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ブログから、その部分だけ抜粋(追悼 さくらももこちゃん)

いろんな人に聞かれますが、なんとなく、闘病していることはうすうすわかっていました。でもももちゃんが「腰が痛いだけだよ」と言い張るので、そう思っているふりをしながら、快癒を祈ってました。しだいに私がわかっているのになんていうことないふりをしてることが相手にもわかって、それがわかられていることもわかって、なんとも言えない微笑ましい感じが最後まで続きました。
夕方でもいいよ、もうちょっと落ち着いたら遊びに来てよ!といつも言ってくれました。
ご冥福をお祈りし、ご遺族の幸せな人生を、まるちゃんやコジコジや、名作の数々が永遠に読み継がれていくことを願います。

私があまりよけいなことを書いて、ご遺族やさくらプロの方たちやミッちゃんに迷惑がかかってはいけないので、多くは語りません。
もし削除を求められたら素直にしますから、このブログがいつまでアップされているかはわかりません。ただもうたまらなくて、今の気持ちを正直に書いておきます。
私たちは30年間、なかなか会えなくても、ずっと友だちでした。何年かに1回会って、元気かどうか確かめるときがいつも幸せで、ずっとお互いを好きでした。そしてお互いの才能を好きでした。いっしょに時代をかけぬけてきました。
いつまでも子どもみたいに無邪気で、とっぴょうしもないアイディアを思いついては天才的な行動力で実行してしまうところがあり、いつも超おもしろいギャグを言い、いつまでたってもお母さんにアイス買いすぎと怒られてて、でも本人もとてもいいお母さんで、情にあつく涙もろくて、優しかったさくらももこちゃん。
うちの子が小さいときに遊びに行ったら、トーマスとアンパンマンとまるちゃんがいっぺんに描いてあるうらやましいカレンダーを息子さんのために手書きで作っていたかわいい人よ。うちの子にどんなにうらやましがられたか!「ママも描いて!」って、ムリだよ!
「ももちゃんは、どんなときでも必ず信じたことを実現してきた人だ。今回も大丈夫だよ」と書いたら、「私すごいね(笑)でも本当にいろいろありがとう。何度ありがとうって言っても足りないよ。私のありがとうがいっぱい届きますように!」と返事をくれた、それが最後のやりとりでした。どんなに体調が悪い状態でもそんなことが言える、優しい人でした。
あまりにも正直すぎるから誤解も多かったかもしれない。でもほんとうにすてきな、かわいい、すばらしい人でした。
そして彼女が線を引くと、例えばまるちゃんを描くと、急に紙の上に光が射すんです。深みがあり、迫力のある、生きた線。30年くらいのあいだに、何回もその奇跡の瞬間を見せてもらいました。
どんなに淋しいか、死の知らせを聞いた日から、心に穴が空いたようです。
私の青春がまたひとつ、終わってしまいました。

どんなに大好きな、懐かしい友だちが死んでも、愛する猫が去っても、やっぱり毎日はめぐってくる。そしてこの体が生きているかぎり、トイレにいったり腹が減ったり髪の毛が伸びたり。
さくらももこちゃんはだれよりもクールで楽しいことが大好きな人だったので、私は今日から顔を上げて、もう泣かないと決めました。
追悼文のお仕事は基本お受けせず、ここで正直な気持ちを書くにとどめます。それも今日で最後にします。
少し前に彼女が体調を崩したときに、私はつい泣きながらメールしてしまい、彼女に笑われました。「ばぎちゃん、大丈夫だよ、大したことないし、そんなに悲しまれたら恐縮しちゃうよ!」
生きている私たちは、今目の前にいる愛する人たちとちゃんと過ごして、最高の思い出を、ゲラゲラ笑って過ごした青春を大事に抱いて、生きていく。
心のどこかで「ももちゃんが同じ時代にいるから、私もがんばれる」と思っていたけれど、これからはまた違う気持ちでやっていかなくては。
彼女の才能はほんもの(なによりもあのクールさと笑いのセンスと色使いと線!)だから、ご遺族とミッちゃんたちが守っていってくれるでしょうし、永いあいだ残っていくでしょうし、歴史が才能を証明するでしょう。
「ちびしかくちゃん」を読んで「タツオと馬車のシーンが最高だ」とメールしたら、「タツオとあの馬車の運転手いいでしょう〜!奴らに目をつけるとは流石だね!」と言ってくれたことを思い出すと、泣いていてもついプッと笑ってしまいます。
友だちって、いいものだ。たとえ一方がこの世から消えても、友情は残る。
ももちゃん、もう1回、最後に、ありがとう。