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鉄砲伝来・明暗を分けた日本とアフリカ

16世紀、ポルトガル船の漂着によって種子島に伝来した鉄砲(火縄銃)により、日本の戦争は一変しました。

そして、多くの人は知らないと思いますが、同時期にアフリカにも鉄砲はもたらされていました。

多くの人がイメージする16世紀のアフリカ大陸は、部族社会のみで国家が存在しなかったように思っている人も多いかと思います。
しかし、実際には、エチオピア帝国、コンゴ王国、オヨ帝国など、数十の王制国家が存在していました。

同じ時期に鉄砲が伝来した日本とアフリカですか、伝来後は全く異なる道を歩むのでした。

さて、日本に輸入された鉄砲はとても高価でした。
(今の金額で例えると数百~数千万円)
しかし、戦術的に有利性を持てることから、多くの大名が鉄砲を求めました。

その結果、鉄砲がビジネスとして成立し、

自分たちで作った方が量産できるし、もっと売れる

 ということから国内製造が盛んになり、輸入に頼ることなく価格も輸入品より安くなり、日本は世界一の鉄砲保有国となりました。

一方、アフリカでは、鉄砲を購入できる裕福な国々は、技術力不足やヨーロッパとの距離が近いことから、自国で製造するよりも輸入することを選びました。(日本より輸送コストがかからないので安く買えました。)

鉄砲の代金として奴隷を求められることもあり、金はないけど鉄砲を欲しがる国々は内陸に戦争を仕掛けて捕まえてヨーロッパに奴隷として売っていました。

後年、アフリカはヨーロッパ諸国の侵略により植民地化されていきます。
アフリカの植民地化は政治的な要因などが複雑に絡み合ってい簡単に説明はできませんが、自国で鉄砲を製造できなかったことにより軍事的に劣勢となったことも、植民地化されていく一因だったと思います。(侵略の意図があれば最新の武器は売らないですもんね)

いつの時代でも、自国での生産能力を維持し、他国に依存しないことが大事だと思います。技術の進歩とその活用が国の未来を左右するのですから。

出典は、本のタイトルを忘れてしまいました。


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