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今、自分は何を感じているのか

先日、エムハンドさん主催の『オンライン坐禅体験』に参加しました。テーマは、「座禅で心を落ち着かせ 集中力を高める」。

そのなかで「今聞こえる音だけに集中する」という実践がありました。時間は5分間。長いのか短いのか。でもまあできるんじゃないか…?と思い目を閉じたのも束の間、すぐに頭の中に考えごとが充満し、そわそわと落ち着かなくなってしまい、結局2分と持ちませんでした。

私は雑念まみれの人間だ…と落ち込んでいると、
「それでいいんです」
と、画面の向こうから先生。

頭のなかで何を考えていていてもいい。どんなことを感じてもいい。大切なのは、現実をただ受け入れること。あるがままの、今の自分の状態を感じ取ること。それこそが座禅なのだということでした。

なんて寛容なんだろう。

感銘を受けると同時に、私は普段「ありのままに感じること」ができているだろうか、と思いました。
仕事でも生活でも、ただ自分のことだけ考えていればいいわけではありません。「相手が何を求めているか」「相手はどう感じているか」を丁寧に考える必要があります。それはもちろん、大切なことです。
でも、ときどき立ち止まって、「自分の感じ方」に立ち返ること。それが、より健やかに日々を送り、よりよい表現をし続けるうえで大切なことなのでは、と思い至りました。

座禅体験以来、意識的に「今、自分が感じていること」を感じ取ろうとしていますが、これが意外と難しい。今回の日記では、私なりに実践(実験)してみていることをまとめてみました。
みなさんは、どのように「自分に立ち返る時間」をつくっていますか。重ね合わせながら、読んでいただけると幸いです。




「どう感じてもいい」と受け入れる

あらためて自分の深層と向き合って思ったのは、「考えていること」と「感じていること」のあいだには、ときどき距離があるということです。

たとえば、私はかなりの心配性で、いろいろなことがすぐ不安になってしまいます。さらに、不安を感じたとき「こんなことを考えてしまう自分はダメだ、いけない…」と、無理やり感情を押し込めてしまいます。そのまま「この感情をただしく処理しなければいけない」「なんとか表現に昇華させなければならない」と考えてしまい、肝心の「今、自分は何を感じているのか」がおろそかになりがちだ…と痛感。

座禅体験で、深く心に残ったことばがあります。

「たとえ、頭から離れないくるしみやかなしみがあっていもいい。なるほど、今の自分はこうなんだ、ふうん、と受け入れればいい。どんな感情があるのか、それによって自分はどんな行動を取るのか。溺れるのもOK、見切るのもOK。大切なのは、選択肢を自分で持つこと」

すごく、欲していたことばでした。
まずは一旦、「今、自分が不安であること」を受け入れる。感情を、ありのまま放っておく。自分の感情に素直になっているうちに、「ああ、自分はこういうことに悩みやすいんだな、こういうときに不安を抱くんだな」とわかってくる。そして、適切に対処できるようになっていく…。

大前提として、「感じてはいけない」感情なんてないんだ、と実感しました。かなしいときはかなしいし、不安なときは不安、楽しいときは楽しい。切なのは、その感情とどう向き合うか。どう表現するか、あるいはしないか。その答えを出すためには、まず、自分の感じ方に一旦寛容になることが必要なのだと思います。

そういえば、エルのメンバーはみんな「他者の感じ方」に寛容だなあと感じます。デザインを始めいろいろなことを話しますが、誰ひとりとして、誰かの意見を否定しません。たとえ自分と意見が異なっても、「おもしろいね」「なるほどなあ」「その見方はなかった」と肯定してくれます。むしろ、「直感は大事だから、何か違和感があったら言って」「これ、率直にどう思う?」と伝えてくれます。だからここでは、感じたことに蓋をせず、素直でいられる気がします。メンバーが作り出すこの寛容さが、表現の幅を広げているのかもしれません。


「感じたこと」を言語化する

これは、普段からすごく意識していることです。しかし、感じたことを自分で言語化するのには、とてもエネルギーが要ります。

自分の感情と向き合うのは、決して楽なことではありません。それでもひたすら向き合っていると、感情のもっと深い部分にある思いが見えてくることがあります。どんなことがあって、それに対してどのように感じたか、どうしてそう感じたのか。ときどき紙に書き出して、自分と対話するようにしています。散歩をしながら考えたりすることも(散歩中でも座禅はできるそうです)。「あ、私は今こう感じている」とことばにできたときは、視界が晴れたような心地がします。

しかし感情を表すのに、ことばはあまりにも足りません。ことばにできない領域がある、と知りながらことばを探しに行くのは、ときにくるしい旅路となります。
それでも、できるだけ「ことばにできない」で終わりにしたくない、と思っています。ことばにできない領域のできるだけ深部まで行って、感情をことばですくいあげたい。そこで初めて、見える景色があるからです。

生まれては消えていく感情を書き留めておくと、「これは丁寧にまとめて発信しよう」と思えることがあります(そういえばこの日記も、そうやってできているなあ)。

仕事の場面でも、感じたことの言語化は意識しています。とくに、デザイナーと話しているとき。
デザインには正解がないため、感じ方もかなり個人に委ねられます。だからこそデザインを見せてもらったときは、自分がどこをどう感じたか、できるだけことばにして伝えたいと思っています。エルのデザイナーは、意図を丁寧に伝えてくれるので、私もそれに応えたい。「思い」というかたちないものを扱うからこそ、視覚化して伝え合う。その積み重ねがきっと、私たちのアウトプットにつながっているのだと思います。

仕事にしろ生活にしろ、大切なのは、自分の感じたことと向き合い、その輪郭を明確にしようとする意思なのかもしれません。


「感じたこと」を共有する

自分の感じたことを共有するのには、いつも不安がつきまといます。「共感されなかったらどうしよう、変だと思われたらどうしよう」「伝わらなくてかなしくなったらどうしよう」「そもそも、うまく伝えられるだろうか…」。この心理状態とじっくり向き合った結果、「こういった不安が生まれるということは、私は、感じたことを共有しあいたいと思っているんだろうな」「かなしくなってしまうこと(マイナスの感情を抱いてしまうこと)への罪悪感と不安があるんだな」と気づきました。思い出せ自分!どう感じてもいいんだ!

人と人はすべてわかりあうことはできませんが、わかりあおうとすることはできます。そのときに大切なのは、「あなたも私も、何をどう感じてもいい」と寛容になること。いろいろな感じ方があっていいと。ただ、わかりあおうとしていることが重要だと。そういった前提が共有できていれば、「たとえわかりあえなくても大丈夫」「でも、あなたをわかろうとしたいと思う」という気持ちでいられる気がします。私も、相手からそう思ってもらえる対話者でありたいと思っています。

エルではよく、メンバー同士で話す機会があります。朝会だったり、週末ディレクション会だったり、案件振り返り会だったり、1on1だったり…。そこでは、「今どんなことに困っているか」「改善したいことはあるか」「もっとやってみたいことはあるか」などを話します。周りが「感じていることを話していいよ」という空気をつくってくれているので、話すのが苦手な自分でも、素直に課題や要望を伝えることができます。

日々の業務でも同じです。
エルではデザインに入る前に、「どう感じたか?」を共有する時間を設けています。クライアントの話を聞いて、どの部分に対して、どう感じたか。どんなところに共感し、どんなところをもっと知りたいと思ったか。自分の経験と照らし合わせたり、最近聞いた話と重ねたり。それぞれの視点から感じたことを、共有する時間です。
同じものを見ていても感じ方がちがったり、同じ話を聞いても思い浮かべるモチーフが違ったり…メンバーと話していると、何もなかった机のうえに、いろいろな色やかたちのものがあふれていくような気がします。こんなふうに感じたことを共有できるのは、「ここでは意見が否定されない」という安心感があるからだと思います。感じたことを共有したことで、また新たな感情と出会えることもあります。


表現の前に、しっかり「感じる」

コピーを書くときも、「今、自分は何を感じているのか」を感じ取ることをすごく大切にしています。「何を書くか」「どう書くか」以前に、「自分は、どんなことを感じたか」を捉えること。

もちろん、届けたいターゲットのことを考えるのは大前提です。常に、クライアントと、クライアントの先にいる人たちのことを思いながら、ことばを探す必要があります。その前に「ただの自分」として感じる過程があると、のちのアウトプットに活きてきます。

そのため、コピーを書くときは可能な限り、クライアントのサービスや商品を体験させていただきます。クライアントの近くで(ときには解説つきで)サービスを体験できるなんて、すごく贅沢なこと。だからこそ、感じることに集中します。「考えなきゃ…!」「思いつかなきゃ…!」という焦りは一旦置いておいて…。人の雰囲気、触れる温度、見える景色、情緒の動き。「コピーライター」以前に、ただのひとりの「人」として、すべてを感じるように心がけています。
ターゲットの状態や表現方法は机の上で考えられても、「空気を感じる」ことは、そのときしかできません。感じたことは、ちゃんと表現の源泉となってくれます。

プラス、「ただの自分」として感じられる範囲を広くすることも心がけています。自分がクライアントのターゲットに当てはまらない場合もあるからです。そんなときのために、自分のなかにいろいろな「面」を持つようにしています。そのためには、自分以外の人生を、自分の中に取り入れることが必要です。「あの小説の彼だったらどう感じるかな」「あの映画の彼女だったらどうかな」「友人のあの子ならどう思うかな」…自分の中にたくさんの「面」があると、主観以外にも、たくさんのことを感じることができます。

しかしそればかりになると、「あれ、ありのままの自分とはどこに…?」「これは誰の感じ方だろう…?」とぐるぐるし始めるので、やはり、原点に立ち戻ることも必要です。

いろいろな視点から感じ取ったり、自分が今感じていることに集中したり。この行き来をすることで、より素直に、かつ多面的に、ひとつの出来事からいろいろなことを感じることができるのだと思います。

デザインも同じかもしれません。
以前、先輩デザイナーと「コンセプトから飛躍することが必要という点で、デザインとコピーは似ているね」という話をしました。その飛躍に必要なのは、多方面からのインプットだったり、実際に感じてみることだったりします。

外から得るものと、内から得るもの。このふたつが混ざりあって、いい表現にたどり着くことができるのだと思います。


「今、感じていること」と向き合う

日々はめまぐるしく流れていきます(もう2月半ば…!)。たくさんの情報に触れながらばたばた過ごしていると、つい、自分の感じていることをおろそかにしがちです。だからこそときどきすこし立ち止まって、自分の感情と向き合う。「今、自分が感じていること」を感じ取り、安心して周囲と共有する。それが、より健やかに日々を送り、よりよい表現をし続けるのに大切なことだと思います。自分と丁寧に向き合うことは、世界と丁寧に向き合うことでもあるのではないでしょうか。

みなさんは今、どんなことを感じていますか?



デザインスタジオ・エルは「超えるをつくる」を合言葉に「らしさ」をデザインするWeb制作会社です。
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