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なくなってしまったホテル。。

昨3月30日は18回目の結婚記念日でした。

仕事を終え帰路の電車の中でふと思い立ち検索したら、、、

悲報。。。

ここ18年前の3月30日に式、披露宴をさせて頂いたホテルだったのです。その時は前身のホテルオオサカサンパレスという名称でした。

披露宴に使う曲を母の影響で好きだったジョンレノンのもので編集したのですが、当時はまだカセットテープで夜な夜な1曲1曲を延べ数十本への録音作業、、すべて家人、、未だになじられる、、予報では曇りのち雨だったのに嘘の様に澄み渡る青空で早咲きの桜が映え過ぎていたこと、後輩が独唱にも係らず謎にサビでメインじゃないハモリのほうを完璧に歌い上げたコブクロのYELL、親友が読んでくれたのですが号泣しながらのため半分どころかほぼ全文聴き取れなかった手紙、佐世保から来てくれた伯父が悪酔いしてちょっと家人の親族との間で緊張が走ったこと(国交回復済み)、まったくのノンプランぶっつけ本番で挑み勧進帳ばりに乗り切った最後の挨拶、当時勤めていた京都にあった設計事務所で大きなプロジェクトの図面締め切りが迫っていたこともあって、3次会を終え泥酔の末戻ったホテルで数時間の仮眠の後、朝6時過ぎには出勤の途へ向かったこと、、未だになじられる、、。

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ここのホテルを会場に決めたのは、大阪市街からも30分強、伊丹空港や新大阪からも直ぐの利便性ながら万博公園内というロケーションもあって見学に訪れた際の抜け感、爽快感が堪らなかったこと、大好きな太陽の塔が会場のお部屋や客室から眺められること、そして義父母の初デートが1970年の大阪万博だったことからでした。

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当時はまだホテル自体もそうですしそこでのアクティビティの多様性、選択肢は限定的で、僕自身の体験も結婚式というオーソドックスなコンテンツの利用ではあったのものの、代え難い思い出が例えば先述の様にたくさん詰まっていました。。

今はライフスタイルホテルやソーシャルホテルなることばもすっかりカルチャーとして根付きつつあって、より様々なシーンでみなさんにとっての媒介だったり舞台だったりすることも多いのではないでしょうか??!思い出深いホテルがおありの方少なくないと思います。

ホテルに限らずそんなお店や場所がなくなってしまうの、、本当に切ないものですよね。

ちょっと前にはクラスカロスも。。閉館を惜しむ声たくさん聞かれました。


そして、今のコロナショック。。。。 観光業に限らず飲食、サービス業、不動産建設業、、とても大きな影響があらゆる産業、全世界に及んでいます。先述のホテルの終業は直接的にコロナに起因するものではないのですが、今後より厳しい状況が予想され、収束したらまた行きたいな、行こうかな、そう思っているホテルやお店がその時にはもう、、なんて事態も起こりそうで。。

何とかできることがないかと、誰もが日々懸命にポジティブに向われています。その様がリアルタイムに可視化され垣間見れ共有することができるSNS、やっぱりすごいイノベーションだったなあと思います。遂には国連から「世界中のクリエイティブの皆さんへ」なる呼びかけまで。



それでも、外出や移動そのものが制限されざるを得ない環境の中、みなさんまさに直面されている通り、従前までの課題設定や解法の為の座組み構築といったフレームであったり、経済合理性に基づいた思考メカニズムでは到底及ばぬ様な象限のことばかり、、正直滅入ってしまいがちに。。


そんな中で、L&Gグローバルビジネスが志向してきた「メディアとしてのホテル」の総決算であり始端であり本懐のようなプロジェクト、

「HOTEL SOMEWHERE」がオープンしました。

L&Gの運営するものに限らず皆さんにとっての、なくなってほしくないホテル、カフェ、レストラン、バー、コミュニティ、、がサバイブできることだけに留まらず、来るべきポストコロナ(ウィズコロナ?)においてよりクリエイティブな愛に溢れた状況になる様な、そんなコンテンツを繰り出していくべく、全社員が時に寝食を惜しみアイデアを出し合い議論を重ね、迅速な実装に向けて進んで任を担っていく姿、自社ながら感動を覚えずにいられません。。そこに居合わせられていることへの感謝も尽きません。。

ユートピアへの跳躍を夢想しつつ、このディストピアの如き様相に、、しなやかに抗い、数ミリでもリライトしていければと思っています。


文・写真:大丸勇気(L&G GLOBAL BUSINESS)

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