なくならないでほしいホテル 下書き

「HOTEL SHE,」などを運営するL&G GLOBAL BUSINESSで働くスタッフや、いつも応援してくださる皆様と一緒に「なくならないでほしいホテル」という連載をはじめました。絶対になくなってほしくない推しのホテルを主観たっぷりでお届けします。

先に答えを言ってしまうとそれは、、

HOTEL SHE,OSAKA。。

以前プロキシーファイトなるものでちょっと界隈を賑わせたことのある、住設機器メーカーのグループの不動産部門にいました。プロパティマネジメントや有休不動産活用、新規事業開発をしていました。2017年が明けてすぐの頃、山陰地方にある電子部品メーカーが事業多角化の一環として始めていた宿泊事業の新規出店されることになり、土地開発から事業計画、デザイナーや設計者、ゼネコンのアサインなど所謂PMを担当していたのですが、出店先をいくつかあった候補地の中から大阪の南船場に決め、土地の決済も無事終え、コンセプトの策定やキラーコンテンツ開発にかかり始めた秋半ば、音環境に拘っていくのとか面白いですよね、と会話の繋ぎ程度のつもりでアイデアというにはあまりに稚拙な投げかけが思いのほかオーナーに響き、慌ててあれこれディグっていく中で出会ったのがこれらの記事でした。


当時から様々なメディアで取り上げられていたのですが、現役の東大生が起業、全国の複数拠点でホテルを経営~といったキャッチーなコンテキストではなく、感嘆したのは東京のそれとは全く趣の異なる大阪港区の、うらさびしい感じすら漂っていた弁天町に、ましてや駅からそこそこ距離のあるロケーションで、全室にアナログレコードプレーヤーを置き、ラウンジにはサードウェーブ系のコーヒースタンドをインストール(現在は自主運営中)した、ソーシャルでジャケ買いさるホテルを目指すという、畏敬の念すら覚える意思決定がなされたこと、とはいえ種々のパラメータの介入で凡庸化、といったあるあるに陥らずに実装が進み、まさにもう間もなくオープンするというその事実でした。工事中の現場にモデルを配したキービジュアルがつくられ展開されるクリエイティブ、そして掘るほどに気づかされだ底なしの着想力、千里眼に加え、既存の枠組みをカジュアルに超えていっている感じに、いちいちイケてるよなぁ、と嫉妬を超え諦観を覚えるほどでした。インバウンドによる加熱するホテル建設のラッシュの折であったとはいえ、よくぞやりきってくれましたあっぱれですとか、融資してくれた金融機関さんも大したもんだなありがとうございます、という謎の感慨も沸いてきたのでした。。

もともとL&Gの本社所在地でもある京都の設計事務所にいたのですが、割と出張が多くてホテルに泊まることも少なくありませんでした。ちょっと変わった過酷なしきたりというかルールがあって、宿泊するホテルの選定は金額とかでなく所長のお眼鏡に叶うところ、軒並み高グレードなところになってしまうのですが、浦一也さんよろしくお部屋の隅々まで実測してスケッチを起こして提出しなければならず、本当に寝れないなんてこともしばしばでした。改装前のクラシックホテルオブクラシックホテル然とした東京ステーションホテルの客室窓からの、丸の内改札コンコースへの不思議な眺望、鮮明に覚えています。そういったこともあってホテルについてはずっと興味、調査の対象としてディグり続けてきておりましたし、2010年その後のいわゆるポートランドブーム契機となった、吹田良平さんのグリーンネイバーフッドの表紙を飾ったACE HOTELのあの有名すぎるラウンジの写真を目にした時と、2012年に蔵前にオープンした言わずと知れた金字塔、Nuiへ初めて足を踏み入れた際に受けた衝撃のあまりの大きさが加速装置となって、仕事でもあり趣味でもあり、ある種の探求の様でもあるホテル道へのめりこんでいくことになるのでした。余談ですが、ACE HOTELは京都でなくて新今宮とか天王寺とかの方がおもろかったのになと思っています。。


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Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE


その探求の途上思わされ続けたのはクラシックホテルやラグジュアリー系や老舗旅館などは別として、NuiやCLASKAの他に今でいうところの当時はそんなことばも根付いていなかったブティックホテルやソーシャルホテル的な宿が、特に日本では本当に限られているんだなということでした。その途上の果てに邂逅したのがまさにHOTEL,SHE OSAKAでもありました。

L&Gグローバルビジネスの八面六臂の~についてはある程度ご周知頂けておるかとも思います、例えば以下の記事などに譲りますが、つくづくエキサイティングなチームだよなと、一員となた今でも(そこに至る経緯はまたいずれ整理の意味も含め書いてています。)常々思わされ続けております。。


長崎県の佐世保という港街で高校までを過ごした後、大学入学に伴って出てきた大阪で、級友が住んでいたこともあって、時折訪れる弁天町をはじめ港区や大正区の風景にどことなく郷愁の様なものを感じていました。余談ですがSHE,OSAKAのスタッフも常用していて、宿泊頂くゲストにもかなりの頻度でご案内している、大通りを挟んだはす向かいにある名店きぬやさん、その頃から結構使わせてもらってました。めちゃくちゃおススメですのでいらした際はぜひ。これまた余談ですが、家人と初めて会ったのもその級友の家に遊びにいったときでした。。

そんなこともあり、自ずと思入れの強い街であったこと、先述の南船場のホテルの計画(その後諸般の事情でオフィスビルへ計画変更)のベンチマークとして留意していたこともあり、当然その冬に迎えたオープン時の内覧会に知人のライターさんに付いてこそっと入り込んだのですが、きぬや側から眺めたときの、街の空気感に溶け込みながらもネイビーのタイルの施された壁面によるファサード、正面と側面に付けられた、それぞれ白色内照式のチャンネルサインと水色のネオンサインなどで、個の主張も忘れぬ立ち姿が今でもとても印象に残っています。

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また、華美な装飾がなされているとか、ブランドの家具が並んでいるとかでは決してないのですが、これまた港区弁天町という街の独自の雰囲気を可視化したような色味や素材など、インダストリアルな感じがやや強めな方向の編集でありながら、温かみも感じさせてくれるインテリアも嗜好のど真ん中でした。今思えばアナログのプレーヤーやレコード盤などの空気感を醸成する仕掛けもそうなのですが、つまりは関わったひとりひとりのキャラクターが最高すぎたわけやなと、今まさに実感しております。

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コロナウィルス禍によって今は無念の休館中ではありますが、ひょっとするとホテルの営業中よりもメンバー全員アクセルを踏みっぱなしなのでは??と思うほどに、驚くべき数のPJがスラック上に立ち上がり、瞬く間に次々にローンチされていく様、自社ながら圧巻の一言です。。それを中で共に体験することができて本当にラッキーだなと思います。厳しい状況であることは間違いないのですが、悲観しすぎることなく取り組める環境を与えて頂いている今に何処までも感謝して、精いっぱい逆境を愉しんでいくぞ、という所信表明として、”なくなってほしくないホテル”をHOTEL SHE,OSAKAとさせて頂きました。。

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ぜひこちらのマガジンもご高覧くださいませ。エキサイティングです。


5月1日からは、こちらの取り組みの運用も開始する予定です。

ぜひご利用ください、というべき内容でなく、こちらはいわばいずれ”なくってほしいホテル”だと思いますが、この状況下少しでも誰かの役に立てば何よりです。


最後に、なくならないでほしいホテル、それはもちろん世界中にある素敵なホテルの数々でもあります。一助になればと、凄腕すぎる24時間戦闘態勢のフルスタックエンジニアとその相棒、UIUX推敲を担ったロジカル且つエモーショナルすぎる編集者、そして時にインテリマフィアと錯誤する切れっ切れのプロジェクトマネージャーはじめドリームチームで爆速で作り上げられたその名も「未来に泊まれる宿泊券」。こちらはぜひぜひぜひ奮ってご利用くださいませ。


文・写真:大丸勇気(L&G GLOBAL BUSINESS)



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