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海の街からの手紙

 書き出しの言葉を書いては消し、書いては消ししています。久しぶり、では馴れ馴れしすぎるという気がするけど、お元気ですか、というのも、さすがによそよそしいような気がして。だいいち、私はあなたが元気かどうか、ちゃんと気にかけていられている自信がないのです。

 あれから、色々ありました。あなたがいる街で、平然と暮らしていくのが耐えられなくて、元住んでいた家の鍵を閉め、少しばかりの荷物を持って電車に乗りました。私は一人でしたが、一人ではありませんでした。お腹の中に、赤ちゃんがいたから。

 夜の電車に揺られて、仮住まいに向かう途中、とても心細くて、悲しかった。わざわざ街を出なくてもよかったのではと、何度も思いました。あなたに義理立てする必要も、もはやないのだし。

 私は自分のお腹を撫でました。尋常でない期間、私のお腹に入ったままのこの子。私は産むことなんてできない気がしていました。この子は産まれたがっているのだろうか。よく分かりませんでした。でも、この子がいなかったら、一人で出奔することもまた、なかっただろうと思うのです。

 夜明け頃に着いたのは、海にほど近い街でした。たまに避暑しにくるくらいの縁しかない場所でしたけれど、ここの街の人のことはなんとなく知っているし、あんまり干渉してこない気質なのも知っていました。だからこの街で、ひとりでひっそり産むつもりだったのです。

 産むのは思ったよりも大変でした。だから、ブログにこどもを産んだことと、その顛末を書きました。誰に読んでもらうつもりもなく、ただ自分の記録として残しておこうと思ったのです。

 いえ、もしかしたら、あなたが読んでくれるのではないか、と思っていたのかもしれません。あなたがこのブログを時折見ているかもしれない、と夢想したことは過去にありましたから。こどもが産まれたことを、あなたに知らせたい、と全く思わなかったのか、と問われると、自信がありません。

 SNSサービスと違って、ショートメールはブロックしても、ブロックしたことについての通知が来るのですね。ブブ、という聞き慣れないバイブ音で、私はそのことを知りました。メッセージを復元してみると、あなたからでした。

「ありがとう」

 私の胸はかあっと熱くなるようでした。こどもを産んでから、いいえ、産む前から、私はなるべく自分を放っておくように生きてきました。自分にまだこんな熱が、感情があるとは思わなかったので、とても戸惑いました。

 何についての「ありがとう」なのだろうか。あなたは私のブログを読んだのだろうな、と思いました。こどもを産んだことが、ありがたいのだろうか。普通に考えればそうです。では、なぜあなたはそのことがありがたいと思ったのでしょうか。そして、なぜそれを私に敢えて伝えようと思ったのでしょうか。

 別にありがたいとは思っていないけれど、なにも言わないのも人として気が引ける。これが一番それらしい答えかなと思いました。しかし、もしそうであるなら、それだけのために、わざわざメッセージを寄越すでしょうか。寄越すかもしれないし、寄越さないかもしれない。わたしはあなたではないので、あなたの行動の決め方はわかりません。

 もし、本当の意味で──本当、というのをどう考えるか、ですが──感謝をしているのなら、ことばだけを送って済ませようとするなんて、と、私は腹を立てました。最初に胸がかあっとしたのは、どうやら怒りだったようなのです。

 勘違いしないで欲しいのですが、私はあなたに金品を要求するとか、それなりの態度を示して欲しいと要求するとか、したい訳ではないのです。だけれど、言葉をくれようとするほどの気持ちがもしあるのなら、言葉だけでは済まされないはずだということも分かって欲しかったし、その上で、もう私たちに構わないでいてくれるか、私がかつて欲しがっていたものを差し出そうという申し出をしてくれるか、どちらかだ、と思いました。

 きっと、あなたはもう、私にそれを提供できないでしょう。別に欲しいんじゃありません。それくらいの覚悟がないのに、中途半端な感謝なんてして欲しくなかったのです。それとも、あなたは今からでも、コロナ禍をおして、私の住むこの海の街まで来てくれると言うのですか? それなら、話は変わってくるかもしれませんが。

 話が長くなりました。坊やとの静かな生活では、話し相手がいないので、つい言葉が走ってしまいます。とはいえ、坊やは今はここにはいません。都会の先生方に、診てもらっているからです。

 この街の暮らしには、正直まだ慣れません。かつて仲良くしてくれた人達が沢山いる、あの街を懐かしく思うことがあります。そこは今もきっと賑やかで和気藹々としているのでしょう。でも、寄せては返す波の音しか聴こえないこの場所が、今の私には向いているとも思います。

 さあ、それで、あなたはこれからどうしますか?

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