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巻乃もなかに西表島をおすすめする

この記事は「もなふわすい~とる~む Advent Calendar 2020」の23日担当記事になります。

この疫病の時が過ぎ去ったとき、最初のデスティネーションに西表島を選ぶことによって、巻乃もなかさんはさらなる飛躍を遂げることになるであろうことをぼくは確信しています。したがって、本記事ではそのために役に立つことや役に立たないことなどを、巻乃もなかさんという概念存在が主たる読者であると仮定して決断的に記述します。

そのような都合上、本記事にはぼくと巻乃もなかさんのとか、なんらかのハイテックの解説とか、ダイナミックボーンといった内容は記載されていませんので、読み進める前にあらかじめご了承下さい。そのようなテキストにご興味がある場合は、この記事も参加している「もなふわすい~とる~む Advent Calendar 2020」に数々の秀逸なコンテンツが寄せられていますので、一通り巡ってみるとよいでしょう。巻乃もなかさんご本人による振り返りまとめも25日担当記事として寄稿されています。

なお、ぼくが最後に西表に渡ったのは数年前なので、情報が古い可能性があることをおことわりしておきます。あなたが巻乃もなかさんではなく、かつ、万一巻乃もなかさんをよく知らない場合は目次の上にあるリンクより巻乃もなかさんについて学習することができます。その他、なにか問題があればコメントやツイッターのリプ・DMなどでお知らせください。

*タイトル画像でカンピレーの滝にいるもなちゃんっぽいひとはセシル変身VRM Automatic Photographingで作りました。


西表島とは何か。そして、西表島とは何ではないか

西表島は沖縄県の南西の端、八重山諸島に属する離島の一つであり、沖縄本島に次ぐ面積を誇る大きな島である。古くは大陸から日本列島に至る琉球ランドブリッジを構成し、海進期にも水没せずに海上に残ったとされるその島は、東南アジアから雲南、台湾を経て、沖縄、奄美、吐噶喇列島まで続く旧世界亜熱帯区、そのオリジナルの様相を今に伝えるタイムマシンのような地である。

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第二次世界大戦後しばらくまで、この島は熱帯熱マラリアが猖獗を極める地獄の島だった。琉球弧の島々の中では例外的に水に恵まれたこの島は、琉球王朝時代にヤマトから課せられた税であるコメを生産することが可能な稀有な土地として度々開拓が試みられてきたが、そのたびに入植者はマラリアで全滅した。王朝時代の八重山の島々において、西表島行きとはすなわち死を意味した。
近代に入り、西表では炭鉱が発見された。炭鉱労働は苛烈を極め、半ば騙された形でこの島に送り込まれた炭鉱労働者は、箸にかかるものは何もないといわれた雑炊をすすりながら来る日も来る日も石炭を掘った。とどまっても逃げ出しても遅かれ早かれマラリアで彼らも死んだ。
太平洋戦争の末期、無病地だった波照間島の住民が、意味もなく集団疎開させられた時に選ばれたのも西表島だった。疎開した波照間住民はきれいな水のある川辺に集落を作ったが、きれいな川はマラリアを媒介する蚊の発生源だった。そしてなんの罪もないかれらもまた、熱帯熱マラリアでばたばたと死んでいった。戦争マラリアとよばれる悲しい出来事だった。

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日本が戦争に負け米英軍が進駐してくると、やがて、ほぼ忘れられていたこの島にもマラリア撲滅の手が伸びてきた。マラリア蚊は吸血後に近くで休む性質があるため、家の壁という壁にDDTが散布された。時間はかかったがマラリアは60年代に入って最終的に消滅した。そのころにはすでに炭鉱は姿を消していた。コメも特に増産を必要とされていなかった。波照間には天文台ができた。
後に残ったのは、木々が丸刈りにされた山と、変わらず豊富な水を海に押し出す川、そして静謐なサンゴ礁に覆われた、巨大な亜熱帯の島 = いにしえの大陸のかけらと、その面積に比してきわめて少数の人々だった。

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多くの死によって守られたこの島の静謐は、豊かな水の力を受けた植物たちの猛烈な再生によってさらに深まっていった。廃村は植物に飲まれていった。炭鉱の町はジャングルに戻った。島の中央部を除いて一時は丸裸だった島の山は、またたく間に亜熱帯の森に戻っていった。
イリオモテヤマネコが発見されると、島は一躍「東洋のアマゾン」として知られるようになった。観光客が来るようになるのはさらに下って90年代からになるが、それまでの歴史を跳ね返すように生命を資源として島は新生に限りなく近い再生を始めた。ちなみにイリオモテヤマネコは地元では知られた存在だった。ヤママヤー(やまのねこ)、ヤマピカリャー(やまでぴかっとひかるもの)などと呼ばれて認識されていた。たんぱく源が少なかった頃は罠にかかったイリオモテヤマネコは食肉として食べられていたという。ヤマネコをたべると口が光ったという話は、島の古い住人複数から今も聞くことができる。

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交換式だった電話が衛星回線になり、さらに海底ケーブルが敷設された90年代後半から、島の主要産業は観光になる。ダイビング、カヤック、そして日本ではほぼ唯一といっていい「探検」ができる島として脚光を浴びた。多くのガイドたちが島に定住した。先に述べたような悲しい理由で、元々西表島のコミュニティーは島外者によって作られた社会だったが、観光が島の主要産業になるにしたがってヤマトからの移民が加速した。そして現在、島は未曽有の発展を遂げて・・・は、いない。島を囲むサンゴ礁の海は浅く、大型船が着桟できる港がほぼ現存しないこと、全域が国立公園に指定されたことで開発が抑制されていること、さらに新たな住民たちにラディカルな自然保護主義者が比較的多いことなどから、島はいまも静謐に保たれている。亜熱帯のリゾートを予想していると、完全に裏切られることになるだろう。

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かててかように西表島は、東南アジアから雲南、台湾を経て沖縄、奄美、吐噶喇列島まで続く旧世界亜熱帯区、そのオリジナルの様相を色濃く残すランドスケープを持つタイムマシンのような地であると同時に、スクラップアンドビルドを繰り返し、常に新たななにものかが生まれ続けている場である。昔も、そして今もそれは続いている。再起動した自然に押し出され、海岸線にしがみつくように多様な出自の人々が暮らす、豊かで美しい、そして、その奥にほのかな闇を秘めた島。それが西表島である。

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巻乃もなかは如何にして西表に到達すべきか

さて、では、感情豊かでかわいく、そして、その奥にほのかな闇を秘めた巻乃もなかは、どのようにして西表島に到達すればよいのだろうか。
小笠原や吐噶喇列島ほどではないにしろ、西表島は到達するのが比較的難しい目的地だ。多くの沖縄県の離島に共通することであるが、西表島にも空港が無い。そのため圏外から直接島に降り立つことはできない。なので、巻乃もなかや旅人は一旦八重山地域のハブ空港がある石垣島に降りることになる。
石垣島には現在新しい空港ができており、内地から直接大型機が発着できるようになっている。以前の空港では東京からの直行便は降りることができても、東京までの燃料を積んで離陸するための滑走距離がとれなかったため、宮古で給油のためのトランシットを行っていたがそれも今は昔である。

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ただ、直行便の本数はそれほど多くないので、巻乃もなかには是非沖縄本島を経由して石垣島に向かってもらいたい。全国からの航空便が数多く運行されている那覇空港と、八重山のハブ空港である石垣空港の間にはさながら東京-伊丹間のごとく多数のフライトが設定されているため、予定が非常に組みやすい。しかも、西表の帰りに那覇のりっかりっか湯でゆったりしたり、牧志公設市場で色とりどりのお魚を見たり、やちむん通りですてきな焼き物を物色したりすることができるので大変におすすめである。お金に余裕があれば本島で前後泊して、西表にはない現代的な亜熱帯リゾートを満喫してもいいだろう。しかし巻乃もなかよ、忘れることなかれ。君のプライマリーデスティネーションは野生の地たる西表島である。

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石垣に到着したら、なにをおいてもまずは離島ターミナルに向かおう。離島ターミナルは石垣港に設置された離島航路の船が発着する海の駅だ。八重山には多くの離島があり、それらの島々にはサンゴ礁の海を渡る高速船が数多く就航している。それらの高速船は、西表と石垣の間に広がる石西礁湖の浅い海を疾走するために喫水が浅い滑走型の船型をしているのが特徴で、各社ともに大馬力のエンジンを積み、高速化に異常なまでの執念を燃やしている。就航しているのは主要三社と波照間島専門の波照間海運の4社。主要三社は安栄観光、八重山観光、そしてなんとかかんとか(わすれた)で、ぼくが忘れてしまったなんとかかんとかを除く2社が昔からエンジン軍拡競争に血道をあげるライバル会社だ。

八重山観光、通称やえかんは、様々な船型の船を運用している。特に大型高速船が多く、竹富島や小浜島などの人気の島に多くの人間を迅速に運ぶ会社というイメージがある。
一方の安栄観光(動画にある「安永」は誤字である)は一時期大型船にも手を出したが、基本的に標準化された安栄〇〇号を運用する会社である。この安栄標準型高速船は最大1200PSの巨大なエンジン2基掛けでサーフェースプロペラまたはウォータージェットをドライブし、八重山の海を最高34ノットで爆走する。その航跡ははるかな高みを飛ぶ国際線の飛行機の中からも視認できる。この会社に関しては、欠航が続出する冬のある日に聞いた島の人の一言が忘れられない。曰く「あのひとたちは荒れれば荒れるほど燃えるからねえ」。今は保安庁の指導によって平準化されているが、以前は明らかに安栄の荒天下での欠航率は低かった。そんなわけで、ぼくはこの会社をむちゃくちゃ信頼しており、八重山では基本的に安栄の船に乗る。巻乃もなかもそうしたらいい。

石垣離島ターミナルから西表には二本の航路がある。一本は大原航路、もう一本は上原航路だ。大原航路は竹富島の南をかすめ、石西礁湖のど真ん中を突っ切っていく航路で、西表島の東部(地理上は南端近く)にある大原港に入港する。ほぼ全線が石垣・竹富・小浜・黒島・新城・西表に囲まれたインナーリーフ内に収まっているため荒天に非常に強い航路で、冬季はこの航路が西表島の命脈をつないでいる。水深が浅く砂地の海底が続く航路なのでエメラルド色の海の色がとてもきれいである。

一方の上原航路は竹富島の北を通り、一旦鳩間島を望むアウトリーフに出てから西表島の北東岸に沿って西進し、西表西部(地理上は北端近く)にある上原港に入港する。地図を見れば明らかなように北側ががら空きである外洋を航走するため、荒天に弱い。特に北からの季節風が卓越する冬季は欠航が相次ぐ。なお、上原港からは各船会社が西部の端、白浜集落まで送迎バスを出している。このバスは荒天時に上原がクローズした場合は大原まで延伸される。その場合各集落でのバス出発時間が早まるので注意が必要である。この航路は概してよく揺れる。船の前部は場合によっては足が天井につくほど揺れるため、できるだけ後ろのほうに席をとるとよい。最後部は室外席で、そこは濡れる可能性がある。だが、外洋の大きなうねりを感じたいならぜひともこの室外席に座るとよい。エンジンと鉄とオイルのにおいと排気ガスと海と波と潮と険しい西表の山並みにまみれることが可能である。実に巻乃もなかに向いている。

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どちらの航路を選ぶかは島内での宿泊地に左右される。しかし冬場は上原航路の切符を買っても大原航路の船に乗せられることが多い。特に西表にいる場合、外部に出るためには絶対にどちらかの航路を走る船に乗らないわけにはいかないので、荒天時には、どちらの港からいつ最後の船が出るかが非常に重要な問題になる。したがって島に滞在している間は雲の流れを見て常に風向きと強さを気にすることになる。北風が強い場合や台風が近隣をうろついている場合、上原は欠航になり、大原まで延伸された送迎バスは大幅に早く出発する。雲を見て北風のようだったら荷物は常にまとめておくことが肝要である。乗り遅れれば巻乃もなかは嵐の西表島を体験することになる。ちなみに大原行の切符では上原が欠航しても大原まで延伸した送迎バスには乗れないので、送迎バスを利用する場合は欠航していても上原行の切符を買うこと。

要するに、どちらの航路を選ぶかはどこに泊まるかが決まれば自動的に決定されるので、計画時にどちらの航路を選ぶべきかはあまり気にする必要はない。東部なら大原。西部なら上原だ。レンタカーを借りる場合はどちらでもよい。その場合、どちらの景色が好きかというのもあるかもしれない。その辺はYouTubeにたくさん動画が上がっているので見てみるといいだろう。

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船会社は気にする必要がある。ぼくの意見としては、巻乃もなかは是非漢気あふれる安栄観光をセレクトすべきである。もちろん八重山観光も良い会社なのでそちらでもよい。なんとかかんとかは乗ったことがないのでしらない。たぶんいい会社なんじゃない?あえて乗ってレポートしてもらうのも良いかもしれない。ただし、なんとかかんとかはたぶん大原航路にしか就航していないと思う。


巻乃もなかは西表でどの宿に泊まるべきか

さて、漢気あふれる巻乃もなかは西表に到着できそうだ。では、巻乃もなかは西表でどこに拠点を構えるべきだろうか。結論から言って、これはどこでもよい。ぼくは西表で様々な宿に泊まったし、元カノも様々な宿に泊まっている。それらの知見を総合していえるのはただ一つ。西表の宿に外れ無し(n=2)。ただし、宿によってはかなりハードなところもあるので、注意が必要だ。例えば床が水浸しで独房のような窓のないトタン部屋とか、隣にある開放的なトイレのにおいが充満している部屋といったところがぼくの中ではちょっとおもしろいなって思った部屋たちだ。しかし、それらの部屋たちであっても宿の人は気さくだし、泊っているひともたのしいし、ごはんもおいしいのでなんとなくいい感じに修正されるので巻乃もなかもたぶん大丈夫だと思う。タオルや歯ブラシといったアメニティーはごく一部の例外を除いて無いと考えたほうがいいので持参したほうが良い。
どこに泊まるかは割と重要なポイントである。西表は大きく分けて大原港周辺の「東部」と、上原港周辺から白浜・舟浮にかけての「西部」に分かれる。東部は仲間川の流域で、仲間川を遡上して西表縦断の冒険をするなら拠点として最適だろう。

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また、新城島に向かうカヤックツアーも人気だ。牛車で海を渡ることで有名な由布島も東部にある。

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サトウキビ畑が広がる開放的な東部はのんびりするのに最適だといえる。また、多くのパッケージツアーは東部を起点にして観光をしている。

一方の西部は島のもう一つの巨大水系浦内川を遡上して、その先にあるカンピレーの滝(ちなみに本記事のトップ画像はこの滝である)を目指すお手軽ハイキングコースが人気だ。滝の先に行けば西表横断の冒険が待っている。上原港にほど近い船浦にある海中道路から望むピナイサーラの滝は、お手軽カヤックコースとしてこれも人気。

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また西部にはダイビングサービスやカヤックサービスが多いのも特徴で、特に西表西表したダイビングをご所望なら西部に宿をとるのがいいだろう。イリオモテヤマネコが発見された浜がある舟浮集落は道が接続していない集落で、集落そのものが興味深い。西部は全体的に山が押し迫ったランドスケープで、開放的な東部とは対照的な景観が面白い。泊まり比べてみるのも一興だろう。

さて、とはいえおすすめは必要だろう。ぼくが巻乃もなかにおすすめするのは、西部の果て(地理的には北西)にある白浜集落の「金城旅館」だ。様々な宿に泊まったぼくは最終的にここに落ち着いた。金城が満室でなければここ以外には泊まらない。いにしえのインターネッツであるmixiでも他の女とかいろいろな人におすすめしてきたが、総じて高評価だった。
金城旅館のある白浜は西表を半周する道路の片方の端に位置し、大きく切れ込んだ舟浮湾を遮るように浮かぶ内離島を望む集落だ。仲良川水系の河口に位置していて、干潮時には大きな干潟が目の前に干出する。背後は山で目の前は静かな内海に挟まれた非常に静かな集落であると同時に、白浜港がダイビングやカヤックツアーの出発点にもなっているため、ここに泊まればレンタカーが無くても様々な方法で西表島を楽しむことができる。道のつながっていない舟浮集落へ行く船もここから出ている。

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金城旅館は、東部にある竹森旅館と並び立つ伝説的な民宿で、ここを拠点にするのは総じて変な人(ポジティブな意味で)が多い。これまで同宿になった人々の中で印象に残っている例をあげると、夜の森でUVライトを照らして蛍光生物をさがす蛍光おにいさん、エベレストのベースキャンプまで毎年行っているヒマラヤ常連トレッキングおじさん、ハスカップの商品を常に持ってきてくれる北海道のひと、すべての写真にダメ出し(ポジティブな意味で)をする某局の水中カメラマン、パラオから紅海まで世界漫遊ダイビングおねえさん、心の風邪をひいちゃったけどそうはぜんぜん見えないノックの時に口に出してトントンという口トントンガール、出会った蛇をとりあえずぶんぶんふりまわす蛇ぶんぶんおねえさん、早朝にパーカッションのセッションを唐突に開始するパーカッションガールズバンドなどがいる。このなかにブラックホールを秘めた技術派VTuberがまぎれたとしても大変に普通である。なにも問題がないしむしろ目立たない。木を隠すには森の中だ。いや、べつに隠さなくても良いような気もする。

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基本的にこの宿にはプロアマ問わず研究家気質の人が多く来る印象がある。これはひとえに宿のおかみさんである「ときわさん」の求心力によるものと思う。彼女は生まれた時から西表に住んでいる生粋の西表っ子であり、昔の西表を知る生き証人でもある。それと同時に、新しいことに対して貪欲な知識欲があり、お客さんと一緒に山に入っては新しいことをいつも探している。そのため、森の知識は非常に深く、白浜林道から山に入る屈指の難コース「波照間森」へのルートをガイドできる数少ないガイドのひとりでもある。宿の後ろから山に入っていく県道の旧道はときわさんの庭と化しており、お客さんが望めばゆっくり歩いて様々な植物やら動物やら植物とも動物ともとれない生き物やらを見せてくれる。特に、夕食後の夜の森の散歩は格別である。西表では年中時期を問わず蛍が見られる。特に初夏のころの蛍は圧巻で、森全体が蛍で充満した光の森になる。それを見たとき、おそらく巻乃もなかは新たなワールドをクリエイトしたい気分になるだろう。それなら旧道をフォトグラメトリしよう。ときわさんがすごく興味を持って手伝ってくれるだろう。木々のトンネルみたいな道だから洞窟のモデルと同じ感じで作れるのでは?

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この宿の裏は山なので、夜になるとカエルが鳴く。このカエルは複数の種類がおり、それぞれにコールが違う。そしてタイムセグリゲーションと言って種によって鳴く時間が取り決められている。いや取り決めたわけではないだろうが、とにかく時間によって鳴くカエルが違う。夜中にふと起きて「ぽん!ぽん!」という金属的な鳴き声が聞こえるとだいたい2時ごろだなってわかるくらいには便利だ。巻乃もなかは夜中に作業することが多いが、これによって時間管理が捗ることは間違いがない。すなわち、この宿は巻乃もなかがワーケーションするのにも向いているだろう。

ここまで読んで、おそらく巻乃もなかはこの宿に泊まりたくなり、もっと基本的な情報が知りたいと思っただろう。金城旅館は鉄筋コンクリート二階建ての民宿で、客室は基本的に二階にある。

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客室内は清潔だがトイレ・シャワー・冷蔵庫などは共用だ。シャワーを使うときにはボイラーのスイッチをつける必要がある。トイレはウォシュレット付きだ。あと、部屋にカギはない。そもそもカギがドアにインストールされていない部屋もある。なんなら部屋と部屋のしきりがふすまだったりする。そして驚くべきことに誰もそれらのことを気にしていない。宿帳は初回のみ。次回からは訪れると「おかえりなさい」と迎えてくれる。巻乃もなかのルームに行くと「おかえりなさい」と迎えられるが、最初に言われたときに真っ先に思い浮かんだのは金城旅館だった。宿泊料金は最後に泊まってから時間がたっているので直接宿に確認してほしい。たぶん一泊2食付きで6000円くらいだと思う。予約は電話でのみの受付になる。ちなみにうちなーぐちのおじさんが出た場合は予約が通ってない可能性があるので確認する必要がある。食事抜きだと多少安く泊まれるが、是非付けて泊まることをお勧めする。目の前の海で取れた魚や、山でとれた山菜などが食事には盛り込まれている。

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なによりもときわさんやほかの宿泊者とおしゃべりしながら食べるのは、さまざまな気づきにあふれる一種のエンターテインメントだと考えることができる。この辺は、西表の他の宿でも大なり小なり同じことがいえる。例えば舟浮の民宿などもそういった意味で非常に評価が高いと聞いている。なお、宿の周辺を含め、全島にコンビニというものは存在しないが、共同売店というそれに近いものはある。

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余談だが島には信号もない。いや、あるにはあるが上原と大原の小中学校の前と大原港の入り口にあるのみである。これらの信号は街に出たときに子供たちが信号で戸惑わないように練習するためにあるそうだ。

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白浜は静かな場所だ。目の前にはまるで湖のような山に囲まれた静かな海、背後には穏やかな亜熱帯の山。不思議なバックグラウンドを持つ宿泊者たちと食堂で語り合う夜は思い出深いものになるだろう。ときわさんの旦那さんが時々大人のジュース(泡盛)をもって参入してくると昔話にも花が咲くだろう。イリオモテヤマネコを食べると口が光るという話を聞いたのもそういった夜だった。そんな夜には、おそらく巻乃もなかは大人のジュースでなんだか変なんなっちゃって、口が七色に光るイリオモテヤマネコの夢とかを見たりするだろう。
唐突だが「変」というのは誉め言葉だとぼくは思っている。「普通」や「変」は相対的な概念であって、だれしもどこか変なところはある。金城旅館で出会う人々はその「普通-変」軸がある特定分野の軸に沿って突出していると考えると理解しやすいだろう。この宿に泊まれば、巻乃もなかを含め、だれもが自分の軸について考え始めるはずだ。


巻乃もなかは西表でどのようなアクティビティーを楽しむべきか

では、多様な軸に沿って突出したVの者である巻乃もなかは西表島でどのようなアクティビティーを楽しむべきだろうか。ぼくのおすすめは4つある。

1.山
2.川
3.海
4.何もしない

順を追って紹介しよう。

1.山
亜熱帯の離島に行って山?と思うかもしれない。しかし西表島の魅力のひとつは確実にその山と森にある。大陸のレリックである西表島は、沖縄本島のやんばる地域と並んで日本の国内では最も天然状態が保持された亜熱帯の森が残されている。一度皆伐された二次林とはいえ、すでに50年からの年月が経っている島の森は、毎年やってくる台風による更新を経ながらすでにオリジナルの亜熱帯の森の姿へと還りつつある。そんな森に行く手軽なルートとしては浦内川をさかのぼり、上流船着場からカンピレーの滝を目指すハイキングコースが一般的だ。展望のない森の中には亜熱帯の植物がうっそうと茂り、分解力の強いバクテリアによって土壌が残らない林床は粘土質で滑るが、カンピレーの滝に至れば森に囲まれた岩の広場の上を冷たい水が走り抜け、とても心地よい風が吹き抜けるだろう。だが、巻乃もなかはおそらくもっと人と違うコースをご所望になるであろうことをぼくは知っている。もちろん一度はカンピレーの滝に行ってみてはほしいが、そんな巻乃もなかに対しておあつらえ向きのスポットが存在することもぼくは知っている。そしてそれは宇多良炭鉱跡だ。

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宇多良炭鉱は西表炭鉱の中では先進的な鉱区で、亜熱帯林を切り開いて作られた宇多良鉱業所は400名収容の寮や家族用の家々、300人収容の劇場や私立学校まで擁したひとつの町だったという。坑口から積み出し場までは高架のトロッコが走り、30トン積みの艀が石炭を浦内川の河口にある浦内港まで運び、そこから全国への本船航路を行く貨物船に積み替えられた。しかし、戦争が激しくなると労働者が兵隊にとられ、社用船まで徴用されるに至って休止状態となり、そのまま宇多良鉱業所は歴史からフェードアウトした。空襲で破壊された鉱山の町はそのまま放置された。やがて西表から2次産業が撤退すると町の跡地はみるみるうちにジャングルに飲まれていった。

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この宇多良炭鉱跡は意外と徒歩でのアクセスが良い。浦内川を遡上するボート乗り場の横から道なりに進むと「近代産業遺跡」としての宇多良炭鉱跡へ通じる遊歩道に入ることができる。道は一本道で迷うことはない。浦内川の支流である宇多良川に沿って道は森の中を進む。アップダウンのほとんどない遊歩道では、ところどころに大きく発達したタカサゴシロアリの巣が見られる。湿った環境なのでシダの類が多い。金城旅館でよく出されるオオタニワタリの新芽があったらラッキーだ。時々宇多良川の薄気味悪い色の水面が見える。道は1キロほどで森の中の広場のような場所に出る。そこが宇多良炭鉱跡だ。到着するのは夫婦寮のあったあたりで、なぜかあたりにビール瓶が散乱しており、これらは当時のものである。さらに進むとトロッコ高架の支柱が熔樹に取り込まれているのが見える。積み出し場はどんよりと濁ったマングローブの川辺で、よく見ると石炭のかけらを拾うことができる。ぼくが行ったときには無かったが、最近では木道が整備され、さらに奥まで見て回れるようだ。荒ぶる亜熱帯の森に沈む鉱山町の廃墟。どうだろう、巻乃もなかはかなり行ってみたいと思うのではないだろうか。是非冬のどんよりとした日に行ってみてほしい。とても雰囲気のある写真が撮れると思う。

2.川

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西表は水に恵まれた島だ。これは隆起サンゴ礁の島が多い沖縄の離島の中では特筆すべき特徴であると同時に、この島が大陸のかけらであることを雄弁に示す証拠でもある。地図を見れば西表島にはいくつかの大きな裂け目のようなものがあるように見えるだろう。これらは発達した河川であり、また、発達したマングローブでもある。このマングローブの川はそれそのものが非常に興味深い探索対象だ。なぜならば川の2/3はマングローブに覆われた緩やかな流れであるため、カヤックでの遡上が可能だからだ。島を二分する巨大水系である仲間水系と浦内水系は動力船が遡上するので実はあまりカヤック向きではない。お手軽に行けるカヤックツアーが多いのは海中道路からはるかに望めるピナイサーラの滝が有名で、潮の時間を読み間違えなければ、とても優雅にマングローブの中をカヤックで散歩することができる。しかし、何事につけても本格派を目指す巻乃もなかには是非とも西部の川を攻めてほしい。

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白浜集落が面する水面は仲良川の河口域で、集落からは見えないが広大なマングローブの森を擁する第三の巨大水系を構成している。この川の上流にはナーラの滝という陸路では到達が困難な滝があり、カヤックと徒歩を組み合わせることで行くことができる。この川には複数のカヤックオペレーターがガイドツアーで入っており、それに参加することで滝までの行程を安全に楽しむことが可能である。西表島西部で使われるカヤックは、内地の川でよく見る小さなカヌーやピナイサーラのツアーでよく見るシットオントップとは異なる、シーカヤックと呼ばれるタイプのものだ。長く優美な艇体を持ち、後尾にラダーを備えるシーカヤックは、直進性と走破性、安定性にすぐれる長距離を行くための乗り物で、旅の道具だ。西表のカヤックサービスでよく使われているSeaScapeというシーカヤックは、陸の見えない外洋を踏破する超長距離エクスペディションにも用いられる艇で、ちょっと漕ぐだけでするすると進んでいく感じは病みつきになる。

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巻乃もなかはおそらく一人旅で西表に行くので、後部座席にガイドさんが、前部座席に巻乃もなかが座ると良いだろう。パドルは深く差して片手で引き片手で押す。引く、押すと書いたが実際には腰をねじって全身で推進させる要領だ。白浜港を出発してしばらくは広い水面をひたすら漕ぐことになる。金城旅館から見ると池のように思えた水面の広さに巻乃もなかは驚くかもしれない。しかし、カヤックサービスはそれに対応するための奥の手を持っている場合がある。それは帆走ユニットで、なんかどっかを押すとばばばっっと帆が開いて、追い風の場合は漕がなくても恐ろしい勢いでカヤックが進んでいく。帆走ユニットの操作は前席の仕事だから、巻乃もなかは事前にその取扱いに習熟しておかなくてはならない。なぜならなんかどっかを押してばばばってひらくのは簡単なのだが、なんかどっかをあれしてしゅばばばっとしまうのは割と大変だからだ。そしてしまうタイミングを逸してしまうと風にあおられて転覆しちゃったりするので注意が必要だ。もちろん出発前に教えてもらえるので陸上で十分に予習しておこう。

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そうこうしているうちにカヤックは河口からマングローブ域に入っていくだろう。マングローブに入ったらゆっくり漕ぐようにしよう。干出している泥地の上にいるのはミナミコメツキガニとトントンミー(ミナミトビハゼ)だ。トントンミーは足のある魚で泥の上をぴょこついている。かわいいので是非望遠レンズで接写してほしい。なんか言葉の使い方が間違っている気がするが巻乃もなかは賢いのでたぶんわかってくれると思う。そうしてゆるやかな流れを満喫し、マングローブの見分け方もわかってきたころにはおそらくカヤックは鬱蒼とした森の中に入っていく。木の枝が突き出た岩場にカヤックを泊めるとその先は渓流になっている。ここでお昼ご飯を食べることになるだろう。大抵の場合カヤックのお昼ご飯は沖縄そばで、豪勢に三枚肉が乗っていることすらある。森の中でバーナーを使って作る暖かいおそばは絶品だ。夏だと西表パインも出るかもしれない。西表パインは「しかしか」した感じが無いタイプのパインで、パイン観がかわるだろう。おなかがいっぱいになったら徒歩で滝へ向かう。足元は悪いがツアーではほかのお客さんもいると思うので前を歩く人の足跡を踏むようにすれば大丈夫だ。滝は森の中の神秘的な場所にある。巻乃もなかは間違いなくそこで水浴びをしたくなっちゃうので、全身濡れても良い服装で行くのがおすすめだ。写真も捗るだろう。充分に楽しんだら名残惜しいが帰途につこう。

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帰りにカヤックに乗り込むときには注意すべきだ。陸から直接乗り込むときに転覆することは多い。怖かったらガイドさんに先に乗ってもらって支えてもらおう。漢気溢れる巻乃もなかの場合は先に乗ってガイドさんを支えてあげてもいいだろう。行きに帆走した場合、かえりは向かい風の中を漕ぐことになる。その場合は後部席をチョイスしよう。ガイドさんの推進力は大変なものがあるので、後部席なら巻乃もなかはちょっとくらいサボっても大丈夫だ。

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西部の場合さらに舟浮まで足を延ばしてクイラ川をさかのぼったり、水落の滝でカヤックごと滝に打たれたりすることもできる。たぶん巻乃もなかはカヤックが欲しくなるかもしれない。実際に西表でカヤックにはまってしまいフォールディングシーカヤックを購入する人は多い。潮や季節によっても川は刻一刻とその姿を変えるので、西表に通うようなら検討してもいいかもしれない。6月には夜明け前のマングローブの川でサガリバナの花が咲く。ぼくは早起きが苦手なのでみたことがないのだが、ぽとりぽとりと花が水面に落ちていき、やがて静かな水面が花で埋め尽くされるという。それはそれは神秘的な光景らしい。それもマイカヤックがあれば独り占めできるだろう。ただし、海に出る場合は話が別だ。海は非常に怖いのでかならずガイドと一緒に出よう。特に1月から3月はじめにかけてはガイドがいても海には出てはいけない。ニンガチカージバイ(二月の風廻り)もしくは台湾坊主と呼ばれる恐ろしいマイクロバーストが近海でランダムに発生し、ベタ凪から大時化へわずか数分で遷移するので、絶対に出てはいけない。ニンガチカージバイにつかまってしまった昔の人は、帆が破れる前にわざとサバニを転覆させて、中につかまってやり過ごしたそうだ。

3.海
西表島における海でのアクティビティーでなんといってもおすすめしたいのはダイビングだ。もちろんシュノーケリングでも楽しめるが、ダイビングの場合はじっくりと海の中にとどまれるので、写真が趣味の巻乃もなかにはおそらくとても楽しいアクティビティーになるはずだ。

西表は数多くのダイビングショップがある。多くが上原近辺に所在するが、白浜にも一軒だけダイビングショップがある。ぼくのおすすめはこの一軒だけある白浜のダイビングショップ「ダイブラティーク」だ。なぜここをおすすめするかといえば、このショップ、まさに写真派ダイバー御用達のショップだからだ。
西表島は世界的に見ても異常にサンゴ礁における生物多様性が大きな場所だ。石西礁湖の生物多様性については有名な学術誌に論文が載るほどであり、その中でも人の居住地から離れた海岸線が多い西表近海は世界中を巡ったダイバーもうなる美しいサンゴの海が広がっている。サンゴの海が巨大なマングローブと接続しているというのもポイントの一つだ。マングローブは多くの魚のゆりかごとして機能する生態系なので、マングローブが豊かならば海も豊かになる。そういった多様性の海を潜るダイバーたちが、その水中景観を写真に残そうと思うようになるのは自明の理である。

そんなわけで、西表に来るダイバー、特に白浜に泊まっているようなダイバーは宇宙開発か!と思うような巨大な撮影機材を携えて西表の海に潜りに来る。その多くがマクロ撮影命な人々だが、まれに地形や大きな画角で水中景観を切り取る「ワイド派」といった人たちもいる。ちなみにぼくはワイド寄りの動画派だ。だが、巻乃もなかはまずカメラを持たずに海に潜ってほしい。全身でそのサンゴの海を感じてほしいのだ。場所はそうだなあ・・・網取浅場がいいだろう。美しいサンゴの森が延々と続く明るいポイントだ。網取は西表に数ある廃村の一つで、その奥にはマングローブの川があり、河口から浅く広がるリーフはアウターリーフで遮られた礁湖となってサンゴの楽園を形成している。海の色が非常にきれいでクリームソーダとブルーハワイを足して5を掛けたような明るい色味だ。魚たちのきらめきとサンゴの先端の蛍光が美しい。ここはスノーケリングでも充分に楽しめるポイントだが、海況が悪くなりがちな冬は来られる頻度が減ることになる。なので、できれば春先に行くのがおすすめだ。

まずはスノーケリング、次に体験ダイビング、ダイビングが好きになれそうなら西表でライセンスを取ろう。西表はボートからエントリーするダイビングが100%を占めるので、内地のショップで行われる陸上からのエントリーとはかなり勝手が違う。そのため、西表で主に潜るならゴージャスにも西表でライセンスを取るのが最適だ。ライセンスはアドバンスまでとろう。アドバンスまでとることによって巻乃もなかは水深30mまで潜るスキルを手に入れることができる。そうしたらいよいよ水中撮影にも挑戦してみよう。ぼくは動画勢なのでテクニカルな事はよくわからないけど、一眼レフでの水中撮影は非常に奥深く、ショップで他のお客さんやインストラクターさんの作例を見るだけでも楽しいだろう。そして、西表の豊かな海は潜るたびに新しい被写体を提供してくれるはずだ。

時には流れに身を任せるドリフトダイビングをしてみるのもいいだろう。極端な外洋ブルーの光の中で、空間そのものが流れるような水流に乗って、飛ぶように潜るのはそうそうない体験となるだろう。西表ほどの透明度ともなると、潜水は飛行に近い感覚を伴う。根を越える度に深い谷間が現れ、決してそこまで潜っていけない水深の海底を眺めながら飛ぶように泳ぐのはなかなかに非日常だ。ここでもフォトグラメトリを巻乃もなかはしたくなるかもしれないし、そして、それは正解だ。フォトグラメトリは複雑な構造を持ち、かつ水中のため全貌をつぶさに観察しづらい水中遺跡調査の分野で多用されている。西表のサンゴの海には入り組んだ鍾乳洞のような謎めいた場所がたくさんある。

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そんな場所をフォトグラメトリしたワールドを作成して、VRchatとかにもなふわ集会場(ダンジョン)としてうpしたりするのもまた一興ではないだろうか。

4.何もしない
ふざけてんのか?と思うかもしれない。しかし、西表島においてぼくが最も巻乃もなかにおすすめするアクティビティーは「なにもしない」をすることだ。生活リズムガタガタ部部長たる巻乃もなかは、ともすると西表に来てまでなんらかのクリエイティブやUnityやBlenderやダイナミックボーンといったことをしたりするかもしれない。すると、テクスチャーが破綻しアイテムはめり込みbuildは通らず巻乃もなかの頭の中は?でいっぱいになりついには脳が爆発事故を起こしたスパゲッティー工場の様相を呈するに至るだろう。そして巻乃もなかはこう叫ぶのだ「助けて!もなふわすい~とる~む!」と。そのような自らに救助を要請する巻乃もなかには、能動的に何もしないという選択も時にはあって良い。

西表には積極的に何もしないに適したスポットがたくさんある。そのいくつかを見てみよう。まずは野原崎展望台だ。ここは赤離島や小浜島を望む小高い丘の上にある展望台だ。

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展望台には駐車場があるので巻乃もなかはここにレンタカーもしくはレンタバイクを止めるだろう。するとどうだ、背後の放牧場から吹く風が巻乃もなかのライトパープルヘアーを優しくゆらし、目の前の海は静かにきらきらと輝くだろう。この展望台には東屋があるので、そこに腰を下ろして石垣島で買ってあったお気に入りのスイーツを食べるなどするといいだろう。展望台には焼きそば屋台やお土産売店やそういったものは一切ない。自販機すらない。これは西表島に複数ある展望台すべてに言えることだが、何もしないをするために最適化されているのだ。エンジンがチルしてゆくかすかな音を聞きながら風と潮騒と明るい陽光にまみれるとよい。

次に紹介するのは南風見田の浜だ、ここは白浜と逆側の道の終点、東部の果て(地理的には南部)にあるひと気のない海岸だ。

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県道の終点からさらにしばらくサトウキビ畑の農道を行くと、唐突に舗装道路が終わる。道路の先には細い道が森の中に続いているので、その手前に車を置いて歩いていくとほどなくスコーンと抜けた広い砂浜にでる。これが南風見田の浜だ。ここは西表の山が海に直接切れ落ちるような独特の景観と、無限に広がるような砂浜とリーフを見ながらボーっとするのに最適化されている。東屋はあるが、ここは砂浜に座ってだらだらすることをおすすめする。書きながら思ったが、何もしないをおすすめしている都合上、なんか書くことが少ない。だが、行けばなんとなくわかるのであまり書かなくても問題がない。

そして舟浮だ。舟浮は白浜から連絡船で静かな内海を横切って行くと到達することができる離れ集落だ。目の前には海菖蒲が茂るマングローブ接続水域と、それに続く深く切れ込んだ舟浮湾が広がっている。舟浮湾は国際避難港に指定されており、巨大な係船ブイがいくつも浮かんでいる。

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舟浮の雰囲気は独特で、森に包まれた秘密の村という感じがするだろう。そもそもここに泊まっても良いかもしれない。集落を抜けてしばらく行くとイダの浜という浜に行くことができる。ここは沖合がダイビングスポットになっていて水中でのんびりするのによい場所だ。巻乃もなかはスノーケリングをするだろうか。もしするならここは最適だ。もう一つ星砂の浜というスポットもあってそこもなかなかいいのだが、結構人がいることが多いのでのんびりするならイダの浜に来るといいだろう。スノーケリングをする場合はラッシュガードなどを着て全身を覆うといいだろう。サンゴの海は危険が多いので、間違ってもビキニで海に入ったりしないことをおすすめする。ビキニはSHOWROOMとかYouTubeとかFANboxなどで着るようにしよう。いや、YouTubeはまずいかもしれない

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なお、集落の船着場には西表には数少ないお土産屋のひとつがある。舟浮は真珠貝の養殖の拠点になっているのできれいな真珠を買うことができる。夜光貝のアクセサリーもなかなか素敵だ。そういった意味では多少社会的なにもしないも楽しむことができるのが舟浮の特徴でもある。

まだまだいろいろあるのだが最後に紹介したいのはなんといっても白浜集落だろう。巻乃もなかはおそらく金城旅館に泊まるので、自動的に白浜にエントリするから心配が少ない。ぼくは基本的に西表ではレンタカーを借りるが、車の運転免許がなくても白浜に拠点を構えるならば船会社の送迎バスでやってきて、そのまま鎮座すれば問題がない。

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舟浮に行く船もここから出るのでお得だ。金城旅館には屋上があり、そこには誰でも自由に出入りができる。なので巻乃もなかは大人のジュース(オリオン)とか、さんぴん茶(ジャスミンティー)とか、サーターアンダギー(砂糖の天ぷら=塊ドーナツ)とかを集落の共同売店で購入し、屋上で目の前の湖のような海を眺めながら飲んだり食べたりするといいだろう。ぞくぞくするようなうれしさが沸いてきたらそれが何もしない効果だ。大潮なら干潮手前に集落の端にある小中学校のあたりから海の方へ行ってみよう。

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ここは干潮時に干上がって干潟になる。トントンミーやミナミコメツキガニにあいさつしながら、マングローブの芽生えなどを観察するといいだろう。実にフォトジェニックなので、なにもしないといいながら写真も捗るかもしれない。夜になれば集落の前にある堤防に腰かけて夜の海を眺めてもいいだろう。港のほうに行けば街灯に照らされてゴンズイ玉やそれを狩るミノカサゴが水中に見えるだろう。満月の夜には月の光で影ができる。月が無ければ星を満喫しよう。何もしないをすることによって巻乃もなかの感覚は鋭敏になり、ついさっきまで爆発事故を起こしたスパゲッティー工場のようだった頭の中も子午線に沿って流れる天の川のように澄み渡って、新たなアイディアが続々と沸いてくるだろう。そして、部屋に戻ると巻乃もなかは結局クリエイティブを始めることだろう。

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結語 もしくは 巻乃もなかの中の西表島

ここまで、ぼくの独断と偏見によって決断的に西表島を解説したりおすすめしたりしてきたが、無限のインスピレーションは自由な心に宿るということをこの最後の短いセクションで一度リマインドしておこう。歴史的経緯からみて、西表島は、様々な異文化が、厳しい淘汰に基づく歴史の巡りと、静謐ながらも恐るべき多様性を内包する自然のなかで、ごちゃまぜにミックスされて錬成された場なので、基本的に非常に高度な自由がある。それでいて人と人の間の距離が非常に近く、たとえビジターであっても濃厚な関係性をその中で確立することができ得る。それはxRの世界 -技術的にもコンテンツ的にも- に通じるものがありはしないだろうか。したがって、クリエイティブな巻乃もなかは西表島に行くことによって無限のインスピレーションを得る可能性が非常に高いとぼくは確信している。それはおそらくテクニカルなものであり、そしてまた、フィロソフィカルなものであるだろう。

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ぼくのテキストはぼくの経験の範囲内で書かれているので、巻乃もなかは自由の名のもとにぼくのテキストのことをきれいさっぱり忘れて巻乃もなかの西表島を探すといいだろう。それはむしろ西表島ではなくてもいいかもしれないし、または、やはり西表島であるべきなのかもしれない。このように考えると、西表への旅とは巻乃もなかの内なる世界への旅であるということもできるだろう。ぼくは、そのような多次元西表での経験によって巻乃もなかの中の西表島が発露され、コンテンツとして昇華されるのを楽しみに待とうと考えている。

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本稿を、巻乃もなかと、すべての巻乃もなか -およびそれに類する概念- であった、および、であらんとする/である者、そして彼女・彼らを当事者として観測する者たちとへ捧ぐ。御身らに死と新生の場、西表島とテックの加護のあらんことを。

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願わくばこのテキストが巻乃もなかのクリエイティブの一助となれば幸いに思う。



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Photos are took by Dr.Nyao/Happyrat/Biosphere Oriented Films
CC BY-SA 4.0
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