人や北キプロス人の見方は、「宗教や思想」の切り口から特徴を語った感じ。

こんな話題をいろんな国籍や文化の人たちとするって、ワクワクするなぁ。という話でした。

この写真は、ヨーロッパとアジアの境とされるトルコにて撮ったもの。

by 世界の人に聞いてみた

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