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2024年4月5日に滋賀から京都に行った旅日記その2

今年のお誕生日花火は、琵琶湖畔の長浜でした。
主催される春花プロジェクトさんの言うには
春馬くんのお誕生日に打ち上げるプライベート花火は、毎回場所が決まっていないそうです。
今回のクラファン参加者は約300人
実際の花火観覧者は180名だったようです。
花火開催日には全国から集まります。


翌日の花火打ち上げ場所

そこでは宿泊も起こるでしょう。お土産も買うかもしれません。プライベート花火を打ち上げることを許してくださった自治体、協力下さった地元の花火師さん。ほんの少しの街への感謝が伝わるかもしれません。そして三浦春馬の名前が載っているプロジェクトですから、なんらか春馬くんの名前が、その街で口にのぼるかもしれません。
春馬くんを忘れないで欲しい。その願いが込められているそうです。
ファンにしたら一日たりとも忘れられない春馬くんですが、市井のひとたちからすれば時間は過ぎていくばかりです。

コロナ禍での日本製のお店

コロナ禍でたくさんのお店が苦難に遭いました。
少し落ち着いた頃に日本製に載っていたゆかりのお店を訪ねた時のことです。
その日は他にお客さまもいらっしゃらず
お店の若い店主さんにコロナ禍だった時のお店の様子をお聞きしました。
今まであったイベントや行事毎が軒並みに無くなり売り上げは激減。率直なその方は「本当に困っていた。」と言われました。
そんな時に日本製に掲載されたお店は、
春馬ファンが本を片手に全国からの問い合わせがあり、実際にお店に訪れて春馬くんが買った商品と同じものが欲しいと買ってくれる。
デパートなどの催事場からも声がかかるようになり、その催事場にもたくさんの春馬ファンが情報を聞いて訪ねてくれる。
催事場で会った日本製に載った他のお店も同様の状況で厳しかったコロナ禍で本当に助かったとみんなで話していると言われたのです。
心無いトラブルが起きていることもあるのかもと少し心配していたのですが、ただ感謝を伝えてくださいました。

日本製と春馬くんを未来につないでいく

春馬くんが残した『日本製』
日本の文化・伝統・歴史・産業を春馬くん自らが取材して未来へ向けて伝えたいと一冊の本が2020年のお誕生日に上梓され、そのマインドがこの災害時に全国のお店を助けることにつながったということは、やっぱりすごいことだと思うのです。
「日本の地方に残る産業のプラットホームに自分がなることが出来たら」と言っていた春馬くん。
春馬くんは作品の中で生き続けていますが、
私たちもいろんなカタチで春馬くんのマインドをつないで行けたらと思います。

ローラレッドとお誕生日の夜

そんなわけで長浜港では、みんなの想いをのせたローラレッドと名付けられた真紅で華やかで優雅で美しい花火が大きく夜空に舞った様子は春馬くんにも届いたでしょうか。

花火打ち上げ後、春馬くんのお誕生日パーティーと称したクラファンの返礼品のひとつに参加した私は長浜のレストランRokuさんで、

独特の街並みのカフェでした

たくさんの初めましての春友さんと一緒にお話しをすることが出来ました。

「春馬くんが旅立った後からのファンで
彼がいた時に気が付かなかった後悔をいまだ引きずって忘れられないでいること。」

「毎日彼がいなくなった理由を考え続けてしまい、それを誰にも打ち明けられないことが苦しいこと。」

「年齢的に自由に動き回ることが出来なくなる日を意識しだしたので、今、出来るだけ春馬くんの足跡を訪ねたいと思っていること。」

「芸能界の流動化が起きている今、春馬くんだけが取り残されてしまったようでつらいと思っていること」

心の中で何度も何度も自分に問い続けて
答えが見つからないことに時間がたてば経つほど苦しくて周りにも伝えられない。自分が時間に取り残されているように感じているそれぞれの想いを少しずつ、食事会の中で春馬くんのお誕生日を祝い、イベントを楽しみながらも疑問を話さずにはいられない時間でした。
みんな春馬くんが大好きだからつらくて恋しくて寂しくてどうしたらいいのかわからない。そんな時間の中で生きているんだとあらためて思いました。

春馬くんにローソクを吹き消してもらえたら

琵琶湖湖畔の豊公園と黒壁スクエア

その日は長浜駅に近いホテルに泊まって
朝ごはんをホテルで食べながら今日のプランを考えていると昨夜出会った春友さんに再会し、
「お互いにまたどこかで会おうね」と言い合ってお別れしてから長浜港のお隣にある豊公園を散歩しました。豊臣秀吉が建てた長浜城がある公園です。

長浜城

琵琶湖のほとりにあって日本さくら名所百選にも選ばれている公園で、今まさに桜が咲き誇っていました。

散歩していると寄せてはかえす波打ち際に分かってはいても本当に真水?なのかとわたしは思わずお水を手に取って味を確かめたり、琵琶湖と長浜城と桜の散策を楽しみました。

大きいな。琵琶湖

散歩から戻ってホテルから5分の長浜の人気スポット黒壁スクエアに行くことにしました。

古い街並の一角にある総称「黒壁スクエア」。明治時代から黒壁銀行の愛称で親しまれた古い銀行を改装した「黒壁ガラス館」を中心に、ガラスショップや工房、ギャラリー、体験教室、レストランやカフェなど魅力あふれるお店が、古い街並の中に点在しています。また、まちなかを少しはなれると、日本一大きな琵琶湖や山々に囲まれた自然豊かな風景が広がります。長浜・黒壁スクエアは、古いまちなみの中の伝統や新しいアート、自然の豊かさを同時にお楽しみいただける場所です。

ガイドブック

わたしは案内を見ながら、昨日行ったレストランRokuさんの道すがらに気になったガラスショップを覗きました。見ているだけで美しいガラスが、日常生活に使えるさまざまなものに変わっています。
お香を立てる香立て。
イヤリングやアクセサリー、ピアス、髪留め。
光をあびるとより美しく輝いて見えました。

近江米で作った手作りおにぎり屋さんで
お昼を購入して、昨日から食べたかった近江牛で作ったカレーパンを並んで買って、

風鈴可愛い

そのお隣のソフトクリーム屋さんから出てきた方が手に持つ焼き芋が乗ったパフェに吸い寄せられて。

大人気でした!

そうこうしているうちに電車の時間が近づいて来たので慌てて駅に向かいました。JRが1時間に一本なのです。わたしの今日の予定は家への帰りの道すがら、京都で下車して太秦に行こうと決めたのでした。

京都太秦映画村

JR京都駅で嵯峨野線に乗り換えます。
どうして今日、太秦に行こうかと決めたかというと太秦には映画•天外者の春馬くんのラストシーンがあったからです。明治の世の中になって、人は自由を謳歌しはじめて、人力車も行き交うたくさんの人通りのある通りに立つ豊子さんを五代さんの春馬くんがハット姿で互いを見かけます。
春馬くんの五代様は走り出そうとする自転車を見つめていて、通りの先に豊子さんを見かけてふたりはゆっくりと微笑み合います。
その春馬くんの微笑みがアルカイックスマイルのようではないかと思ってしまうのです。
口元が微かに話しかけるような、神秘的な柔らかい微笑みです。信頼している表情に心を捉えられてしまうあのシーンを撮影したのが太秦の映画村で、大部分を松竹撮影所で撮影された天外者は、あのシーンだけを太秦で撮っているそうです。
その太秦映画村がリニューアルして新しい映画村に生まれ変わるので、わたしの行った次の日までで、あの映画村のセットが全部無くなってしまうのだそうです。

建物たくさんあるのに

写真集•ふれるのなかで春馬くんは太秦の映画村には、子供の頃から撮影でよく行っていた。と言っていましたね。充実した天外者の撮影中に太秦映画村に行って春馬くんは懐かしかったのではないでしょうか。

わたしも何十年かぶりに太秦を訪ねて映画村を散策して春馬くんの思い出の地がまたひとつ変わっていくことを寂しく思いながら、円安で外国人や観光客でごった返す京都の街から家路につきました。


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