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祖母と勉学の話、あるいは身の丈の話

母方の祖父母の家は岐阜の片田舎にある。稲作とミカン栽培が盛んな地域で、ご多聞に漏れず祖父母の家も兼業農家だ。私の父方祖父母はとうに亡く、血のつながっていない継祖母は子供の目から見ても性格に問題がある人だったから、私は遠くに住む母方の祖母にとりわけ強い愛着を抱いた。

私たち子供は盆と正月しか行けなくて、秋、ミカン採りの手伝いに一人帰省する母を恨めしく思ったりもした。子供を持つ今では、農作業の手伝いをしに行くのに子供なんて連れて行ったら仕事が増えるから置いていく一択だよなあと分かるのだけれど。

祖母はいつも帰り際に、皺だらけの手に折り畳まれた千円札を忍ばせて、握手のふりをして握らせてくれた。母に見付からないように、これで好きなものを買いなさいと。

「おばあちゃんいいよ、こんなのいいよ」

「いいからいいから」

と言い交わすのが別れの儀式だった。農作業と年月によって深い傷と皺が無数に刻まれた、老人ゆえに体温が感じられない、ひんやりしたごつごつの手の感触を、私は今でもありありと思い出すことができる。

祖母は6人か7人兄弟の一番下で、それゆえに、「もう子供は要らない」という意味の名前をつけられていた。私はその名前を音だけとらえていい名前だと思っていたけれど、長じて、なぜ祖母が戸籍に記されたその名前ではなく、「幸子」と名乗っているかを知った。長らく幸子と名乗っていたから、戸籍の名前を変える要件は満たしていたと思うが、それすら忘れたいのか、そんな手続きは面倒なのか、田舎の常でどこかから漏れて角が立つといけないからなのか、ともかく戸籍の名前は祖母が亡くなるまでそのままだったと思う。

あれは私が大学に合格した春のことだ。東京に向かう前に、一度祖母に挨拶しに行った。普段は父の車だが、その日は平日だったので電車で向かった。採算が合わずに一度あわや廃線の危機を迎えたのを、第三セクターの支援でなんとか存続しているような、一両編成・単線の電車だ。

母に託されたお供え物と合格の報告とを終え、伯母や従姉妹と話しているとあっという間に夕方になった。一人で帰れると断ったのだが、足が悪いはずの祖母は高台の家から駅まで送ってくれた。広い空も、まばらに行き過ぎる車も、岐阜の一地域にだけチェーン展開している、古臭いフォントのスーパーの看板も、所々菜の花の植わっている田んぼも茜色に沈んでいる。私は例の儀式がいつ始まるのか、今日は母がいないので断れないな、などとのんきに考えていた。

祖母はおもむろに泣き出した。

「私はみかちゃん(仮名、母のこと)を大学にやれなかった。あの子は大学に行きたがっていたけれど、それを叶えてやることができなかった」

「大学のことは良くしらないが、あんたが受かった大学は名のある大学だと聞いている。みかちゃんを大学に通わせられなかった分、あんたが大学に受かって嬉しい」

そんなような趣旨のことを祖母は言った。

私の母は祖母が五番目に産んだ子だった。祖父は派手好きで、生活には新しいものを取り入れようとする、あの時代には珍しい人だったそうだが、女の教育については前近代的な考え方の持ち主だった。「農家の末っ子で、女の子のみかに学などいらない」というのである。

それでも母は諦められず、就職活動をしながら勉強も続け、更にバイトして受験代と進学後の学費の一部を貯めたらしい。京都の大学を受けるために、本当なら若い女の子なのだからホテルや民宿に泊まるところを宿坊に泊まったという。もちろん交通費も宿泊代も母のバイト代だ。

しかし母はその大学に受からなかった。そして祖母はそのことを、孫が大学に行くようになる年まで悔やんでいたのである。


なんとなく、祖母は母にはこの話をしてないのだろうな、と思った。


私は、夕日に照らされた祖母の背中、ほとんど地面と並行になるまで曲がってしまった、白地に青い小花柄の洋服に包まれた背中を見た。涙が頬に落ちないようにするので精一杯だった。

その時私は、この人がこう生きたことを、いつか絶対に文章にしよう、文章のなかでこの人を保存しようと思った。そうできるのは私しかいない、これは私に与えられた使命だと思ったのである。幼少の時から小説家になりたいと思ってきたけれど、それまではそれはどこか浮わついた夢のようなものだった。しかしこの日を境にそれは決意のようなものに変わったのである。

今回noteにそれを書いたのは、文部科学相による「身の丈」発言があったからだ。本当はお金を得られるようなやり方でこの思い出を書くべきであろうとは思うが、祖母を作品の中で「生かす」手段は色々あるはずなので、思い切って書いてみることにした。

私は身の丈を超えようとした人達によって支えられ、引き上げられて今がある。最初から人の努力を限定し、能力を伸ばすまいと国が主導するとはなんたる愚行か。ネットの論調には、もうずっと日本は「身の丈」を方針にしてきていて、今回はたまたま暗黙の了解になっていたそれが露呈しただけという意見もある。しかしそうだとして、それで本当にいいのか。私は若い学生が平等に教育を受けられる社会の維持を願いたいし、受験の方式からしてそれを阻害する可能性が高い、新しい大学入試試験の方針転換を強く訴えたい。

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