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372 命の値段


はじめに

今日の教育コラムでは命の大切さについて少しお話してみたいと思います。自己利益を優先した身勝手な犯罪に関するニュースを見聞きする機会が重なりました。
そこで、一つの映画を冒頭紹介しておきたいと思います。その映画が2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロの犠牲者に補償金を分配すべく奔走した弁護士の姿を、実話を基に描いた「WORTH命の値段」という映画です。

映画の紹介

この作品は、2006年に弁護士のケネス・ファインバーグが発表した回顧録「What Is Life Worth」を原作にしています。主人公の弁護士をマイケル・キートンが演じています。
話の舞台は、9.11同時多発テロ後となります。マイケルが演じる実在の弁護士ケン・ファインハーグは約7000人もの被害者と遺族に補償金を分配するプロジェクトに任命されます。 彼は調停のプロとして引き受けるわけですが、命に値段をつける際に彼が用いる価値観や計算式に対して厳しいと批判されるわけです。
多くの葛藤と決断の中で7000人の命の価値を定めていくわけですが、この過程で命と向き合うことについて映画を観ている側も共に考えることができます。

命に値段はつけられない

日本は、地震による大災害が頻繁に発生する国です。テロとは違いますが、国の補償や保険など、命の重さをお金に置き換える計算をする際に抱く葛藤を経験しやすい国かもしれません。
また、別の切り口から見ると歴史的に命の価値をゆがめる思想があることも事実です。それが「優生思想」と呼ばれるものです。特にこの思想が顕著に表れる例の一つに交通事故で障がい者が命を奪われた場合と健常者が犠牲になった場合における損害賠償の額に差が出るという事例があります。
記憶に新しいもので言うと聴覚障害女児死亡事件があります。この事件は、加害者が持病を隠し運転していた際に意識を失い重機が暴走し、少女の命を奪ったというものです。
加害者とその会社は、被害者への補償を争う民事裁判にて、難聴という理由で逸失利益の計算を一般女性の40%で計算すべきだと主張しました。その根拠は聴覚障害者は、9歳の壁、9歳の峠、という問題があり、聴覚障害児童の高校卒業時点での思考力や言語力・学力は、小学校中学年の水準に留まるというものでした。
きつい言い方をすれば、加害者側は被害者の命を奪っただけではなく、聴覚障害者の平均賃金以下の金額を提示するという非道な対応をしただけではなく、障がいの有無による命の価値に対する差別を行ったわけです。

命に値段をつけることはできません。だから、逸失利益という将来にわたり発生する予定であった所得や利益を計算し、償わせるわけですが、命は返ってきません。
命の価値とはいったいどれほどに尊いもので、どれほどにかけがえのないものなのかを自分も他者も考え合える社会を私たちは作っていかなければいけないのではないでしょうか。

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