会長とredditとサメちゃんと孫悟空とアメザリひらい氏と #JointhefutureJP

#JointhefutureJP 。日本文化コンテンツの未来。2020年の振り返り。全部別の話として書きかけになっていたものを、全部放り込んでみる試み。

本稿ではVtuberコンテンツについて、昨今の海外の盛り上がりに驚きつつ、ホロライブ4期生の3Dお披露目タグとして使われた「#JointhefutureJP」を起点に、2020年に見たあれこれを並べ"the future JP"について考えてみる。

1、きっかけ:気になったタグ「#JointhefutureJP」

2020年はホロライブ大躍進の年だった。その大きなきっかけが前年12月から発表されたホロライブ4期生の登場であったことに疑問はないだろう。

それまでも3期生の加入以降着実な成長を見せていたホロライブは、更なる躍進を見せるようになり、その熱狂が高まり続ける6月、ホロライブ4期生の3Dお披露目配信が発表された。

その配信ハッシュタグとして発表されたのが「#〇〇(メンバー名)3D 」と海外視聴者向けと思われる「#JointhefutureJP」だった。"Join the future JP"。"JP"は"Japan"だろうから、文字通りに訳すと「未来の日本に参加しろ」という感じ。

この配信は、YouTubeでの同時接続数が10万人を超えるとともに、上記のハッシュタグもTwitterの日本・世界のトレンドに入った。驚くべきは、アメリカやインドネシア、ブラジルなど海外の「国内」トレンドにも入っていたらしいこと。

これらのタグは日本国外の多くの人の目に入ったことは間違いない。「#〇〇3D 」の方は「〇〇」が日本語なので読めないが「#JointhefutureJP」の方はずっと多くの人がその意味を解したはず。

"Join the future JP"「未来の日本に参加しろ」うん、いい響き。

だけど"the future JP"ってなに?と思ったのが全てのきっかけ。

本稿では、この"the future JP"が引っかかったままの筆者の頭に絡まってきた諸々を並べて、ちょっとだけ未来を考えてみることにする。

(*注:タグの深意についての説明を筆者のガバ調査力ではまだ見つけられていません。プレスリリースにはないし、こういう議論が好きそうなreddit(次項目で紹介)でも見つからない。メン限含めどこかの配信で説明してたのでしょうか。正直誰か教えてほしいです。)

ともあれ上記の配信やハッシュタグの盛り上がりから、日本式もしくはホロライブ式のVtuber活動に、海外から想像を超える注目が集まっていることは改めて確認できた。おそらくキズナアイの海外人気やホロライブのbilibiliでの人気以来のことだったと思われる。

深いところの意図はよく分からないが、それでも「#JointhefutureJP」の「the future JP」の部分も「(海外視聴者目線での)日本の新しいサブカル」みたいなイメージで捉えればいいのかな、などと思っていた。

そんな感じでちょっとだけモヤりながらも、同プロ別箱に夢中になっていたのでそこで筆を置いてしまっていた2020年の6月。

2、そこから:redditでlurker(ROM専)して色々垣間見る

そこからしばらくして、以下のような興味深い企画が始まった。

内容は、海外大手掲示板サイトのreddit内にある下記のホロライブ公式ページ(r/Hololive)に投稿されたmeme(ネタ投稿)を、ネタにされている側の一人であるバイリンガルのVtuberが日本語で紹介するというもの。そこには○ルガ団長や○プテピピックが登場しない、ときたまTwitterなどで見かける海外ネタ画像の世界が広がっていた。

配信で内容はかなり噛み砕いて説明されているものの、memeへの反応など実際のコミュニティの様子が気になったので、覗いてみることにした。

とりあえず目に入ってくる文字列はというと、"Blessed (尊い)" "Wholesome (てぇてぇ)"、"tee tee (てぇてぇ)"など。どこの人々もだいたい言っていることは同じらしい。

そして下記するHololive ENが登場するまでは、意訳になるが以下のような投稿もそこそこ散見された。「何を言っているかは分からないが元気が出る」「配信でのリアルタイム翻訳者は神」「日本語を勉強してよかった」(その後ENの登場とともに、今度は日本の視聴者が英語について全く同じことを言い出すことになるのだが)

そこには言語の障壁を乗り越え、ないし受け入れつつ熱心にVtuberを推している海外オタクたちの姿があった。そして、そのコミュニティの構造は日本のアニメのFansub(字幕作成)をしている集団と傍目には似ている気もしたし、Vtuberをどちらかといえば「アニメキャラクター」のように受け止めているような印象も受けた。

日夜memeを作り自分の推しを広め、それぞれの話題について時には長文で議論するその熱量には、正視に耐えないレスバか「草」「尊い」「エッ」「まって」で済んでしまう世界とは違う新鮮なものがあった。

「このエネルギーはすごいな」「Vtuberを日本の新しいコンテンツとして、何か面白いものとして受け止める人々がいるのだな」というのが筆者のredditへの印象になる。もしかして、この海外から日本のコンテンツに向ける熱意や熱量が"the future JP"だろうかと思った7、8月。

そんな風に色々と眺めていたら、r/Hololiveだけでなくr/VirtualYoutubersを眺めることも多くなった。もちろんそこでもホロライブやにじさんじなどの大手Vtuberの話題が定期的に流れるのだけど、それ以上に「Vtuberになりたい」「Vtuber始めました!」「YouTube登録者1000人ありがとう!」みたいな投稿が多く活気がある。個人的にはめちゃくちゃおすすめ。

(蛇足だけど、redditとは別の某海外匿名掲示板を見にいくとやはり少なからず注目を集めていることがわかる。ベクトルはかなり違うけど)

3、その後:Hololive ENの衝撃

このように海外に存在する熱量を感じつつも、彼らの需要をより正確に受け止めるようなVtuberはどのようなものなのだろうか、などと考えていたら、とんでもないことになった2020年の9月から10月。

ホロライブプロダクションの海外支部として、CN、IDに続き、英語話者のVtuberグループ「ホロライブ  EN」がデビューし、チャンネル登録者数の爆発的な伸びを記録した。

上述したredditでの盛り上がりを眺めていた筆者としては驚きとともに色々と文章を考えてみたりもしたのだけれど、Twitterで複数の方により早く言及されてしまった。曰く、海外の視聴者が求めていたのは「日本フォーマットの英語コンテンツ」または「翻訳を待たずに見れる日本文化コンテンツ」(@ねこます氏)であると。(これ以上ない表現だったので引用。原意に沿わないとの指摘があった場合には削除します。)

これがどのようなことか、前の項目を読んだなら理解して頂けるように思う。海外視聴者が「どの程度の熱意を持ち」「どのような障壁に悩んでいたか」を理解すれば、どこに需要があったかは非常に明瞭だ。

全くの私見だが、Hololive ENのすごい所の一つは「英語で発信されるコンテンツにも関わらず日本人が見ても日本文化コンテンツ(もしくは類するもの)だと認識できる」ことだと思っている。この境界線がどこにあるのか、キャラクターデザインなのか、声優としての技術なのか、日本文化への理解が深いメンバーが複数いるためなのか、それは分からないがとりあえずサメちゃんはかわいいしTAKAMORI てぇてぇ。

「翻訳を待たずに見れる日本文化コンテンツ」「非日本語による日本文化コンテンツ」もしかしてこれが"the future JP"だろうかと思ったりした。

この流れは今後も広がっていくと筆者は予想している。ある程度日本文化コンテンツが浸透した地域であれば、それを現地語に置き換えていく試みはどこでも可能だから。上記した境界線の問題はあれど、この「新しい」日本文化コンテンツは十分拡散し得る。例えばbilibiliなどはすでにそのような状況にあると思う。

さらに言えば、どこかで「日本文化コンテンツ」という枷も外れ、非日本語文化による「日本風コンテンツ」に転じる可能性もあるとは思う。現に、英語圏発の有名Vtuberを中心としたグループの設立が発表されたりしている。

4、とはいえ:孫悟空の声真似が通じないおどろき

となると逆方向の問題も気になってくる。つまり日本から海外へのコンテンツ発信のことだ。「翻訳を待たずに見れる日本文化コンテンツ」に大変な需要があることはHololive ENが証明した。では日本語話者も他の言語を話すことで、この需要を取り込むべきなのだろうか?

お仕事としては間違いなく答えは「その通り」だと思われる。しかし同時に「言うほど簡単だろうか?」とも思う。

理由はシンプルで「多くの日本人が日本語以外を解さないこと」「マルチリンガルでのエンタメが難しいこと」あたりだと思っている。(*完全に英語だけを喋る場合については後述)

一つ目の事情はまだ十年位は変わらなさそう。日本語以外での発信を行うことにより日本語しか解さない視聴者が離れてしまうというのは想像できる。

しかし二つ目も十分に難しいと思われる。具体的には「翻訳を待たずに見れる日本文化コンテンツ」は、「翻訳前の原典」と「国外に広まった翻訳後の日本文化コンテンツ」のどちらの文脈に依拠すべきか?という問題。

そしてこれはとりわけ「国内の翻訳前」「国外の翻訳後」の間にコンテンツ内容の差異が生じている場合などに顕著になる。

一例として『ドラゴンボール』を挙げてみる。当作中の「かーめーはーめー波ー!」という台詞から、声優・野沢雅子女史が演じる孫悟空の声を思い浮かべる人は少なくないだろう。だが、これは海外では必ずしも通じない。

吹き替え版でドラゴンボールを知った海外の視聴者が、孫悟空として慣れ親しんでいるのはSean Schemmel氏の演技だ。実際、大人の悟空の声としては自然かもしれない。(余談だが、フリーザ役のChristopher Ayres氏の演技は、日本語版そっくりでちょっと感動した。一方で、コアなアニメファンになると吹き替え版よりも字幕版を好むようにもなるようだ)

このようなことは吹き替え一般にあり得ることで、結果何かが起こるかと言うと、声優としての側面も持ち合わせることの多いVtuberの「声真似芸」が通じなかったりする場合が発生している。

海外の視聴者を意識しつつ「孫悟空の声真似」をするとき、原典を取るべきか、それとも翻訳版を取るべきか、エンタメとしてどちらが正解なのかはちょっと分からなくなる。

つまり「翻訳を待たずに見れる日本文化コンテンツ」には「これまで翻訳された結果の日本文化コンテンツ」と地続きである方が望ましい場合があり、その文脈を無視して日本語話者が翻訳・発信しても、必ずしも最善の結果を生まないように思われる。

そうすると望まれるのは、日本と他国それぞれの背景を理解した上で言語を操れるマルチリンガルになるのだけど、その時点で人数が極端に減るし、かつ演技力等のエンタメ能力と、配信業に求められる鋼のメンタルを持つ人材を探すとなると、その期待値(予想される適合者の数)は2桁にも達するかどうか不安に思えてくる。

一方で奇跡的にそれができているHololive ENメンバーの配信を見ても、英語と日本語の間でどのようにバランスを取るかの悩みを見せる場面もあり、音声的・言語的な情報に頼らざるを得ない現在のLive2DベースのVtuberが多言語でエンターテインメントを提供することの難しさは感じてしまう。

極論だが筆者としては、おそらくこれらの問題は究極的には解決しないと考えている。立ちはだかる数多の壁を乗り越えることを目指すよりは、現在の日本のVtuberの配信での海外視聴者とのやりとりに見られるように、ある程度たどたどしい部分があっても善意や愛で補っていくほうが幸せだと思う。

ただしこの構造も、今はある種の陶酔的熱病(投資におけるユーフォリア的なもの)に支えられている可能性は否定できないので、幻滅に終わるのか、中長期に渡る信頼関係として成熟するかは分からない。

だからこそ、善意や愛を中長期に渡る信頼関係として維持できる未来こそが、"the future JP"であればいいと心から願っている。

(注*完全に英語だけの発信も可能だと思うけどその場合日本人である必要があまりないし(英語話者が日本人RPすれば良いので)、『パラッパラッパー』のタマネギ先生みたいな強烈な日本語アクセントの英語で喋るVtuberは面白いだろうとは思うけど「日本文化」とは違うような気がする)

(蛇足:フランス語アクセントの英語で喋る人気YouTuberなどは存在する。その人はイタリアに行けばイタリア語も喋る。本稿を書きながら欧州のマルチリンガル社会が頭に浮かんだけど歴史・文化的な側面が大きいと思う)

5、さらに:アメザリひらい氏の発言

ここまで、ひたすらに海外の話を続けてきたのだが、ちょっと規模が大きくて気が遠くなるところもある。日本の話をしよう。

最近、驚くほどの具体性と明瞭さを持ってVtuber界隈に参入した人を知った。それは松竹芸能所属のお笑いコンビ、アメリカザリガニの平井善之氏(Vtuber的には「アメザリひらい」氏)だ。

氏は2017年に発足した「松竹芸能笑うVR研究部」の部長であり、2018年にはVRシステム『バーチャルキャスト』を用いたバーチャルYouTuberとしての漫才を発表している。また、同システムの導入事例としてのインタビューではVtuber・VRの利点を述べたりもしている。

そして少し前、以下の麻雀コラボ配信で極めて興味深いことを語っていた。

氏は配信中に「そもそもVtuber界隈に参入した理由」を聞かれ、「無形文化財としてしか存在しない話芸・芸能を3Dのモーションデータのログを取得することで、有形化し保存することを思いついたから」と答えている(要約)。

ほぼ同様の内容は、後日以下の「Vジャンプレイ」の記事としても発表された。

この記事では上記配信よりも、更にまとめられた詳細が記されている。とりわけ以下のような言葉が筆者には印象的だった。

人前でパフォーマンスする人達や、特殊な技術で作業する人達の動きを3Dのモーションデータで残しておきたい。
漫才、落語、歌舞伎、コント、演劇、舞踊、格闘技の技術を未来に残したい。
未来に残すことで、技術や文化が継承される。途絶えたとしても、再構築される時に収録しておいたデータは有益な素材になる。
大切なものを失いたくない。

びっくりした。そしてエモい。超エモいから是非読んでみてほしい。

これまでVtuberという存在についてその定義や利点については、多くのことが語られてきた。しかし、どうもその中には実態と乖離したものが含まれていたりして納得できていない部分もあった。

その点アメザリひらい氏の語るVtuberの意義・利点は、目的と方法と得られる結果がおおよそ一直線で、ぐうの音も出ないくらい説得力がある。

これは筆者の個人的な悲観なのだけれど、これまで積み上げられた「日本語による日本文化コンテンツ」を、今後人口とともに減少していくだろう日本語話者がどのように保存、継承していくのかについては、ぼんやりとした不安があった。

その意味では技術や文化が「途絶えたとしても再構築される」ことには、希望を抱かずにはいられない。

かけがえのない無形的な文化的遺産が「バーチャル化される」「データ化される」ことで「少しでも取り返しのつくもの」になる。そのために仮想化されていく日本文化コンテンツ、これも"the future JP"だろうか、などと思ったところで本稿はおしまい。

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