積読 下書き

いつか読みたい、と思いつつなかなか手が出せず仕舞いで積み上がっていった愛すべき本たち。『積ん読解消パック』などの宿泊体験を提案してきた湯河原の温泉旅館・THE RYOKAN TOKYOが、ついつい本を積んでしまう愛すべき人間たちのための連載『湯河原積ん読倶楽部』をはじめます。

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小さいころに両親が離婚しそれまで住んでいた金沢から母の故郷の佐世保へ引っ越してきて住んだのは、祖母と伯母夫婦とそれぞれ4歳と2歳上の従兄弟2人の計5人が住んでいた母の実家の隣に建つ木賃アパートの2階でした。廃屋と言っても言い過ぎではないほどの、赤錆びて踏面と手摺が朽ち落ちそうな鉄骨階段を昇った先にある、玄関と一体の脇にトイレのある台所の4帖、居間の6帖、そして寝室として使っていた4帖半だけの、今でも詳細に家具や家電の配置を細かく思い出せるほどに小さな空間でした。通学路に面していて、隣の祖母、伯母夫婦の家の前には市営バスの停留所があって、そこを自宅と悟られたくないわたしは先の階段への出入りの際、サッカー選手のそれと変わらぬ首振りで周囲を確認し、同じくマークを外す飛び込みの如き俊敏さで行っていました。。

その頃の記憶は永らく限りなくグレイに近いセピア色で解像度も低いものだったのですが、不思議なもので年を追うごとにピントも合い始め、GOOD OLD DAYSとも言うべき仄かな輝きを発してくれるようになるのでした。中でも回想時に流れてくる映像でより強い光に照らされて浮かび上がってくるのは、遠藤周作、三浦綾子、須賀敦子、向田邦子、水上勉、芥川龍之介、W村上、山崎豊子、河合隼雄、サンテグジュペリ、ドストエフスキー、ヘミングウェイ、フランクル、スタインベック、レヴィ=ストロース、枚挙に暇のない数々の小説や詩集、エッセイが詰め込めれた1竿の本棚でした。当時のわたしには大きなコンプレックス(後に建築を学ぶ動機にもなりました)でしかなかった自宅でしたが、そこだけは何か誇らしい気持ちにさせてくれていたのを憶えています。因みに母は読了していたと思いますが、わたしはというと本記事のテーマの通り眺めて悦に浸るだけの積読で、ほとんど読んでいません。。そして当時を振り返る際必ずと言っていいほど蘇ってくくるのは、隣家に住み3兄弟の様に育てられた従兄弟たちの部屋にあった手塚治虫、横山光輝の作品などの多くの漫画たちで、母の本棚のそれとは違いコマ割りや登場人物のセリフのひとつひとつまで再生できるほどです。今回のコロナ禍を前にし、火の鳥でまさに今起こっている災禍を予見したかのような事象を描いていた手塚治虫の慧眼や、マスクに象徴されるあれこれについて考えるとき、怒りの葡萄や人間の土地などを思う方もおられるのではないでしょうか?そして夢中になって三国志を読んでいた当時のわたしと同じ年くらいになった長男が、キングダムを何度も何度も読み返す姿に自ずとある感慨が沸いてきます。

そんな幼少期を経て中学卒業後、県内では一応進学校と評される公立高校に入学したのですが、程なくしてクラスや学校にちょっと馴染めなくなった時期がありました。そのときシェルターとして機能してくれたのが、図書室であり学校から歩いて行ける距離にあった市立図書館であり、街に数店だけあった本屋さんでした。もちろん既に穏やかに懐かしく思い返せますが、その頃に出会った小説や漫画の主人公たちが困難や逆境を前に起したアクションや、傷を負った人同士が通わせ合う心情の描写であったり、過酷な収容生活の中で圧倒的な自然の美しさを前にし思わず発したフレーズの深遠さ、そういった幾つものシーンが治癒してくれていたのでした。

夜間大学の建築学科への入学の為大阪に出てきた1995年。初めて阪急梅田駅の中央改札に向かう階段の下に潜り込むように位置し、はじめて店内に一歩中に足を踏み入れた際、どこまでも続くと錯覚した書棚の列にそれはそれは圧倒された紀伊国屋書店。そこから数年後に堂島にオープンし1460坪ともはや本屋というより書籍の所蔵庫といった規模、様相だったジュンク堂書店。店内の各所に椅子が置かれ自由に本が読めるシステムに、これは買わなくてもいいのでは?と呆気にとられたのを覚えています。地方の片田舎から出てきて大都市の時間の流れ、波に見事に乗り損ね続け、仕事も授業もなく時間を持て余す週末は、朝から晩までその2店をはしごして過ごすなどもざらで、建築関係の本は別として特に目的もなく目に入ったものを手当たり次第に流し読み続けるなんてことをしていました。その頃はまだネットも普及していなかったのですが、その行為を密かにブックサーフィンと冠していました。その後社会人になってからは様々な縁も手伝って、インディペンデントな小書店やブックカフェにフィールドを移すことになっていくのですが、そのあたりについてはまた別の機会にでも。

折々の記憶と本との関係が決して小さくないことを改めて思わされながらここまで書き進めたものの、読書量は全く豊富ではありません。。読了した経験は我ながら驚くほどに少ないです。漫画は相当量読んできたのですが。。飽き性であること、本のあるところで過ごす時間だけは膨大で、タイトルや序文やエンディングを流し読んだだけで悟った気になっていたことに起因しており、所有している本の冊数も極わずかです。

その少ない蔵書から幾つか積読を挙げてみます。

猫を抱いて像と泳ぐ 小川洋子

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以前東京に単身赴任していた頃、土曜日の午前は王様のブランチなるTV番組を見るともなくつけて、洗濯や部屋の掃除をするのがルーティンになっていました。その番組のコーナーの1つに、売り上げランキングや翌週発売になるレコメンド本が紹介されたりするものがありました。ある朝取り上げられていた本書。数年前に同著者の小説で、初版発売時は手にも取ってなかったのですが、数年後にクリスマスエキスプレス以来のファンである深津絵里の主演で映画化されたことによって食指を促され、貴重な読了本の仲間入りを果たしていた「博士の愛した数式」で味わった感動がまだ残っていたタイミングだったこと、コメンテーターの編集者が放った、まだ1月で新年始まったばかりですが恐らく本年第1位の小説になると思います、の絶賛のことば、そして実はこれが決め手だったのですが、装丁のデザインに痺れ絵画やオブジェとしての位置づけで購入。チェスが題材であること、主人公がリトルアリョーヒンという伝説のプレーヤーであることは知っています。その後各方面から相次ぐ称賛、推薦の声にもぶれることなく、義兄がくれたタイのお土産の像の置物と共に本棚空間演出の任のみを全うし続けてくれています。。

という訳で昨年のクリスマスを盛り上げてくれたこちらもどうぞ。


喋る馬 柴田元幸翻訳叢書 バーナード・マラッド

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そもそも買うためではなく聴くために購入した本。先にも少し触れましたがオープンから通い詰めることになる大阪を代表するブックカフェ、スタンダードブックストア(間もなく天王寺で待望の復活、楽しみです)。ご存じの方も多いと思いますがこちら、本当にありとあらゆるジャンルのイベントが毎日の様に開催されていました。わたしも時間の許す限り色んな会に参加させてもらっていましたが、中でも思い出深いのが本書の出版を記念して開催された訳者本人による朗読会。村上春樹やSWITCHの影響から追いかけていて憧れていたので、このイベントの開催が告知されてすぐにチケットを購入しました。当日は200名近い人が来ていました。本書の中から2編の短編を朗読してくれたのですが、スピーディーなのに聴き取り易く柔らかくて温かい語り口が今でも耳に残っています。たしか本番までに何度も通しで音読されたと仰ってました。一度も言い澱まれることも、噛まれることもなく感心したのを覚えています。声はしっかり覚えていますが、物語については馬く喋れません。。以下アマゾンより、バーナード・マラッド:ユダヤ系ロシア移民の子としてニューヨークのブルックリンに生まれる。教鞭を執りながら小説を書き、52年、長篇『ナチュラル』(The Natural)で作家デビュー。86年没。

柴田元幸の声が気になった方はこちらを。


鎖国してはならない 大江健三郎

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買ったことも忘れていた一冊。ノーベル賞を受賞された直後は実に様々なメディアでインタビューやドキュメンタリーなどの特集が連日組まれていて目にしない日はないほどでした。後に自死を選ぶことになる義弟にあたる伊丹十三との関係や、知的障害がありながら稀有な才能で美しい曲を生み出しておられる長男光との歩みに関する内容が多かったと記憶しています。時期も相まってより意味深長に取れるタイトルの本書。ノーベル賞受賞後に国内外を問わず各地で講演した内容をまとめた一冊、らしい。。911直後だったこと、長崎県出身として鎖国という題材に興味をもったこと、わたしの誕生日が8月9日ということもあって著者の代表作のひとつのヒロシマノートに予てから関心があり購入に至った経緯をからでした。鎖国してはならない、本当にそう思います。

以前、糸井重里のツイートで知ったこちらの記事とてもおススメです。こちらは何度も読み返しました。。


文・写真:大丸勇気(L&G GLOBAL BUSINESS)





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