AO受験で書いたレポート

こんにちは。読書が好きな女子大生です。今回は私がAO受験の際に書いたレポートを公開してみようと思います。結局AOは落ちてしまって、一般受験で大学に入ったのですが^^;AO受験結構頑張っていたので、供養という感じであげてみます。私が好きなのは社会学で、大学も社会学部なのですが、今回のレポートは文学部に向けて提出したものです。なんで文学部受けたの?って感じですよね。それを見抜かれて落ちたのかもしれません笑

このレポートには「ハンチバック」という本が登場します。本が好きな方なら知っているでしょう。第169回芥川賞を受賞した、かなりの衝撃作品です。私はジェンダーや性に関して勉強したいと思っているので、この本を選びました。基本は文学作品が与える影響について書いているので、ネタバレはありません。書類選考落ちているので全く参考にならないと思いますが、温かい目で見てください。



タイトル「文学作品から見る現代社会の性」

私たちの日常に性は温れている。それは人の性欲や、多様なセクシュアリティに、身体の違いであったりする。そして、それは様々な社会問題に関係している。私は文学作品を通して多様な性の形について研究していきたい。

多様性を背景に性について語ることが難しくなっている現代社会。映画やドラマなどで美化された性が一般には受け入れられやすい。だが、本当の人間の性はもっと生々しく、人の心を重くさせ、人間であることに罪悪感を抱かせるような存在でもある。性とは人間が肉体を持ち続ける限り離れることのできないものであり、またそこから派生する現代の間題は人間が目を逸らしてはいけないものだ。私は読書を重ねていくうちに男女の美しい性ばかりが表に立つ現代社会に疑問を持った。そこで、直視することすら憚られタブー視される人間の性の問題に真っ向から切り込んだ文学作品を研究し、その社会的背景と私たちが性とどう向き合っていくのかを研究したいと考えたのだ。文学作品の一例として「ハンチバック」をあげようと思う。

LGBTQはもちろん、障碍者の性や高齢者の性が登場する文学作品が現れ始めた昨今。今までないものとされていた性が文学作品を通して声を上げ始めている。第169回芥川賞を受賞した「ハンチバック」では、身体障碍者女性が妊娠、中絶、エロティシズムへの憧れを抱く生々しい様子が描かれている。私はその様子を読み、衝撃と共に障碍者の性に対して問題意識を抱いた。このように文学には人の心に影響を与える力があり、この力こそ社会問題を解決する契機となるのではないか。

日本の歴史を振り返ると、障碍者女性に強制不妊手術を受けさせる旧優生保護法など、障碍者の妊娠、出産は否定されてきた。また、LGBTQの性については否定されるどころか存在しないものとされていた。しかし近年、社会的に認知されるとともに文学作品にも著されるようになってきている。作者が伝えたい障碍者のリアル、性欲、性に対する意識は今まで明らかにされてこなかったものだ。そして、そこから障碍者の性に関する多くの社会問題を読み解いていくことができる。

多様な性を表現することはネガティブなものと捉えられてしまうかもしれない。人を無意識に傷つけてしまうことがあるからだ。しかし、事実から目を背けていては人々のイメージは変わらない。リアルな姿を伝えることで、まずは人々に問題意識を感じさせる必要がある。そして、問題意識を抱いた人たちが話し合い、解決へと向かっていく。そのきっかけの一つが文学である。

私は文学を通して、埋もれやすい多様な性の輪郭を明らかにし、文学から性にまつわる社会問題にアプローチしていく研究を行いたい。文学作品には人を変える力がある。文学作品を通して社会の問題を伝えることで、人を感動させ、ダイレクトに問題意識を抱かせることができるからだ。社会問題を解決することは一筋縄にはいかないが、文学という人々の身近にあるものから問題を提示していくことは解決への道標になるだろう。

あとがき

いかがでしたか。私はやりたいことが社会学に近かったので、必死で文学部受けするように書いていますね。あまりハンチバックの考察をしなかったのは文字数の関係です(笑)もっと詳しくハンチバックについて書いていればよかったのかもしれないです。

ハンチバックでは身体障碍者の女性が性行為や妊娠、堕胎へ憧れを抱く様子が描かれます。障碍者の性欲。それは長い間社会から無視されてきたものです。障碍者が生殖行為をすることはタブー視されてきましたし、現在も悪いイメージがあります。私は障碍者が子供を持つことや、性行為を行うことが悪いとは思いません。しかし、それには大きなリスクが伴います。万が一子供ができてしまったら、その子供の将来を保証しなければいけません。障碍のある人にそれが可能なのか。また、それをサポートする環境が整っているのか。障碍者の男性が自らパイプカットを望む場合もあります。それもまた選択肢として間違ってはいません。何が正解というわけではないのです。ただ、障碍者の性欲や、性に関する興味をないものにしてはいけない。
知的障碍者の息子を持つ母親が、息子の性欲の相手をするという話をご存知でしょうか。このような残酷な選択をせざるを得ないのは、社会が障碍者の性欲をないものとみなしているせいではないかと考えます。このような社会で、母親はなかなか周りに相談することができずに、自分で解決しようとしてしまうのではないでしょうか。障碍者の性欲を無視するのではなく、存在を認め、サポートの仕方を考えなければいけません。

ハンチバックを読んで、今まで考えもしなかったことに対して興味を持ち、思考を巡らせることができました。素晴らしい出会いであったとともに、社会の問題に気づいてしまう残酷な出会いでもありました。この出会いを生かして、大学でさらに社会問題について学ぼうと思います。ぜひみなさんも一読してみてくださいね。


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