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笑っていてね


こんなふうに始まった2022年は、

こんなふうに終わりを迎えようとしていた。

2021年の夏、彼女とのことで母から否定され落ちているわたしを見ていた彼女が「〇〇ちゃんの居場所を増やしたい」と言って、家族のグループLINEで、初めて彼女がいるということ、将来を考えているということを打ち明けてくれた。

2022年、彼女とわたしは共に暮らしはじめ、お兄さんがご飯に連れて行ってくださったり、たくさんのおかずやお米を自宅まで持ってきてくださったお母さんとご挨拶をさせていただいたりして、わたしは彼女のご家族と少しだけ顔見知りになった。

年末年始は、多くの人が、家族で穏やかに過ごす時間だ。
そこに踏み込んでいいものか、とても悩んだ。いや、拒絶されるのではないかと思うと、怖くて、足がすくんだ。
彼女の故郷は、都会から離れた他県の小さな町、そして偶然にもわたしの祖母の生まれ育った町。
どちらが良いとか悪いとかではなく、大きくなった娘はどこかの家へ嫁いで、家のことをするのが普通で、当たり前で、常識だという認識が、都会よりもずっと根強い場所であるはずだし、わたし自身も交際相手の実家で過ごすという経験をしたことがなく、お誘いいただいた嬉しさと不安が同じ量でこころを満たしていた。
落ち着かないまま仕事納めの日を迎え、連休が始まった。

約束の日のお昼前、お母さんが自宅まで車で迎えに来てくださった。
おはようございます、と挨拶をすると、いつも、おはよ~、とにっこりしてくださって、とても嬉しい。
道中、彼女がお母さんに、お父さんには〇〇ちゃんのことなんて言ってるの?と聞く。
特に何も、ただ、来るよ~ってだけ、と返ってくる。
お父さんも、彼女の告白文は読んでいるはずで、だけどそれに対する返事はなくて、何を感じているのか、そもそも初対面のわたしがお父さんの目にどう映るのか、ぐるぐると考えて緊張していた。
お昼を過ぎて、彼女のお家に着くと、縁側に座って、煙草を吸っている男性が見えた。あ、お父さんが休憩しとるねぇ、と、お母さんが呟く。
車を降りて、ドキドキしながら、こんにちは、と挨拶をすると、お父さんは、お!こんにちは~とはにかむような笑顔を見せてくださった。
「ただいま~これ、職場の人から貰って余った靴下。履く?」と紙袋を渡す彼女に、「靴下履く?って…なんね、そりゃみんな靴下は履くやろ~ねぇ?」と、わたしを振り向いて笑ってくださって、その眼差しがとてもあたたかくて、ほっとして、笑うことができた。

お母さんが、汚れてもいいように、あとこれも買っといたから夜寝る時に、と、作業着と、色違いのふわふわしたパジャマを2着渡してくださった。
作業着に着替えて、彼女の家にある車を2台、彼女と共に洗うことになった。
ともに田舎育ちかつ田舎を嫌う両親のもと、市街地で育ったわたしは、恥ずかしながら、ガソリンスタンドの脇の洗車機以外で洗車をしたことがなかった。大きなシャワーで車を濡らして、薄めた洗剤にスポンジを浸して汚れを落とし、泡を流し、乾かし、ワックスを塗った。実家では「一緒に買い物に行ってもパンしか持てんな」と笑われるほど頼りないわたしが、大きな脚立の上に乗って、本体にこびりついた鳥の糞を懸命に落としていた。

途中、お母さんが、かしわご飯のおにぎりと、卵スープを持ってきてくださって、お父さんと彼女と3人並んで食べた。

夕方になる前に2台とも洗車が終わった。
「並べて停めて、お互いの車が反射して映ったら合格よ」というお母さんの言葉に、映ってる!とはしゃぐ彼女とわたしを見て、お父さんとお母さんが笑っていた。
次の日、車で仕事にでかけたお母さんが、「新車みたいでしょ、って自慢してきたよ」とにんまりしてくれた。

それから4日間、ご飯の時間になると、4人でテレビを見ながらお父さんが捌いてくれたお刺身や、お母さんが作ってくれたご飯やおせちやお雑煮を食べた。たくさん食べた。彼女がお昼寝をしている時は、わたしと、ご両親の3人で並んでテレビを観た。不思議な構図だったけど、なぜか居心地が良くて、素を出して笑っていられた。

彼女の部屋で、お兄さんや彼女が幼い頃のホームビデオを観た。動物園。発表会。旅行。
いつも画角が遠くて、めいっぱいズームをしたり、他の子も自分の子と同じように映してあって、それはつまり彼女のご両親がその視点で彼女やお兄さんを見守っていたことの記録で、心配になるくらいに遠くに駆け出して行っても、子供だけで水の中に手を突っ込んでいても、その視点は変わることが無かったし、危ないよ!とか、やめなさい!とかいう言葉もなかったのに、小さな彼女がお兄さんが撮るビデオを羨ましがり、ずるい、見せて見せて、と駄々をこねて拗ねると、ずっと前を歩いていたはずのお母さんが振り返り、ひょいとビデオを持たせてあげていた。
ただ、子供たちを動きたいように動かせ、そっと見守る大人の姿が映っていた。衝撃だった。
そして、彼女がどうしてこんなに真っ直ぐに強く優しく育ったのか、少しわかった気がした。

帰省中、ご両親ともにお仕事の日がままあって、2人でほうれん草の根を切ったりシンクを磨いたり車を洗ったりお寿司を取りに行ったりの用事を手伝わせていただいた後は、彼女の運転で生まれ育った町を観光した。
公園で触れるしゃぼん玉を膨らませたり、バドミントンをしたり、凧揚げをして遊んだり、地元の名物を食べに行ったり、有名な海を見に行ったりした。
夕食時、ご両親に、「今日は〇〇へ行きました」と話すとお2人とも笑って聞いてくださって、彼女の小さい頃のエピソードを聞かせてくれたりした。わたしがお土産に買ったアイスクリーム屋さんのアイス、カチコチに固まっていたけど、初めて食べた、美味しいなって言ってくださって嬉しかった。


最終日、ご両親が車で自宅まで送ってくださった。

〇〇ちゃんありがとう、また来てね、と手を振るご両親に、わたしはありがとうございました、お手紙を書いたので、良かったら、と言って、車を見送った。


帰宅したお母さんから受け取ったメッセージを、わたしは何度も読み返すと思う。


どんな1年になってもいい。なるようになるし、なるようにしかならない。何を足掻いても、悲しいことも楽しいこともある。それが2022年の学びだった。


2023年の始まりには、こんなうたを流していよう。

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