- おじさんの追憶 vol.8- 1999年 自分史上最北の地にて
南欧の次は北欧です
1999年の思い出も、次は北欧、メインはノルウェーです。ちなみに、デンマークは往復それぞれ半日のみ、スウェーデンは寝てる間に通過しただけです。時期は11月下旬。「北欧」、小田急の駅にあるパン屋さんのイメージ、ではないですね。寒い以外は良いイメージがあります。
チャンピオンズリーグのアウェイ戦を応援しに、ノルウェーへ
我らがバイエルン・ミュンヘンがヨーロッパ戦で戦うのは、ローゼンボリ。ノルウェーのトロンハイムという街のクラブです。ミュンヘンから夜行でハンブルクまで行って、乗り換えて、コペンハーゲンへ。コペンハーゲンで乗り継いで、また夜行電車でした。
電車ごとフェリーで移動して、オスロへ
コペンハーゲンがある位置ってスウェーデンの対岸くらいの場所なんすね。行ったのに知りませんでした。人魚姫の像は行ったな。あとは駅の近くをウロウロしただけだったかな。あまり遠くまで行った記憶はありません。荷物重いので。今は国境間に橋ができたという話も聞きましたが、当時はフェリーで移動しました。
ノルウェー・オスロ
今もそうかもしれませんが、北欧は当時も"物価"は高かったです。飲食とかで顕著でした。税金もみたいです。福祉国家ということで。物価は、当時の印象だと高い順に、北欧→スイス→イギリス→フランス・ドイツ(&オーストリア)→イタリア・スペイン→ポルトガル、チェコ→他東欧というイメージ。
トロンハイムへの移動まで時間があるので、しばしオスロの街を観光です。1泊したかな?
私、絵画含め、アートにはからきし理解がないのですが、ここは行きたかったのです。ムンク美術館。当時と今とで場所も規模も全然違うっぽいのですが、ここには"叫び"がありました。これは名画ということで。
エドヴァルド・ムンク 叫び
異国で私を救ってくれたもの
物価が高いという話がありましたが、長期の旅行中、さりとて食生活は気を遣うポイントです、当時から"日本食"はヨーロッパさまざまな所で食べることができました。ただ、大きな街でないところでは、結構出会うのが難しい。
そんな時に頼りになったのが、"醤油"です。それも、キッコーマンの醤油ボトルです、100mlくらいのミニサイズ。ツナ缶とマヨネーズ、醤油をたらして、パンと食べてましたよ。美味しかったこと!別にノルウェーでだけじゃないですけどね。とにかく“醤油”だったんですかね。日本人のアイデンティティなのかしら、私だけのことなのか。
トロンハイムって!?
ノルウェーはオスロが首都で一番大きな街、二番目はベルゲンというフィヨルド観光で有名な街。そして、三番目がトロンハイム。超有名なものがあるわけではないので、こんな機会がないと訪れないです。今のところ、自分史上最北の地です。北緯は高いですが、海流の都合で、そこまで寒くはないということでした。実際、凍えそうになった記憶はないです。どんな街だったか、思い出せませんが、イヤな記憶がないので、よいところだったんだと思います。
対戦相手のローゼンボリBKというのは、ノルウェーの名門クラブ。ノルウェーの人たちは応援なんかも過激ではないので、アウェイ観戦でも安心でした。
試合終了後の出来事
私の北欧でのハイライトは実はこれ。引き分けで終わった試合後に、アウェイゾーンに残っていたら、スタジアムの係員さんがグラウンド入っていいよって。もちろんピッチじゃないですけど。シレっと降りました。得した気分。嬉しかったので、年季の入ったローゼンボリのマフラーとバイエルンのマフラーを交換してきました。
北欧に行ったという達成感、タックタック
ノルウェーもそれこそフィヨルド観光とか、もっと北の方とか、スウェーデンもフィンランドも、デンマークも、素敵なところはたくさんあるんだと思います。元も子もないですが、旅で行くのと暮らすのとはまた別なんだろうというのは、今、外で暮らしていて思います。観光地なんて一回行けば十分とか。にしても、ノルウェーなどなど、行けて達成感はありました。こうやって思い返すと思い出すことがあって、ノルウェー語でありがとうは"タック(Takk)"でした。タックタックって言っていた記憶が蘇りました。
さて、このあとは。
■ ミュンヘン大学 サマーコース : Released
■ ミュンヘンでの生活とFCバイエルン: Released
■ イタリア・ミラノのパニーニ: Released
■ ポルトガル・スペイン: 夕暮れの宮殿と地の果て: Released
■ 北欧 デンマーク、ノルウェー: 自分史上最北での出来事: Released
■ クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ: 私が見た戦争
■ ドイツ いろいろな街とブンデスリーガ
■ 英国 ロンドン、リバプールとプレミアリーグ
■ ポーランド
■ トルコ&一瞬寄った国、とかとか。
旧ユーゴスラビアと言っても、もはやわかる人の方が少ないかもしれませんが、印象深い旅になりました。
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