やさしい蜘蛛

人の背丈の五倍はあろうかという蜘蛛が自分の糸でぶらさがっていたところ
下の道を男が通りかかった。蜘蛛は男に話しかけた。

「もし、そこな人。わたしの巣がありますから気を付けてくださいね」

「忠告ありがとう、大きな蜘蛛。もし私が君の巣に絡まったら、私を食べるかね?」

「とんでもない。その時は絡まった糸の一本一本を取ってさしあげます」

男は蜘蛛に丁寧に会釈して去っていった。
蜘蛛は腹が減っていた。ここ五日程何も食べていなかった。
するとさっきの男が戻ってきて蜘蛛に言った。

「パンを買ってきたので食べるかね?君には足りないかもしれないが」

「それはありがたい。感謝いたします」

「パンは巣の糸にくっつけるのが良いのかね?」

「いえそれにはおよびません。そちらに受け取りに降りてまいります」

蜘蛛はパンを受け取り、上に戻ってからもぐもぐとパンを食べた。男はまた会釈をして去っていった。蜘蛛は会釈ができなかったから右の一番前の足を頭の前で折り曲げてお辞儀の真似をして男を見送った。

夜になった。
蜘蛛はふとインテリアが欲しくなりインテリアについて考えだしたところインテリアとインテリアでないものの境界がわからなくなった。インテリア店に行きインテリアでないものを買おうとしてそれがインテリアでないから売れないと指摘されたとしてそれは売り物であるかそうでないかの境界であってインテリアの境界を定義するものとはインテリア自身がそう主張した時のみであり、それは実際には不可能なことであるからインテリアとは不完全性を備えた存在でありインテリアを所有ということはすなわちインテリアを所有していないということでもありインテリアについてそれ以上考えることをやめた

朝になった。
葉の朝露が巣の糸に一滴伝った。

「こんな時、詩のひとつでも書ければ良いのだが、私は蜘蛛だから何も思い浮かぬのだなあ」

そう言って蜘蛛はひとり笑った。
暫くして女が下を通りかかった。

「あら、蜘蛛。おはようございます」

「おはようございます。今日の夜には嵐が来そうですよ」

「まあそれはいけない。あなたは飛ばされないかしら?」

「わたしの糸はとても丈夫ですから大丈夫ですよ」

「安心いたしました。ではごきげんよう」

蜘蛛はお辞儀の真似をして女を見送った。

昼には小雨が降り出した。
傘を八本さしたら滑稽だろうかと蜘蛛は思った。

夜になり、やはり嵐がきたが、それは思ったよりも激しかった。
果たせるかな、蜘蛛は空高く飛ばされた。

「ははは、飛ぶのも悪く無いなあ」

そう言いながら蜘蛛はどこか遠くへ飛んで消えて行った。

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