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2024年4月の日記~「会社と学校の変化に向けたワンチャンス。猫の話つき」号~

4月*日
1日に新卒入社した若手社員と「これまで一番カルチャーショックを受けたこと」をテーマに話をしていて、ガックリすることがあった。彼女の一番は、「デンマークに留学した際に、彼の地の多くの大人たちが、利他的で親切だったこと」だいう。それは裏を返せば、彼女は22年間、そのような大人にあまり出会えなかったということでもあると思う。
「皆さん振る舞いが利他的で地元の大分を思い出しました」なら「東京は砂漠だね」と返せるし、「幼き頃を思い出しました」なら「個人主義のなれの果ては利他の心をなくすことだよ」と返すことができる。しかし、彼女は生まれてこの方、そのような大きな親切にほとんど触れていないのかもしれない。そしてそれは、今日を生きる20代の多くがそうなのかもしれないと思わされた。
もちろん旅先でのそれと母国でのそれは違うということは分かる。けれど、私が忌み嫌う言葉「大卒即戦力」であることを求められ、入社したらしたで、個人主義という名の放置プレイにさらされ、大して輝いていない上世代を見ながら暮らさざるを得ない今の20代は、彼・彼女らにまったく非がないが故に、少々気の毒に思うことがある。
少しでもよき社会に、少なくとも、冒頭のようなことにカルチャーショックを受けさせることのない社会に、我々ミドル世代は本気で頑張らないといけないと、私は思う。
 
4月*日
「学校」という場所については、色々と思うことがある。
それは多分、今を生きる日本人の多くの人が感じていることだと思う。
言い換えれば「何かを変えなければならないタイミングに来ている」ということなんだろう。
以前の日記で書いた「部活の顧問を取り上げられたことを契機に中学校の先生を辞めた子の話」や、「職員室がキツ過ぎて、このまま教師を続けたら自分がダメ人間になると思った」から先生を辞めてうちに転職してきた子の話など、私なんかの元にも、学校絡みの話題は次々と届く。
一方で、ホンブロックが主宰する「先生のための家族理解ワークショップ」に参加される多くの学校の先生たちは、総じて「苦しみ、悩みながらも可能性を信じて」教員を続けられている。娘が通う小学校の保護者会を通じて知り合う先生たちにも、チャーミングな方がたくさんいらっしゃる。
かと思えば、とある友人の両親は「こんな職場にこれ以上時間を捧げる価値はない」と50代前半で学校を早期退職。今もその選択に一分の後悔もないと聞く。
兎にも角にも、みんなで今一度考えないといけないことなのだろう。そこに子どもたちがいるのだから。
そんなことを思っている最中、軽井沢にある風越学園から理事になってくれないかと相談を受けたので、引き受けた。私がより興味関心が深いのは公立校なのだけれど、友人がやっているこの学校で、学べること、感じられることを吸収して、風越学園のみならず、広く社会にできる限り還元していきたいなと思っている。
 


4月*日
春は色々と動き始める季節。新しく企画を立てたり、考えたりする機会も多い。
そんな中で、若手メンバーたちから、「これが優勝!とっておきセミナー」(仮)という名の企画提案をされて、「自分たちで優勝って言い切っちゃうのは、どうかな?」と返事をした。すると「あ、団さん、優勝の意味、多分団さんが思っている、そういうことじゃないです」と切り返された。
セミナー自体の対象者は若手、企画者も若手だから、あえて私が口を出す必要もないのだけれど、どうにも「優勝」は気になる。私にとって優勝といえば、去年の阪神タイガースの38年振りのそれであり、ぱんぱかぱーん!が相場。アレであり、テッペンであり、胴上げであり、勝ち抜いた先にあるのが「優勝」。でも若手メンバーは、「それも優勝ですが、そういう風には使わないんです」と言う。「ほんとかよ」と思ったので、周りの30歳までのメンバーに聞いて周ると、一様に私が分からないそれを、「分かりますよ」と言う。
なるほど、これはいつぞや「ワンチャン」に感じたことと同じだと気付く。ワンチャンは今では「場合によっては」と的確に訳すことができるようになったが、ここでいう優勝も、私が分かる適訳があるはずだ。早く探さないと。
 
4月*日
舞鶴で主宰している「atelier oar(アトリエオール)」は地域にひらかれた場として運営していて、毎月、誕生月が同じである人だけが参加できる場「いっしょ会」や、今モヤモヤしていることをそれぞれが言い合うだけの場「もやも夜」などを企画・運営している。
最近はじめた「ちゃった洋品店」は「仕入れ過ぎちゃった」「作り過ぎちゃった」「B品になっちゃった」「発注間違えちゃった」などなど、モノづくりにまつわりどうしても生まれてしまう「ちゃった」な品々を、上代の25%で仕入れさせてもらって、50%でお客様に購入協力してもらう、というサステナブルな場づくり。
この「企画フレーム」を評価してくれる人も出始めていて、モノづくりの産地からお招きいただくことも出てきた(名づけて出張しちゃった。先日は宮津に行ちゃった!)。
今日はそんな場を、より使いやすくするための改装工事の日。一番のチャームポイントは、「ちゃった洋品店」を始めたが故に必要になった試着室で、なんと全身が見える。設計をしてくれたアタケンが、なんだかよく分からない数式に当てはめて、鏡の位置を細かく指示してくれた結果、正面を見るだけで後ろ姿までチェックできるという試着室が完成した。美容室で、後頭部の仕上がりを見せてくれるあの感じ、と言えば伝わりやすいだろうか。
 

4月*日
駒沢こもれびプロジェクトの絡みで、「シモキタ園芸部」の話を聞きに行った。
「シモキタ園芸部」は東京の下北沢という街の緑の「維持・管理」活動をする市民グループ。東京のど真ん中でありながら、緑豊かな街に住みたい、という市民の声から始まった活動で、今では部員が200人を超える。部員は3,000円の部費/年を払って、言うなれば草むしりをしている。なかなか奇跡的な光景だと私は思う。少しでもヒントを掴みたいと思ったのは、奇跡の土台は何かということ。
この活動の中心人物の一人である三島さんに話を伺い、私が一番惹かれたのは、「部員全員がやりたいことをしている」のであって、ここに「やらなければいけないことはないんです」ということ。
園芸部という枠組みの中で、コンポストを極めたいと張り切るおじちゃんがいれば、そこで学びたいと思う人が現れ、手伝いたいと思う人が現れる。都市養蜂をしたいと始める人がいれば、堆肥発電への挑戦を始める人もいる。もちろん、緑のお世話をする人が一番多いのだけれど、それも「みんながやりたいからやっている」という構図に落とし込めている。これはアソブロックが貫いてきた「固定の事業は持たない」、「メンバーのやりたいことを事業にする」という思想と同じもので、私はイメージがしやすかった。
一方で、会社という組織の中でそれを実践してきた身からすると、200人規模でその思想を貫く難しさもよく分かる面があり、「ぼくは別に大したことは何もしてないんですけど」と朴訥と話す三島さんたち首脳陣が実はすごいのだと言うこともよく分かった。駒沢で、類似の活動は成就するだろうか。

4月*日
4つ前に「学校」についての課題意識を少し書いたが、同じかそれ以上に「会社」というものの在り方にも、色々と思うことがある。
「社員のレベルが低い」「メンバーの意識が低い」「4月1日に退職する新卒生が続出)←ホントか?」などと言う声や報じるメディアがあるけれど、それは個人の問題ではなく「会社」の問題だと私は思う。
つまり、レベルが下がり、劣化しているのは「ニッポンの会社」であり、そのあおりを受けているのが「中で働く個人」ではないかと(一部の勝ち組にとっては今の会社は都合がいい形態にはなっている)。
そんな課題意識から、「会社とは何か」や「経営とは何か」を今一度みんなで学ぶ場を作りたいと思っていたところ、賛同してくれる仲間たちと一緒に、RHRBという課外活動を始めることになった。
といっても昨日・今日の思い付きではない。構想から1年近く時間をかけ、合宿もして準備を重ねてきた。その活動のスタートを記念するキックオフの集いが5月27日に開催する。どんな展開を見せていくか、楽しみでならない。

4月*日
ひと冬頑張ってくれたタイヤの交換に、行きつけの黄色い帽子に出掛けた。
タイヤを交換して、また次のシーズンまでタイヤを預かってもらう。保管をお任せできるというのは、子ども部屋の確保問題にすら悩む我が家においては、大変心強い。彼らが提供してくれるサービスに何の不満も不平もないんだけれど、車を預けた後に必ず電話がかかってきて「実はここが…」と営業トークをされることについては、警戒心が働いてしまう。
例えば、「団さん、車の底がすごく錆びているので錆び落としはいかがですか?」とか「なんとかオイルが微妙なんで交換しておきましょうか?」とか。絶妙に私レベルの車素人では「よく分からない」提案をしてきてくれる。
ふたつのことを同時に提案されることはこれまでなくて、必ずひとつ。でも必ず電話がかかってくるので、この追加提案による売上は作業員のインセンティブ比率が高いんだろうな? とか、邪推してしまったりもする。ちなみに私の車は1ナンバーで毎年車検なので、その点でも、「ホントかな?」と思ってしまう部分があり、結果的に一通り聞いた後「大丈夫です、ありがとう」と条件反射的に返事をするのがパターンになっている。
ところが今日は「団さん、エアコンオイルが微妙なんで交換しておきましょうか?」と車素人の私でもよく分かる提案をしてきてくれた。しかしそこは条件反射、気が付いたら「大丈夫です、ありがとう」と返事をしてしまっていた。
その翌日のこと。その日は4月としては異例の猛暑日らしく、勇んでエアコンを「最強」に設定したが、効きがイマイチ。なんだよ、素直に聞いておけばよかったじゃないか。騙されるくらいがちょうどいいって、そう言えば誰かが言ってたなあ。
 
4月*日
最後は猫の話。ニャーニャーのネコ。
今の日本では、「飼い猫が先に亡くなるか、飼い主が先になくなるか、いざ勝負!」という状況が日常的に起きている。それ自体は、高齢化社会における出来事のひとつに過ぎないのだけれど、後者になった場合は、関わっていた援助職者が実際問題として対応を検討せざるを得ないことも多く、中には「仕方なく自分で飼う」という選択をする人もいる。
飼い主亡き後の猫の世話は、どう考えてもケアマネやヘルパーの仕事ではないのだが、かといって、野良化させるわけにもいかず、遺族がいたとしても、住居はじめいろいろな事情で「じゃあ私が飼います」とはいかない場合も多く、結局対人援助職者が、対猫援助職者に変身!ということになる。笑えない現実だ。
そんな状況に対応するサービスを考えて提案してほしいと、ねこから目線が京都市から声をかけられたのが1年前。試行錯誤を重ねて生まれた「飼い続ける支援・飼い始める支援」というサービスが今、界隈で注目を浴びている。今朝の朝日新聞にも取り上げられまして、嬉しい。