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物語を愛するということ

おなじタイトルおなじ装丁の本は、日本中に何冊もあるけれど、私が愛するのは、この「私の手元にあるたった一冊」の本が紡いでくれる物語だけなのだ。

そんなことを思いながら、江藤淳氏の『なつかしい本の話』を読んでいます。

おなじ本でも、その持ち主によって、本の佇まいはそれぞれ変わるものだと思います。
本の内容とおなじくらい、姿カタチとしての本が醸しだす佇まいそのものを愛する江藤氏のこころに、私は深い共感をもちました。

私のすきな本の一冊に、野呂邦暢氏の『愛についてのデッサン』があります。
そのなかで、古本屋を営む主人公が、とあるお客の注文書をみて、会ったこともないそのひとに対して友情の念をいだく、というシーンがあって。

私はこの場面を思い出すたびに、こころがギュッと掴まれて、「悲しい」というのとは全然べつの理由で、この場面が愛しすぎて、泣きそうになってしまいます。
『愛についてのデッサン』に収録されている「佐古啓介の旅」シリーズの登場人物たちは、ほんのすこし哀しくて、その哀しさが泣きたくなるほど愛おしくて。とてもすきな小説です。

本を愛するひとが、おなじように本を愛するひとへと向ける友情は、こころの奥底から穏やかに湧き出て流れてゆく清流です。

『愛についてのデッサン』とはシチュエーションも立場もぜんぜんちがいますが、江藤氏の文章を読んだとき私は、『なつかしい本の話』に登場する幼いころの彼にむけて、友情の念にちかい親しみの情が湧きあがってくるのを感じました。

私は、物語を愛するのと同時に、その物語が綴じられている本そのものを愛しているひとがすきです。
本棚から取りだしたお気に入りの本の表紙を、やさしく撫でながら眺めるひとがすき。

私にとって物語を愛するとは、はじめてその物語の世界に触れたときのドキドキやワクワクとともに、「私だけの一冊」(たとえ図書館で借りたものであっても、それは「私だけの一冊」です)の本の姿を記憶にとどめておくことなのです。

私もそういうひとになりたいなあと思います。
こころにしまっている物語を思いだすとき、その本の手触りやページの匂いもいっしょに思いだしたい。
この先の人生そうやって、ひとつひとつの物語と生きてゆきたい。

江藤氏の『なつかしい本の話』は、私のこのような想いを確固たるものにしてくれる、そんな本でした。

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