幼稚園と病院の思い出

<文字数:約6500字 読了目安時間:約13分>

幼稚園入園
 お母さんと一緒に幼稚園の入園式に向かう。僕はよくわからないけど元気が溢れていて、走り回っていた。知らない道路が面白くて、ひたすらにエネルギーに満ち溢れ、理由なく走り回る。母は困っているようだった。僕があまりにも元気ですぐに遠くまで走り去ってしまうせいだ。だけど元気なんだから仕方がない。幼稚園には、見た事の無いほど広い運動場と、ブランコがあった。

ブランコ
 ブランコに駆け寄り、無我夢中でそのブランコの振り子を楽しんでいた。ゆらーり、ゆらーりと、青空と地面が周期的に入れ替わる。重力の感覚が上と下に変化する。お腹と背中に交互に風を感じる。そのとき、突然知らない園児が叫んだ。
「勝手に遊具で遊んじゃいけんのんよー!!先生に言ってやろ!!」
僕はブランコを降りた。園児は先生のいる所に走り去った。心に冷や水をかけられたようだった。知らない子から咎められてしまった。ルールを知っているらしい。僕はいけない事をしてしまったのか?でも、知らなかったからしょうがないだろう!自分は悪くない!

積木遊び
 幼稚園の中で、最初にハマった遊びは積木遊びだった。「あか組」の他の園児と話すよりも、積木遊びの方が遥かに面白いからだ。いろんな形の木造のブロックを組み合わせて、いろんな物を作る。組み立て方によって崩れやすかったり、倒れ方が違ったりする。ふと、文字を作ろうと思った。どんな文字を作ろうか。「タナカのふりかけ・旅行の友」なんてどうだろうか。いつも、そのふりかけをご飯にかけて食べてる。おいしいやつだ。お母さんの作ったお弁当にはいつも入ってるものだ。「タ」という大きな文字を積木で表現する。次は「ナ」、その次は「カ」だ。「の」は曲線的で、角ばった積木で表現するには工夫が必要だ。「タナカの」という文字の形が出来つつあった。積木で文字を作るのは楽しい。小さな構成要素が大きな形をあらわす…組み上がっていく良さがあった。そのとき、突然知らない園児が僕に叫んだ。
「呼び捨てにしたらいけんのんよー!!先生に言ってやろ!!」
園児から批判された事がわかって動揺した。僕はまず、どういう事なのか考えた。呼び捨ては失礼だという事は確かに先生からよく言われていた。人を呼ぶときは「君」「ちゃん」をつけなさい、と。おなじ組の園児の名前を覚えていなかったが、どうやら田中君がいるらしい。「タナカの」という積木で組まれた文字を見て、田中君を呼び捨てにするオブジェをせっせと作っていたと見なされ、その子は僕を注意したのだ。僕は誤解されたと感じ、叫んだ。
「これはふりかけの名前!」
その子は既に走り去っていて、その場にはいなくなっていたようだ。

バカっていう方がバカ
 幼稚園の友達とはときどきケンカをした。
「わーるいんだ!」
「なにが悪いんよ!オメーがバカなせいだろ!」
「ちがうし!おめーがそんなことするからだろ!むかつく!」
「俺のせいにすんな!お前より俺の方がムカついてる!」
「バカバカバーカ!」
「バカっていう方がバカなんよー!」
「じゃあおめーもバカじゃん!」
先生が止めに入ってきて、その争いは終了した。

童謡
 幼稚園ではみんなで歌やお遊戯、色んなことをした。先生のお手本があって、「むすんでひらいて」「おにのパンツ」などのおゆうぎを嗜む。みんなが音痴なので、自分も音程を気にせず大声で歌う。椅子取りゲームに白熱する。カスタネットやタンバリンをガンガン叩いて遊ぶ。休み時間には、いつも廊下に設置してある電子ピアノのボタンを押す。ある程度自動的に音楽が流れるのが面白くて何度もボタンを押す。雨上がりの日には水分を含んだ砂を使ってどれだけ綺麗なお団子を作れるかチャレンジする事が楽しかった。竹馬という遊びをやってみた。足が長くなったみたいで楽しい。竹馬遊びは沢山やった。

パンダになりたい
 ある日、幼稚園のあか組のみんなで演劇をすることになった。お母さんも来るらしい。幼稚園でどれだけ頑張っているかを、お母さんは知らない。だからお母さんをアッと驚かせてやりたかった。幼稚園の先生が僕に問いかけた。
「どの役をやりたい?犬?猫?それとも…」
僕はこう答えた。
「パンダ!」
「え!?」
「パンダじゃないと絶対に駄目!」
パンダ役なんて本来は無い。しかし僕はひたすらに駄々をこねて、パンダの役があるべきだと訴えた。僕にはパンダが魅力だった。白黒のコントラストが素晴らしい。犬や猫みたいに定番の動物だけじゃいけない。パンダの良さを誰もわかっていないのだ。
「パンダの役なんてないから…」
と先生が言う。僕は猛烈に腹が立った。絶対に許せない。パンダの役が認められるまで、駄々をこねて暴れ続けてやる!こうして、やっとパンダの役は認められた。僕はパンダのお面を被って、劇を演じた。パンダを演じ終えて、満足感があった。

平均台ジャンケン
 幼稚園の皆と「平均台ジャンケン」をした。平均台の向こう側とこちら側の2つのチームに別れて行われるバトルだ。お互いのチームが列をなして平均台に乗る。向こうの子とこちらの子が正面衝突すると、ジャンケンをし、負ければ降りてまた自分のチームの最後尾につく。相手チームの全員を平均台から降ろす事ができれば勝利だ。なんどもなんどもジャンケンをするゲームことになる。勝てたら前進して、負けたらふりだしに戻る。そうしていると、強い園児と弱い園児が分かってくる。多くの園児はチョキを出す。チョキがかっこいいような気がするのはわかる。複雑な形のチョキを出して、こんなことできるよ!とアピールしたくなるのもよくわかる。だからグーを出しておけばほとんど勝てる。そして、グーであいこになった場合、連続してグーを出すと負けそうな予感がする。きっと次にチョキかパーを出したくなる。だからグーであいこの場合はチョキを出そう。それでもあいこの場合、次はきっとグーチョキと来ればパーを出したくなる、だからチョキを出す。僕が考えた「グー・チョキ・チョキ作戦」だ。この法則によってジャンケンで勝ちまくり、僕はチームを勝利に導いた。

入院
 何故かはさっぱりわからないが、大きな病院に行くことになった。病室で暮らすことになるらしい。だが、母がいつもいてくれる。

病院
 ここはここで楽しい環境だ。時々、好きなものを食べても吐き気を感じるし、ゲロゲロ吐くこともあるけど、まあそういうものだろう。点滴を打ったり、車椅子に乗ったり、いろんな事があって楽しい。時々、周囲の大人達が僕の様子を見て慌てる事があって、その時だけはびっくりして不安になった。一度、僕がぶどうジュースを飲んでいて、それを点滴に混ぜようとした時、周囲の大人達が慌てていてヤバい事に気が付いた。病院のご飯にはきな粉をかけて食べるのが好きだった。売店でマーガリンロールという菓子パンを毎日のように買ってもらった。

アニメ
 クレヨンしんちゃんというアニメを初めて観たのだが、爆笑するほど面白かった。母にお願いして毎回ビデオテープに録画してもらった。

歯を抜く
 何故かわからないが、歯を抜く事になった。病気の治療に必要な事らしい。僕は大きな病院の中の歯医者さんの治療室に連れていかれ、そこで歯を抜いてもらう事になった。驚いたことに、歯を抜くとものすごく痛い。大声で泣いてしまうほどの痛みだ。しかも、5本か6本ほど抜いた。
「やがて生え変わるから、安心してね」
お医者さんの先生はそう言うものの、キーンと来る痛みは忘れられそうにない。

ふろく
 病室のベッドの上ではやることが少なく、退屈だった。そこで「楽しい幼稚園」などの雑誌を読んでいた。「ふろく」が断然楽しみだった。厚手の紙パーツを切り取り線からプチプチと抜いて、やま折り・たに折りを丁寧にこなし、そして各パーツをアルファベットの指示に従って差込めば、立体的なマシンが完成する。コインを入れるとキャラクターが飛び出す機械すらも、自分の手で作れるのだ。こういう工作を延々やっていたかった。
 折り紙をいつも折っていた。参考書に従っていろんな作品を作った。立体物や複数を合体させることで完成するもの、例えば千羽鶴や、くす玉が特に印象的だった。ビーズアート等にも夢中になった。完成すると、壁に飾るドット絵のアートのようになるものだ。ひとつひとつのビーズをはめ込む作業が終わると、わくわくと共にキャンバスから視点を離し、想像以上に美しい絵が完成していることに気づき、満足感と達成感で満たされる。この感動が続く限り、しばらくはずっと眺めていられる。こういう事はいくらでもやっていられる。一人で誰にも邪魔されずにものを作るのが好きだ。そして完成すれば、誰かに自慢したくなるのだった。

ゲームボーイ
 ゲームボーイを買ってもらった。ベッドの上でゲームボーイをプレイし続けた。僕の好きなゲームは大半が任天堂が作っているものばかりだ。でも、任天堂じゃないゲームでも面白いものが沢山ある。やはり、アクションゲームとシューティングゲームとパズルゲームが好きだ。

病室の住人
 同じ病室には様々な人がいた。テトリスのお兄さん、シューティングゲームのゆー君、お絵かきのよー君だ。カーテンで仕切られて、狭くて白い空間のベッドの上だ。

おにいさんのテトリス
 僕がゲームボーイのテトリスをプレイしていると、向こうのふたつ離れたベッドには年の離れた中学生くらいのおにいさんがいて、ゲームボーイのテトリスをやっている音が聴こえる。しかし、同じテトリスのはずなのに、なぜか一部の音楽が違う。どうしてなのか聴いてみたかったけど、年上のお兄さんだからちょっと怖い。どうしても聴く勇気が無かった。

ゆー君とシューティングゲーム
 ゲームボーイのシューティングゲームを買ってもらった。これも任天堂のゲームだ。偶然にもベッドの向かい側のゆー君が、同じゲームを買って貰ったらしい。ゆー君は僕と同い年だ。どちらが早く攻略できるかなと、対抗心が湧いてきた。はじめは勝ったり負けたりという感じだったが、だんだん僕の方が上手になっていた。ゆー君は2面でゲームオーバーになるところ、僕は4面まで行った。ゲームオーバー画面では獲得した点数(スコア)が表示される。その画面を見せると、「すげー!」と言われて気持ち良く、優越感を感じた。ある日の夜、ものすごいハイスコアを出した。そろそろ寝る時間帯だったが、ゆー君にも伝えたい。もしこんな点数をとった事を知ったら、きっと驚いてくれるだろう。もう夜だし、うるさくするわけにもいかないので、聴こえるか聴こえないかの声で自分のスコアをつぶやいた。聴こえて来たのは、「なにいっとん」という母の言葉だけだった。

よー君とお絵かき
 よー君というノリの良い少年がいた。3つくらい年上のお兄さんだ。僕はゲームが好きで手先が器用という評判が既に病室に伝わっていて、何故かよー君の闘争本能に火をつけたらしい。正式にお絵かき勝負をすることになった。マリオシリーズのヨッシーの絵を書くことになった。
「ぜってー負けん!負けたら裸踊りでもなんでもやってやるからな!」
よー君はこういう事を言うお兄さんだった。よーいドンで描き始めた。出来上がったものを見比べれば、誰が見てもわかるくらいに僕の方が出来が良かった。よー君の描いたヨッシーはミミズのようにグニャグニャだった。よー君は「なんでだよ!?」と、悔しそうだった。一連の様子に病室の皆が笑っていた

年長組

退院
 病院での暮らしは今日までだそうだ。濃密な日々だった。病室の皆とはお別れだ。そして家と幼稚園とを行き来する、いつもの毎日が帰って来た。退院祝いとしてゲームをプレゼントしてもらった。はやく遊びたい。いつもの母と兄と父、幼稚園のみんなと先生とがいる毎日に帰る。病院での時間は、もの凄く長い時間に感じたけど、日数にすると90日だったそうだ。周りの大人達が、「辛かったでしょ」とか、「苦しかったでしょ」とか、「よく頑張ったね」とか言っているけど、大袈裟だなあと思った。

久々の幼稚園
 なんという事もなく、久々の幼稚園はすぐにいつも通りだった。相変わらず積木やパズルで遊び、輪になって椅子取りゲームをした。病院も楽しかったが、幼稚園の楽しい毎日が久々に返って来た。

イチジク事件
 幼稚園で、イチジクがふるまわれた。珍しい食べ物だ。本当は食べたくなかった。なぜなら少し嗅いだ時点で匂いが嫌だったからだ。絶対まずいだろうと警戒していた。まわりを見回してみると、リンゴやミカンを食べるみたいに普通に食べている。僕が戸惑っていると、先生が「勇気を出して食べてごらん!絶対おいしいよ!」という。でも、いやそれは、どうか。自分の感覚がアラームを鳴らしている。「匂いが嫌なら嫌な味だろう」という法則があった。でも、先生も大人なんだから、信じてもいいかもしれない。「絶対おいしいよ!」というからには。僕は、その言葉を信頼することにした。口の中にイチジクを入れ、咀嚼した。予感した通りの嫌な味が一瞬にしてひろがった。ゲロッと戻した。吐いたものをティッシュに包んだ。
「えー!おいしいのに!」
皆はこう言うが、
「えー!まずいのに!」
と僕は思った。もうイチジクを食べたいとは思わない。
「ああ、好き嫌いがあるからね。」
と先生が言う。好き嫌いというものがあるらしい。味の感じ方は人それぞれ違うらしいのだ。みんなにとっておいしいとしても、僕にとっては違う事があるらしい。それにしても、絶対おいしいよって言ったじゃないか!

牛乳の話
 瓶の牛乳をよく飲んでいた。好きな飲み物だったのだが、ある日、(牛乳って牛の乳から出てきた液なんだよなあ…)と想像した瞬間、牛乳を飲みたくなくなった。牛は人間よりも不細工で汚いような気がしたからだ。

好きな食べ物は?
 好きな食べ物と、嫌いな食べ物を自己紹介カードに書いた。好きな食べ物は「チョコおじさんのパン」だ。嫌いな食べ物は「からし」と「かたいごはん」だ。辛いのは嫌だ。固くなったごはんは何とも言えない不快感がある。その事を、僕は覚えて間もない字を駆使して書いた。母はそれを見て「そうなんだ!へ~!」と、有益な情報を得たような反応をした。
 「チョコおじさんのパン」というのは僕がそう呼んでいただけで、本当は「チョコあ~んぱん」という名前のお菓子だったらしい。しかし、誰がどう見てもチョコおじさんのパンだ。その方がしっくり来る。

大人になればわかる
 家での父との会話。
「父さんは何でも知っとる。何でも聞いてくれ」
「何でもってことはないんじゃない?」
「あんたが疑問に持つくらいの事なら何でも知ってるから。何でも聞いてくれ」
「じゃあ、地球の反対側にいるパンダの名前はわかる?」
「地球の反対側にいるパンダ??そんなの名前なんてないよ。」
「パンダ語のがあるんじゃないの?」
「ないよ。」
「どうして?」
「そんなの無いから。」
「なんで?」
「まあ、大人になればわかるよ。」
「そんなんいわれたら、一生の謎になる!」
「だから、大人になればわかるんだって。そういうものなんだから。」
納得いかない事が多い。父は質問をしてもはぐらかすような事がある。何かを誤魔化しているのではないかと疑ってしまう。どうして?と聞いても、
「そういうもんなの。大人になったらわかるよ」
などと言う。更になんで?と追求しても、
「なんでも!そういうもんなの!」と声を荒げる。
「大人になるまでは我慢しなきゃいけないって事?」
「そういうこっちゃ。」
モヤモヤする。わからない事をわからないままにしなければならないらしい。わかる手段がわからない。
母に聞いても同じだった。この先いつ解けるかも分からない謎を抱えて生きなきゃいけないのは嫌で嫌で仕方がない。

卒園
 これからは、小学校へ行くことになるらしい。兄が通っている小学校だから、怖い場所ではないだろう。皆と一緒に卒園するなら、なにも変わらない。小学校にはどんな面白いものがあるのだろう。

次は小学生編です
https://note.com/denkaisitwo/n/n1c255aa69be7


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