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一人のヲタが本を出す。その唐突さが半端ない。(書籍版『ハロモニア』プロモーション)

一人のヲタが本を出す。それも無名のヲタが。その唐突さが半端ない。そんなこと誰も望んでなかったし、誰もやってない。

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この本は主にハロヲタに向けて書かれたものです。
しかしヲタのみなさんにしてみれば、そんなものが世に現れたこと自体が想定外すぎてなんのこっちゃという感じかもしれません。興味の抱きようもないというか。
いや、もしかするとどこかには「戸惑い」という形で反応してくださっている方もいらっしゃるのかもしれないのですが、そのありがたい戸惑いですらなかなかこちらには伝わって来ません。

でもまぁやむを得ないのかもしれません。たしかにこの本は一見誰のニーズにも噛み合っていないように見えます。
思えばヲタは自分以外のヲタ(それも見知らぬヲタ)の勝手な妄言などに耳を傾けている暇も興味もないのであって(そんな余裕があればハロプロに使ったほうがいいに決まっているので)、これはある程度孤独を運命づけられた本なのかもしれません。

しかしこの本には、ここに書かれなければ決して言葉にならなかったであろう娘。とハロプロの姿がたぶんいくつか含まれています。それらはたしかに私というフィルターを通して描かれた姿ではあるのですが、一筋縄ではいかないハロプロというものの多様性と、正史に残り難い〈真実〉を明らかにしているものと自負しています。
たとえば辻加護の存在を中心としたモーニング娘。の歴史がここには断片的ながら描かれていますし、また心象風景としての真夏のお台場のガッタス、メンバーたちと重力の問題、娘。時代のさゆちゃんの歌手としての魅力、そしてあるメンバーの〈卒業〉によって一人のヲタのアイデンティティが崩壊していく様なども描出されています。

ここに語られたことの多くは古色蒼然たる昔語りのように思われるかもしれませんが、しかしだからこそいまハロプロでごく普通と思われていることが、実は最初からあたりまえではなく、歴史的に形成されてきたというその過程を読むことができます。
たとえばいまハロプロメンバーたちは先輩後輩の垣根なくカジュアルにお互いを「かわいい」と言い合う人たちとなっています。しかしこれは最初からそうではなく、愛ちゃんがリーダーとなり、6期メンバーたちがそれを支えた「アットホームなモーニング娘。」以降のことなのです。

でもしかしなぜあえて紙の本なのでしょうか。
これらはそもそもほとんどがウェブ上に発表してきた文章なので、重さを持たず姿形も不明瞭な亡霊のようなものでした。
それをせめては形と重さを持つものとして世に放ちたかったのです。つまりゾンビのような存在として。
ハロプロのメンバーたちと同様、物理的身体を持つものとして。

それにこれだけいろいろなものごとのデータ化が進んでも、結局のところその保存・保管は物理的になされるべきだというのが、いまのアーカイブの流れです。映画をフィルムの形で保存するのと同じ考えです。
つまりここに書かれたことは、たぶん未来のヲタたちに向けて書かれているのです。
もっともいまのヲタのみなさんはすでに〈未来のヲタ〉なのです。なぜなら自分は以前から「10年後、20年後のヲタへ向けてこれを書いている」などと言っていたのですが、それから実際に10年、20年が過ぎてしまったのですから。

そんなことで、電子書籍等ではなく、紙の本にすることが私の唯一の目標でした。
と同時に、自分の思考や感情が物質として残ること、また仮に嘘はないとしても自分というフィルターを通した身勝手な彼女たちの姿が残ることにも、大きな責任とプレッシャーを感じ、恐れの感情を抱いてきました。その恐れはいまでもまだ続いていますし、多分これからも続くことになるでしょう。


紙の本『ハロモニア』モーニング娘。そしてハロー!プロジェクトについて
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